artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

山田周平「“アメリカの夜”[Day for Night]」

会期:2010/09/25~2010/10/23

AISHO MIURA ARTS[東京都]

滝口浩史、伊賀美和子に続いて、「写真新世紀」の出身者の展示を見ることができた。山田周平は2003年の同展で優秀賞(飯沢耕太郎選)を受賞している。僕自身もかかわったコンペの入賞者が、順調にそのキャリアを伸ばしているのを見るのはとても嬉しい。力があっても、さまざまな理由で制作活動を中断してしまう人も多いからだ。
今回の「“アメリカの夜”[Day for Night]」に出品されているのは、新作の「Untitled-park」のシリーズで、公園の風景の上半分が漆黒の闇に覆われているように見える作品である。同じ場所で昼と夜に同じ絞り、シャッタースピードで撮影した二枚の写真を合成したもので、シンプルだが、印象的で深みのあるイメージに仕上がっていた。山田はもともと、既存の眺めに何かを付け加えたり削ったりしながら、その意味合いを変換してしまう手法を展開してきた。今回は「記録した場所性の排除に加え、色、時間、までも削除の対象に」するという、徹底したミニマル化を試みた。以前に比べて、その手つきが洗練されてきているとともに、静止画像に加えて動画による作品にも意欲的に取り組んでいる。今後も、写真と映像作品の両方の分野にまたがる活動が期待できそうだ。
なお、タイトルの「“アメリカの夜”[Day for Night]」は、フランソワ・トリュフォー監督の1973年製作の映画から引用されたもの。カメラのレンズにフィルターをかけて、昼間に夜のシーンをつくり出すというトリック撮影のことだが、このシリーズの謎めいた雰囲気をより強調する効果的なタイトルだと思う。ただ、この映画のことをまったく知らない若い世代には、ちょっとわかりにくいかもしれない。

2010/10/08(金)(飯沢耕太郎)

梶井照陰「KAWA」

会期:2010/09/17~2010/10/16

FOIL GALLERY[東京都]

梶井照陰の前作『NAMI』(リトル・モア、2004)は「見る」という行為に徹底して没入することで、知覚の限界を超えた何ものかを呼び寄せるような気魄あふれるシリーズだった。今回の「KAWA」(FOILから同名の写真集も刊行)でも、クローズアップを中心に、被写体となる水の波動を正面から受けとめ、肉迫していく姿勢そのものに変わりはない。だが、佐渡島の海の「波」にのみ焦点を絞った前作と違って、今回は世界各地の川、瀧などにも撮影場所を求めている。そのせいもあるのだろうか。どこか視点が拡散し、「これも、あれも」という迷いが生じてきているように感じた。
こういう作品を見ると、つくづく写真家の仕事というのは難しいものだと思う。『NAMI』は各方面で話題を集め、スケールの大きな作者の誕生を高らかに告げた写真集だった。当然、皆、彼は次に何を撮るのだろうという期待を持つわけで、梶井もそれに応えるべく、全身全霊で新たなテーマにチャレンジしていった。そこで被写体の幅を広げていくという選択は充分にありうることで、「KAWA」からもその意欲が伝わってくる。だが結果的には、『NAMI』にはあった「これしかない」という確信が薄らいだように見えてしまう。今はやや難所にさしかかっているとは思うが、梶井が本来備えている写真家としての可能性がまったく消えてしまったわけではない。こういう試行錯誤の繰り返しから、「次」が見えてくるのではないだろうか。

2010/10/07(木)(飯沢耕太郎)

宮本隆司「1975-2010 Film & Digital」

会期:2010/09/10~2010/10/09

TARO NASU[東京都]

映像作品と写真による、宮本隆司にしてはかなり珍しい展示である。作品は4点で、「The Crossing 1975」は、ニューヨークのブロードウェイの交差点を、360度回転しながら16ミリフィルムで撮影するというシリーズ。マンハッタン島のすべての交差点を撮影するつもりだったが、32分回したところで「挫折」したという。「New York 1975」は、やはり同じ時期に「人々に声をかけ人間を撮る」ことをめざしてシャッターを切ったスナップショット。ストロボの光に浮かび上がる被写体と、彼らに正面から向き合う宮本の間の緊張感がひしひしと伝わってくる。
「さかさま うらがえし 2009」はヴェネチアの広場で撮影された「上下左右逆、さかさま、うらがえし」の映像を、モニターで見せる作品。2004年に世田谷美術館で展示した同名の作品の続編にあたる。「木を見て森を見ず 2010」は新作で、風にゆらぐ樹木の群れが画面全体に映し出される縦長のモニターが並んでいる。揺らぎが少しずつ伝播していくさまが、あたかもひとつの生きものを見ているようで、その不思議な動きにじっと見入ってしまう。
こうして、ごく初期から新作まで宮本の作品を眺めていると、彼がある視覚の枠組みをしっかりと定めることで、そのなかにヴァリエーションを呼び込んでいくタイプのつくり手であることがはっきりわかる。それは映像作品でも写真でも変わりなく、「世界はこのように見えてくるのではないか」という予測のもとに視覚の装置を組み上げ、結果的にはその予測からはみ出してくるものへと自らを開いていく姿勢は、見事に一貫しているのではないだろうか。ただ1975年の、いかにも窮屈で肩肘を張った実験作(それはそれで初々しくていいのだが)と比較すると、近作では柔らかく融通無碍な雰囲気が強まっている。宮本の表現者としての成熟ということだろう。

2010/10/07(木)(飯沢耕太郎)

ラヴズ・ボディ──生と性を巡る表現

会期:2010/10/02~2010/12/05

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

いい展覧会だった。「ラヴズ・ボディ」という展覧会は1998年にも開催されていて、この時は「ヌードの近現代」がサブタイトルであり、「調和のとれた美しい女性の身体を男性のエロスや性幻想の表象として描く従来のヌードを批判的に検証する」展示だった。今回はその続編というよりは、「エイズを巡る問題提起」をテーマとする作品に視点が絞られている。両方とも笠原美智子のキュレーションによるものだが、10年あまりの時間を経て、明らかに今回の「ラヴズ・ボディ」展の方が引き締まった、密度の濃いものになっている。キュレーターの成長の証しが刻みつけられているともいえそうだ。
展示作家はAAブロンソン、ハスラー・アキラ/張由紀夫、フェリックス・ゴンザレス=トレス、エルヴェ・ギベール、スニル・グプタ、ピーター・フジャー、デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、ウィリアム・ヤンの8人。このうち、ゴンザレス=トレス、ギベール、フジャー、ヴォイナロヴィッチが、既に死去していることからも、1980年代~90年代にかけて、エイズがアート・シーンにも猛威をふるい、「生と性」を巡るぎりぎりの表現行為に集中することをアーティストたちに強いたことがわかる。現在、エイズは治療法の発達によって致死性ではなくなったものの、病の日常化というまた別の問題をもたらしつつあると思う。そのあたりに目を向けた、ハスラー・アキラ/張由紀夫の軽やかに弾むような、映像と人形による作品が選ばれているのがよかった。また、インドにおけるゲイ・カルチャーという、これまではタブーだった状況を撮影したスニル・グプタの「マルホトラのパーティ」のシリーズは、このような企画でしか紹介できない作品だろう。
おそらく観客動員はあまり期待できないと思う。だが、こういう地味だが志の高い展覧会をしっかりと実現していくことが、東京都写真美術館への信頼感を高めることにつながっていくのではないだろうか。

2010/10/03(日)(飯沢耕太郎)

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畑智章「THE NIGHT IS STILL YOUNG」

会期:2010/10/01~2010/10/30

AKAAKA[東京都]

日本のドラァグクイーン・シーンがスタートしたのは1980年代後半だから、既に20年以上の歴史を持つ。シモーヌ深雪ら先覚者たちが育てあげていった、異装と派手なメーキャップのクイーンたちの活動は、その時代の先端的なファッションやアートと共鳴しながら、独特の形で定着していった。ただ当初の衝撃は、現在ではむしろ商品化、大衆化によってやや薄められているようにも見えなくはない。
ロサンゼルスとシンガポールを拠点として活動する畑智章は、2000年代はじめに関西を中心としてドラァグクイーンの状況に深くかかわり、多くの写真を撮影した。それらをまとめたのが、今回のAKAAKAでの個展「THE NIGHT IS STILL YOUNG」と赤々舎刊行の同名の写真集である。クラブなどを撮影した写真を目にする機会は多いが、大部分は情緒過多か、その場の雰囲気に流されてしまったものばかりだ。それに対して畑のこのシリーズは、きっちりと被写体に正対し、しっかりと みとるように撮影している。ドキュメントの範疇に入る仕事ではあるが、ここにいる者たちの存在の輝きをちゃんと伝えなければならないという思いが、彼の写真に心地よいテンションの高さをもたらしているのだろう。
「欺瞞に満ちた社会に対して全く別の『欺瞞で』それを無効化し、笑い飛ばし、陳腐な歌をリップシンクしながら、日々自分たちに押し付けられる『何か』に対して抵抗し、それを破壊していく──そうやって新しい世界を自らのものにする──そういうきっかけになって欲しいと思います」。これは畑がAKAAKAのホームページに寄せた、「今回の本を見た若い世代の子達」へのメッセージである。まったく同感。次の「新しい世界」を見出していくためには、忘れ去られ、消えていってはならないものがあるということだ。

2010/10/01(金)(飯沢耕太郎)