artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

陰翳礼賛 国立美術館コレクションによる

会期:2010/09/08~2010/10/18

国立新美術館 企画展示室2E[東京都]

独立行政法人化した東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館の5館による共同企画展。普段は各美術館の常設展示の枠でおこなわれているような企画だが、さすがに規模が大きくなり、所蔵作品の多様性もあってかなり見応えがあった。1952年に東京国立近代美術館がオープンしてから半世紀以上が過ぎ、各美術館の所蔵作品が曲がりなりにも充実してきたことが、展示を見ていてもわかる。
「影あるいは陰」をテーマとする4部構成の展示の内容もしっかりと練り上げられている。特に東京国立近代美術館と京都国立近代美術館のコレクションを中心とした第3部「カメラがとらえた影と陰」は、写真作品で構成されており、ウジェーヌ・アジェ、アレクサンドル・ロトチェンコから森山大道、古屋誠一まで、モノクローム・プリントにおける「影の美学」がバランスよく紹介されていた。光によってつくられる影や陰だけでなく、写真の場合は被写体を逆光で撮影することでシルエットとして表現する手法もよく使われる。さらに作品によっては、実体とその影という関係が逆転して、むしろ影の方が中心的な主題として迫り出してきている場合もあるのが興味深い。第4部「影と陰を再考する現代」のパートに含まれる、写真を用いた現代美術作品(榎倉康二、杉本博司、トーマス・デマンドなど)も含めて、このテーマは写真作品のみに絞り込んで、もっと本格的に追求していってもよいのではないかと感じた。

2010/09/15(水)(飯沢耕太郎)

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照沼ファリーザ「食欲と性欲」

会期:2010/09/06~2010/09/18

ヴァニラ画廊[東京都]

「意外に」というと失礼だが、なかなか面白い展示だった。AV女優・監督やミュージシャンとしても活動しているという照沼ファリーザの写真作品には、まさにタイトルにもなっている「食欲と性欲」というコンセプトが明解に貫かれていて、観客を巻き込んでいくインパクトとパワーがある。会場の壁全体に大小70点あまりの額入りの作品がちりばめられているのだが、その半数以上には彼女自身(ほとんどヌード)が写っている。当然ながらその身体的な表現力が高いので、視覚的なエンターテインメントとして充分に楽しめる。それだけでなく、ポーズのとり方に「自分をこんなふうに見せたい」という意志が明確にあらわれているので、すっきりとした爽快な作品に仕上がっていた。ともすれば、「際物」になりそうなテーマなのだが、エロティシズムの発散の仕方が実に開放的で気持ちがいいのだ。
彼女自身が画面の中にあらわれてこない作品も、それはそれで面白い。可愛らしさとグロテスクとエロティシズムの三位一体。使われている小物やオブジェとその配置の仕方に、うつゆみこの作品と共通するものがあると思っていたら、実際に二人は知り合いで、うつが提供したものもあるのだそうだ。さらに生産力をあげつつ、別なテーマにも積極的にチャレンジしてほしい。技術をさらに磨くとともに、知名度、タレント性を活かしていけば、「写真家」としても独特の世界をつくっていけそうな気がする。

2010/09/14(火)(飯沢耕太郎)

大西みつぐ「標準街景」

会期:2010/09/01~2010/09/14

銀座ニコンサロン[東京都]

2000年代以降の写真において大きく変わったのは、いうまでもなくデジタル化の全面的な浸透だが、もうひとつ見逃せないのは、街頭スナップの撮影と発表がとても難しくなってきていることだ。かつて、ニコンサロンのような会場で展示される写真の大部分をスナップショットが占めていた。ところが近年、その比率が極端に下がってきているのだ。むろん、「肖像権」というような言葉が一人歩きすることで、撮る側も撮られる側も過剰反応しているのがその大きな理由だろう。東京の下町の路上の光景にずっとカメラを向け続けてきた大西みつぐのような写真家にとって、このような「気難しい時代」の状況は看過できないものがあるのではないだろうか。
大西が銀座ニコンサロンで開催した「標準街景」展には、そんな彼の危機意識と問題提起の意志が明確にあらわれていた。A3判に引き伸ばされた58点の写真は、まさに彼や他の写真家たちが積み上げてきた、「標準」的な街頭スナップの手法で撮影・プリントされている。偶発性に身をまかせつつ、路上で同時発生的に起こる出来事を、一望するように的確にフレーミングし、見事なバランス感覚で画面におさめていく──その腕の冴えはある意味で職人的な完成度に達しているといえるだろう。大西は写真展に寄せたコメントで「急速に写真家の都市における表現の場としての『路上』が遠ざかりつつある」時代だからこそ、「万難を排して、わたしたちの記憶としてのカメラで記されていかなければならない」と書いている。この「万難を排して」という部分に、彼の写真家としてのぎりぎりの決意表明を見ることができそうだ。目を愉しませつつも、どこかきりりと居住まいを正させてくれるような写真群だった。

2010/09/14(火)(飯沢耕太郎)

「冩真に歸れ」展

会期:2010/09/03~2010/09/19

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

第二次世界大戦前の日本の写真表現が、相当に高度な段階に達していたことは強調しておいていいだろう。東京の月刊写真雑誌『光画』(1932~33年)のグループ(野島康三、木村伊兵衛、飯田幸次郎、堀野正雄など)、関西の浪華写真倶楽部、丹平写真倶楽部、芦屋カメラクラブなどに所属する写真家たち(安井仲治、小石清、花輪銀吾、中山岩太、ハナヤ勘兵衛など)が、競い合うように前衛的、実験的な作品を発表していた。それらはひとまとめにして「新興写真」と称される。その高度な技術は、同時代の欧米の写真家たちの作品と比べても決してひけをとらない。しかも、「新興写真」を主導していたのはほとんどがアマチュア写真家たちだった。これも現在と比較してまったく違っているところで、彼らののびやかな冒険精神こそが、同時代の写真表現の最先端を切り拓いていったのだ。
今回の「冩真に歸れ」展は、東京・渋谷のZEN FOTO GALLERYを主宰するマーク・ピアソンがここ数年の間に蒐集した作品によるものである。貴重なヴィンテージ・プリントを含む作品の質はかなり高い。木村伊兵衛、島村逢江、中山岩太、ハナヤ勘兵衛など著名作家の作品に加えて、氏名不詳のアマチュア写真家のアルバムに貼られていた写真も展示されていた。風景、人物など多彩な題材だが、「新興写真」のシャープな画面構成の感覚が的確に表現されていて、なかなか面白い作品である。これを見ても、当時のアマチュア写真家たちのレベルの高さがよくわかるだろう。
なお、同時期に四谷のギャラリー・ニエプスでは、大正~昭和初期の500枚近い絵はがきによる「花電車」展(9月7日~19日)が、茅場町の森岡書店では、『光画』の実物を展示する「光画」展(9月8日~18日)が開催された。これらをあわせて見直すことで、「戦前の日本写真の輝き」をより生々しく追体験することができるのではないだろうか。

2010/09/08(水)(飯沢耕太郎)

スティーブン・ギル「Coming up for Air」

会期:2010/08/20~2010/09/26

G/P GALLERY[東京都]

スティーブン・ギルはイギリスの若手写真家。このところ急速に頭角をあらわしてきており、日本でも何度か展覧会を開催している。フットワークが軽く、豊富なアイディアを形にしていくセンスのよさが際立っており、特に限定版の写真集作りにこだわりを見せている。今回も、2008~09年に何度か日本に来て撮影したスナップショットをまとめた、4,500部の限定版(日本の感覚だとかなりの部数だが)写真集『Coming Up for Air』(Nobody)の刊行にあわせての展示だった。
都市の日常に網をかけてすくいとったような雑多なイメージの集積だが、薄い水の皮膜を透かして覗いたようなピンぼけの写真が多いのと、白っぽいハレーションを起こしたようなプリントの調子に特徴がある。展示の解説に「この本のタイトルは『断絶』ではなく、この狂ったような世界を泳ぎ生きる時の、適切な休止(coming up for air=息継ぎ)である」とあった。ギルにとってはフォーカスの甘い写真よりも、シャープなピントの写真の方が「再び潜る前の息継ぎを表現」しているのだという。
このような日常感覚、どこか真綿にじわじわとくるみ込まれていくようなうっとうしさから浮上して「息継ぎ」をしたいという思いは、日本の若い写真家たちも共有しているように思う。ギルの方がセンスのよさと勘所を抑える的確さを持ちあわせている分、現代日本の空気感をきっちりと捉えることができた。だが、むろんどうしようもないほどの高みにある表現ではない。日本の若い写真家たちも、もっと思い切りよく、一歩でも前へと踏み出していってほしいと思う。

2010/08/27(金)(飯沢耕太郎)