artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

’10倉敷フォトミュラル

会期:2010/10/22~2010/11/10

倉敷駅前アーケード[岡山県]

毎年10~11月にかけて、岡山県倉敷市の駅前商店街のアーケードに写真作品が展示される。写真の大きさは290×370cmと200×190cmの2種類。応募されてきた写真のデータを拡大して印刷した布プリントだ。まさに「フォトミュラル」=写真壁画というタイトルにふさわしい大きさで、なかなか迫力がある。
この「倉敷フォトミュラル」の企画は、2004年からスタートして既に7回目になる。最初の3回は「花」、次の3回は「景」というようなテーマで毎年全国から写真を公募し、僕が審査して57点に絞り込む。年々応募者数が増え、質も向上して充実した展示になってきた。最近は応募点数がコンスタントに800点を超えている。ただ今年から、目に見えない「風」がテーマなったことで、応募者には多少戸惑いがあったようだ。「風になびく草」「ひるがえる旗」などの、どちらかといえば紋切り型の解釈も目立っていた。だがおそらく来年になれば、もっと自由で多彩な表現がたくさん出てくるのではないだろうか。
商店街のアーケードを実際に歩いてみると、この企画が年中行事としてしっかりと街に根づいていることがわかる。自分の作品の前で記念写真を撮っている人もいるし、観光客も上を指さして通り過ぎていく。商店街の人たちも、毎年とても楽しみにしているようだ。4年前からは、高校生を対象にしてワークショップ(撮影会)を開催し、その優秀作を地元のデパート、天満屋倉敷店に展示する「PHOTO STADIUM」という企画も始まった。実際にこのプロジェクトを運営しているのは岡山県立大学デザイン科の学生さんたちなのだが、彼らの献身的な努力が盛り沢山の企画を支えていることは間違いない。地域密着型の写真企画のモデルケースとして、これから先もぜひ長く続いていってほしいものだ。一応、10年でひとつの区切りということのようだが、せっかくの盛り上がりを、そこで終わらせるのはもったいないと思うのだ。

2010/10/24(日)(飯沢耕太郎)

山内道雄『基隆』

発行所:グラフィカ編集室

発行日:2010年10月20日

今や希少種になりつつあるストリート・スナップ一筋の撮り手として、山内道雄はこれまで東京、上海、香港、カルカッタ、ワイキキなどの路上を彷徨してきた。2007年と2009年に撮影されたこの『基隆』のシリーズも当然その延長上にある。10月18日~31日にギャラリー蒼穹舎で同名の展覧会が開催されており、壁一面に全紙のプリントを張り巡らした展示もよかったのだが、ここでは写真集を取り上げることにしよう。これまでの山内の写真集と比較しても、出色の出来栄えと思えるからだ。
写真集のあとがきにあたる文章で、「今までは私の興味、好奇心は人へ直に集中していたが、基隆では少し引いて、街の中の人をみていたような感想が残った」と書いている。たしかに「むし暑く、車も多いので埃っぽい」都市の環境が、やや引き気味に写り込んでいる写真が多い。だがむろん、山内のトレードマークである「人」に肉迫する写真も健在であり、むしろこれまで以上に都市そのものが内在しているエネルギーが多面的、かつ立体的に捉えられているともいえる。もうひとつ、写真集はモノクロームの写真が中心なのだが、そこに実に効果的にカラー写真が挟み込まれている。モノクロームとカラーを混在させるのは、それほど簡単ではない。そこでくっきりと二つの世界が分離してしまうことになりがちだからだ。だが、このシリーズでは、カラー写真のプリントをやや白っぽく処理することによって、前後の写真と違和感なくつなげている。カラー写真のページがアクセントになることで、基隆という街の手触りがこれまた立体的に浮かび上がってくるのだ。
ストリート・スナップの醍醐味は、たしかに山内本人があとがきに当る文章で書いているように「ただ見ているだけで体がゾクゾクしてくる」ような歓びを味わわせてくれることだろう。彼の写真には、いつでも理屈抜きで手足が勝手に踊り出すようなビート感が備わっている。写真集を見終えて、山内と一緒に港町の起伏の多い路上をずっと歩き続けていたような、心地よい疲労感を覚えた。

2010/10/22(金)(飯沢耕太郎)

岡上淑子「夜間訪問」

会期:2010/10/06~2010/10/31

LIBRAIRIE6[東京都]

岡上淑子(1928年~)は1953年、25歳で「岡上淑子コラージュ展」(タケミヤ画廊)を開催してデビューした。そのシュルレアリスムに強く影響された、センスのいい、繊細なフォト・コラージュ作品は、瀧口修造をはじめとする批評家たちに高く評価されて一躍注目を集めた。ところがわずか数年の活動期間を経て、その後ほとんど作品を発表しなくなる。それから40年余りが過ぎ、1990年代になって、この幻の作家の作品にふたたびスポットライトが当たってきた。展覧会が開催され、アメリカのNazreeli Pressからは作品集やポートフォリオが刊行されて、彼女の名前は国際的にも広く知られるようになったのだ。
今回の展示は、1950年代のオリジナル作品4点に、シルクスクリーンによる複製、Nazreeli Press版のポートフォリオからの抜粋を含むものだった。数は少ないが、岡上淑子のオリジナルを見る機会はほとんどないので、貴重な展覧会といえるだろう。その乙女の夢がそのまま凝固したような幻想世界は、いまでも充分に新鮮で魅力的だ。デジタル時代だからこそ、鋏と糊でつくられるコラージュという古風な表現手段の面白さも再発見できそうな気がする。なお会場のLIBRAIRIE6は、恵比寿駅の近くにできたギャラリーとアンティークの店。シュルレアリスム関係の書籍やオブジェなども販売しており、今後の活動が期待できそうだ。

2010/10/15(金)(飯沢耕太郎)

ハービー山口「1970年、二十歳の憧憬」

会期:2010/09/24~2010/11/02

キヤノンギャラリーS[東京都]

ハービー山口のモノクロームのスナップショットは、見る人に安らぎと懐かしさの感情を呼び起こす。過度に苛立たしさをあおったり、ネガティブな気分に引っぱり込んだりすることなく、「これでいいのだ」という気持のよい安心感をを与えてくる。この窮屈で息苦しい時代において、彼の写真がきちんと一定数の読者や観客を獲得し、展覧会が開催され、写真集の出版が続いているのはそのためだろう。ハービー山口は「超」がつくような人気者になることはないだろう。だが目立たないところで実力を発揮し、写真の世界を底支えしているのは彼のようなタイプの写真家だと思う。
今回のキヤノンギャラリーSでの個展、及び求龍堂から刊行された同名の写真集は、その彼の原点とでもいうべき20歳前後、1969年~73年に撮影した写真を集成したものである。これらの写真もまた、ポジティブで安定感のある現在のスタイルと比較して、それほど大きな違いはない。むしろ最初から「写真によって生きる希望を探す」という姿勢が見事に一貫していることに驚かされる。憧れの女の子にカメラを向けても、学生のデモや返還前の沖縄を撮影しても、翳りや、歪みがほとんどといっていいほど感じられないのだ。
だが、本当にそうなのだろうかと、僕などは考えてしまう。写真をやや斜めから見続けてきた評論家の悪癖なのかもしれないが、どこかきれいごと過ぎる気もするのだ。青春時代につきまとうコンプレックスや、卑屈さや、こすっからしさをいまさら見せてもしょうがないというのもよくわかる。それでも、ざらついた感触の、塞がりかけた傷口がうずくような写真をもう少し見てみたいとも思う。それは無い物ねだりなのだろうか。

2010/10/13(水)(飯沢耕太郎)

第3回写真「1_WALL」展

会期:2010/09/21~2010/10/14

ガーディアン・ガーデン[東京都]

写真「ひとつぼ展」から名前が変わって3回目の「1_WALL」展。「ポートフォリオレビュー」による二次審査というハードルができたことで、たしかに全体的に出品作のレベルは上がってきている。今回は金瑞姫、天野祐子、いしかわみちこ、神崎雄三、伊藤哲郎、山野浩司の6名が二次審査を通過し、グランプリを決定する最終プレゼンに臨んだ。その結果グランプリに選ばれたのは、「光を見るための箱」というコンセプトで、さまざまな部屋とその住人をしっかりと撮影した金瑞姫の作品「Light」だった。
その選出に特に異論はない。金の作品の安定感とクオリティの高さは、やはり一歩抜けている。審査員(金村修、鈴木理策、鳥原学、町口覚、光田ゆり)も、2名連記の最終投票で全員が彼女に票を入れており、他の出品者とは圧倒的に差がついていた。ただ、この2名連記というのがやや問題で、もしかすると各審査員の一位ではなく、二位の票が集中したということも考えられる。そのあたりが、投票による審査のむずかしいところだろう。
個人的には、金瑞姫のそつのない平均点の高さよりは、いしかわみちこ「A」の歪んだアンバランスさや、天野祐子「around a pond」の何かが出てきそうな茫漠としたスケール感の方に魅力を感じた。とはいえ、金ももちろん才能あふれる作家で、次作では大きく飛躍しそうな予感もする。一年後に開催される予定の彼女の展覧会が、どんなふうになっているかが楽しみだ。

2010/10/13(水)(飯沢耕太郎)

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