artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

森山大道「津軽」

会期:2010/11/27~2011/12/18

Taka Ishii Gallery[東京都]

写真表現のあり方をぎりぎりまで突きつめた『写真よさようなら』(写真評論社、1972年)を刊行後、森山大道は「大スランプ」に陥ったといわれてきた。たしかに、苛立ちと不安を「アレ・ブレ・ボケ」の荒々しい画面に叩きつけるようにして疾走していった1960年代後半~70年代初頭のエネルギーを、精神的にも肉体的にもキープし続けるのはむずかしい時期にさしかかっていたことはたしかだろう。だが、2008年12月~09年2月にRAT HOLE GALLERYで開催された「HOKKAIDO」のシリーズでも同じことを感じたのだが、1970年代後半の「北帰行」のスナップ群は、もう一度きちんと評価し直す必要があるのではないか。少なくとも「大スランプ」というような言葉で片付けきれない、森山の中に渦巻いていた地の底から湧き上がるようなマグマの胎動を感じるのは確かだ。
今回のTaka Ishii Galleryでの展示は、1976年に青森県五所川原市周辺で撮影され、同年銀座ニコンサロンでの個展で発表された写真群である。「なぜか〈五所川原〉という町の名がしきりに気になりはじめ、引かれるように写真を撮りに出掛けた」ということのようだが、地名へのこだわりも含めて、この時期の森山のアンテナは異様に研ぎ澄まされていたのではないかと思える。その証拠に、この「津軽」にはどう見ても普通ではない人たちが、わらわらと湧いてくるように写り込んでいる。乳母車に異様に大きな人形をのせた少女、巨大な黒豚(?)を追う男、傘をすぼめた二人のしわくちゃ婆さん、髪の毛の薄い魔物めいた男の子、白い下着のようなものを身にまとった片足のない男、飛ぶように街を走り抜ける少女──これら「異人」たちが、次々に、吸い寄せられるように森山の前に出現してくるのだ。「眼科医院の看板がやたら目についた」という五所川原の街そのものが、写真の中で異界の気配を色濃く漂わせはじめる。その噴き上がるような表現力の高まりはただ事ではない。

2010/12/01(水)(飯沢耕太郎)

百々俊二「大阪」

[東京都]

銀座ニコンサロン
2010年11月24日~12月7日
TOKIO OUT of PLACE
11月26日~12月25日

7月に刊行された百々俊二の写真集『大阪』(青幻舎)は、今年の大きな収穫のひとつといえるだろう。自分が生まれ育った大阪市城東区関目の四軒長屋から始めて、大阪一帯を8×10インチ判の大判カメラで隈なく撮影したシリーズである。最初の写真集『新世界むかしも今も』(長征社、1986)で撮影した天王寺、西成界隈をはじめとして、「自分の記憶のある場所」を辿り直すような自伝的な色合いが強い。だが、大判カメラに克明に写し込まれた街と人とのたたずまいは、百々の個人的な経験に留まることのない「都市写真」としての普遍性を備えていると思う。「見えるうちに見尽くしておこう」という強い意欲がみなぎる、勢いを感じさせる写真集だった。
写真集の刊行からはやや時間がたってしまったが、そこに収録されている写真をまとめてみせる展覧会が、銀座ニコンサロンとTOKIO OUT of PLACEで開催された。それらを見ていると、写真集とはまた違った思いが湧き上がってくる。写真にはさまざまな「大阪人」の姿が写り込んでいるのだが、展示されたプリントで見た方が、彼らと直接的に対面しているような「生な」感触が強まっているのだ。8×10インチの大判フィルムには、カメラの前の光景を根こそぎ、しかも生々しい鮮度を保ったまま画像化する魔術的な力が備わっているのかもしれない。その不気味なほどのリアリティに、思わずたじろいでしまった。
なお、渋谷のZEN FOTO GALLERYでは、百々俊二と井上青龍の二人展「釜ヶ崎──新世界 高度経済成長時代下の生き方」(11月26日~12月19日)も開催されている。井上青龍は大阪の岩宮武二スタジオで森山大道の先輩にあたり、森山に路上スナップショットの面白さを教えた写真家である。その井上の1960年代の釜ヶ崎と、百々の1980年代の新世界のスナップ写真がヴィンテージ・プリントで並んでいた。こちらも大阪の街に染み付いた哀感が漂ってくるようないい展示だった。

2010/11/27(土)(飯沢耕太郎)

鯉江真紀子 個展

会期:2010/11/12~2010/12/22

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

京都在住の鯉江真紀子は、一貫して風景を多重露光した大きな画面の写真作品を制作し続けてきた。特に今回の個展でも展示されていた、競馬場らしき場所に群れ集う人の群れを、俯瞰するような構図で撮影した作品に執着し続けている。鯉江の心を捉えているのは、人が集団となった時に発する巨大なエネルギーの放出のあり方ではないだろうか。個々の人物を撮影しただけでは見えてこない、圧倒的な群衆のオーラのようなものが、多重露光の操作によってより増幅されて伝わってくる。
しかも、2000年代初頭にツァイト・フォト・サロンで展示されていた作品と比較すると、そのオーラの捕獲装置の精度が増し、洗練されてきているように感じる。2009年に、岡山県倉敷市の大原美術館を舞台にした大規模な個展を成功させたことで、写真作家としての自信が深まっているのだろう。さらに今回の展示では、従来の群衆の多重露光の作品に加えて、シンプルな構図で光と影のコントラストを強調した、2枚組のシークエンス作品もいくつか展示されていた。発想と手法の広がりによって、さらなる飛躍が期待できそうだ。なお、2010年12月中には代表作を集成した作品集『Aura』(青幻舎)が刊行される予定である。

2010/11/24(水)(飯沢耕太郎)

向後兼一「世界と向き合うために」

会期:2010/10/30~2010/11/20

art & river bank[東京都]

小橋ユカと対照的なスタイルながら、やはり同じように転機を迎えているように思えるのが向後兼一。2000年代初頭にデビューした彼は、デジタル画像を加工して作品を制作し始めた第一世代にあたる。フォトショップのような簡易なソフトを使って、風景の意味をずらしたり再構築したりする彼の作品は、2006年に東京国立近代美術館で開催された「写真の現在3:臨界をめぐる6つの試論」に選出されるなど、一定の評価を受けてきた。今回のart & river bankでの個展「世界と向き合うために」の出品作も、基本的にはその延長上にある。工事現場や飛行場の風景の画像に細いスリットを入れ、もうひとつの画像ではそのスリットに全画面を圧縮しておさめるという手法で制作されたシリーズなど、その画像処理のセンスのよさは際立っている。
だが、2000年代初頭には新鮮なショックで受け入れられたデジタル加工のアイディアが、いまやかなり見慣れたものになってしまっていることも否定できない。今回の展示に、まったく加工を施していない青空と雲のシリーズや、飛行場のようにあらかじめ特定の意味づけが為されている場所のイメージが増えてきているのは、彼自身もそのことを意識し始めているからだろう。この“過渡期”をポジティブに乗り切ることで、もうひとつ突き抜けた表現に到達してほしいものだ。

2010/11/18(木)(飯沢耕太郎)

小橋ユカ「針が飛ぶ」

会期:2010/11/09~2010/11/21

GALLERY SHU HARI[東京都]

東京・新宿から四谷にかけては、写真家たちがスペースを借りて自分たちで運営するギャラリーが多い。これらの小ギャラリーは自主運営ギャラリー、あるいはインディペンデント・ギャラリーと呼ばれるのだが、どうやら日本以外ではあまり見かけない形のようだ。欧米や他のアジアの国々では、ギャラリーのマネージメントは別な人が担当するのが普通であり、日本のように写真家(アーティスト)が企画・運営にまでかかわることはあまりない。だが自分たちの作品発表の場をきちんと、定期的に確保する場として、1970年代以降、自主運営ギャラリーは日本の写真表現の展開において重要な役割を果たしてきたし、今後もさらなる可能性が期待できそうな気がする。
そんな自主運営ギャラリーのメッカともいうべき四谷3丁目に、またひとつ新しいギャラリーができた。吉永マサユキが主宰する写真ワークショップ、レジストの卒業生、10名をメンバーとするGALLERY SHU HARIである。10月のメンバーによるオープニング展を経て、今回の小橋ユカの個展「針が飛ぶ」で本格的にスタートした。小橋はこれまでコニカミノルタプラザやTAPギャラリーでも個展を開催している力のある若手写真家だが、いまちょうど転機にさしかかっていると思う。路上スナップを中心に、身近な事物、近親者、風景などさまざまな被写体を、それなりに手際よく撮影し、プリントしていくことができるようになったのだが、それらをむしろセレクトして、自分のスタイルにまで固めていく時期にきているのではないだろうか。展覧会の挨拶文に「生暖かい脱力」という言葉があってなるほどと思ったのだが、たしかにふわりと垂れ下がったり、液体のように広がっていったりしているものに対して、鋭敏に反応しているような気がする。そういう被写体に意識を集中していくと、彼女らしい写真の形が見えてきそうだ。

2010/11/16(火)(飯沢耕太郎)