artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

フェリックス・ティオリエ写真展 いま蘇る19世紀末ピクトリアリズムの写真家

会期:2010/05/22~2010/07/25

世田谷美術館[東京都]

フェリックス・ティオリエ(1842~1914年)はフランス南部の都市、サン=テティエンヌに生まれ、当地でリボン製造の工場を経営して財産を築いた。1879年に若くして引退後は、写真撮影、考古学研究、出版活動、画家たちとの交流などで余生を過ごした。フランスはいうまでもなく写真術の発祥の地で、19世紀から20世紀にかけて多くの偉大な写真家たちを生み、多彩な活動が展開された。だがティオリエはパリを中心とした写真界の中心から距離をとっていたこともあり、これまでその仕事についてはほとんど知られていなかった。その作品のクオリティの高さが注目されるようになるのは、1986年にニューヨーク近代美術館で回顧展が開催されてからになる。
彼の作風は副題にもあるように「19世紀末ピクトリアリズム」ということになるだろう。だが、ロベール・ドマシー、コンスタン・ピュヨーなどの、同時代の純粋なピクトリアリズム=絵画主義の写真家とはやや異なる位相にあるように思える。たしかに絵画的でロマンティックな自然の描写が基調ではあるが、考古学に深い関心を寄せていたこともあって、8×10インチの大判カメラのピントは細部まできちんと合わされており、むしろ自然科学者のような緻密な観察力を感じさせる。さらに1900年のパリ万国博覧会の工事、故郷のサン=テティエンヌ、フォレ地方の農村地帯などの写真を見ると、彼は本質的にはドキュメンタリストの眼差しを備えた写真家だったようにも思えてくる。他にも史上初のカラー写真、オートクロームの実験などもしており、19世紀末から20世紀初頭にかけての写真史のさまざまな潮流が、この一地方作家の仕事の中に流れ込んでいる様が興味深かった。

2010/06/08(火)(飯沢耕太郎)

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原美樹子「Blind Letter」

会期:2010/06/04~2010/06/13

サードディストリクトギャラリー[東京都]

サードディストリクトギャラリーで5月から開催されてきた「そのままのポートレイトを見たい」というストリート・スナップの連続展示。気がついたら、阿部真士、星玄人、山内道雄の回は既に終わっていて、原美樹子の展覧会にようやく間に合った。原の次には6月15日~23日に川島紀良「Zephyros」展が開催される。スナップ写真がどんどん撮りにくくなっている状況を問い直そうとする、意欲的な企画だと思う。
さて、原美樹子は1990年代半ばから、ふわふわと宙を漂うような6×6判のカラー写真のスナップを発表し続けてきた写真家だが、初期から近作までかなりざっくりと構成した今回のような展示を見ると、その視線や画面構築のシステムの特徴がよく見えてくる。彼女が使っているカメラは1930~50年代にかけて製造されたスプリング式の6×6判カメラ、イコンタシックスだそうだ。現在のデジタルカメラのような精密機械ではなく、かなり「ゆるい」機構を備えたカメラだ。フィルムに光が入ることもあるし、ストラップが写ってしまったり、フレーミングが傾いたりした写真もある。このようなカメラをあえて使うことで、身体的な反応と実際にできあがってくる画像との間に微妙なズレが生じてくる。それが逆に思いがけない何かを「呼び込む」ことにつながっていくのではないだろうか。原のような日常スナップでは、いかにしてこの微妙なズレを保ち続けるかが重要になってくるが、彼女の場合、それを古いカメラのメカニズムに委ねているのだろう。そこにあの独特の間や余韻が生じてくる秘密があるのではないかと思う。

2010/06/04(金)(飯沢耕太郎)

三木義一「フォトジェニック」

会期:2010/06/01~2010/06/13

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

三木義一は企画ギャラリー・明るい部屋の創設メンバーの一人。今回の展示は、その真面目な仕事ぶりがよくあらわれた力作だった。会場には28点のモノクロームのポートレートが展示され、以下のような「撮影方法」が掲げられていた。
「暗幕の前にストロボを据え付ける。
他者Aに私の写真を撮ってもらう。
他者Aの写真を撮る。
他者Bに……同様に繰り返す。」
つまり、壁面の片側には三木が撮影した「他者」のポートレートが並び、反対側に「他者」が撮影した三木自身のポートレートが並ぶということだ。その対応関係は、2枚の写真がちょうど正対するように厳密に設定されている。
2つの壁では、やはり「私の写真」の方が圧倒的に面白い。それほど日を置いて撮っているわけではないし、ストロボの発光やモデルの位置もほぼ同じだから、あまり区別がつかない似たような写真がずらりと並ぶことになる。だが、その一枚一枚の微妙なズレが、なんとも居心地の悪い感触を引き出しているのだ。黒っぽく焼きすぎたプリントや、父親の写真だけを他のものとは切り離して並べた会場構成など、これでいいのかと思うこともないわけではないが、こういう試みはやってみないと何が出てくるかわからない。やりきった清々しさを感じることができた。

2010/06/04(金)(飯沢耕太郎)

佐原宏臣「何らかの煙の影響」

会期:2010/05/31~2010/06/12

表参道画廊[東京都]

この展覧会も「東京写真月間」の関連企画で、倉石信乃のプロデュースによって開催された。佐原宏臣は1990年代半ばに、同じく東京造形大学の学生だった森本美絵と『回転』という写真同人誌を刊行していた。そのうち何冊かは家を捜せばどこかにあるはずで、その端正な写真のたたずまいが記憶に残っている。それから15年あまり、編集アシスタントや卒業アルバム制作会社に勤めながら、写真を撮り続けていた。この「何らかの煙の影響」のように、独特の角度から生の断片を再組織する、彼らしいスタイルを確立しつつあるように思える。
「何らかの煙の影響」は2003~09年の間に亡くなった7人の親族の葬儀の場面を扱ったシリーズ。冠婚葬祭の行事を撮影した「私写真」的な作品はそれこそ山のようにあるが、佐原のアプローチはそれらとは微妙に違っている。他の写真家たちのように家族や親戚と自分との関係に焦点を結ぶのではなく、儀式の中に無意識的にあらわれてくる他者の表情や身振りの方に神経を研ぎ澄ましている様子が見て取れるのだ。倉石信乃が展示に寄せた文章で指摘しているように、それは佐原が「自身も葬儀のメンバーでありながら、儀式の余白において出来事を観察する」という絶妙の位置取りをしているためだろう。そのポジションをキープし続けることだけに神経を集中しているといってもよい。その不断の緊張の維持によって、ゆるいようで張りつめた、不思議なテンションの高さが写真の画面に生じている。同時に上映されていた映像作品「sakichi」(カラー、35分)にも、同じように観客をとらえて離さない緊張感が持続していた。

2010/06/02(水)(飯沢耕太郎)

Spring Open 2010

会期:2010/05/28~2010/06/02

BankART Studio NYK[神奈川県]

家人の土岐小百合(ときたま)が「ときたま1993─2010 コトバノチカラ」展(5月7日~30日)を開催していたので、5月にはかなりの頻度でBankART Studio NYKを訪れた。ちょうど2階、3階では4~5月期の「AIR」(アーティストインレジデンス)も催されており、25組のアーティストたちが2ケ月あまり滞在して作品制作をしていた。その成果を発表する「Spring Open 2010」も見ることができた。学生からかなり経験のあるアーティストまで幅があるので、面白い作品ばかりではない。だがこのような試みは、多くのアーティストや観客を巻き込むことで、さまざまな化学反応のような出会いを引き起こす可能性を秘めているのではないだろうか。
その中で、岡山県出身の写真家、藤井弘の作品「土地の方(ほう)へ 序章 横浜、鶴見、横須賀 06─10」が印象に残った。A5判くらいの小さな(だがかなり厚みのある)写真集の形で、ここ数年こだわり続けている「土地と人との関係」を写真とテキストによって構成している。基本的には横浜、鶴見、横須賀で出会ったいろいろな人たちに「いま住んでいる所をどう思いますか?」「故郷という言葉を聞いてどう思いますか?」という質問を投げかけ、その答えを丹念に記録していく作業だ。さらに「土地」の成り立ちを辿るために、古写真や幕末・明治期の図版なども挿入されている。写真のクオリティの高さにも注目すべきだが、むしろ日々の移動の軌跡と、そこから触発されて書かれたテキストとが多層的に重ね合わされることで、「土地」の姿が思いがけない角度から浮かび上がってくるのが興味深い。なかなか見応え、読み応えがあり、さらなる展開が期待できる仕事だと思う。なおBankART Studio NYKの「AIR」は6~7月期にも続けて開催される。

2010/05/30(日)(飯沢耕太郎)