artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

松岡一哲+川島小鳥 写真展「未来ちゃん」

会期:2010/04/08~2010/04/25

THERME GALLERY[東京都]

テルメギャラリーの「5ケ月連続2人写真展」の最後に開催されたのは、ギャラリーの主宰者のひとり、松岡一哲と、最近ポートレイトを中心に注目を集めはじめている川島小鳥の「未来ちゃん」。「未来ちゃん」というのはモデルになっている女の子の名前ではなく、「未来」のある子どもということだった。
松岡が撮影している岐阜のピアノ教室でバレエの練習をする「いおりちゃん」(ちょっと北朝鮮の女の子のようだ)も悪くないのだが、なんといっても川島撮影の佐渡島の「つばさちゃん」の存在感が際立っている。ぶっとい眉にリンゴのほっぺ、鼻を真っ赤にして青ばなを垂らすような女の子は、いまどきあまり見かけないのではないだろうか。昭和レトロチックな家と佐渡の寒々とした自然環境を、縦横無尽に行き来する野生児ぶりには目覚ましいものがある。子どもは本来、人間と動物と魔物のちょうど中間あたりの存在だと思うが、都会ではそういう子を見かけるのも稀になってきた。「つばさちゃん」はこうあってほしいという子どもの未来像の、ひとつのかたちを示しているように思う。川島のカメラワークも、何かに取り憑かれているように冴えわたっている。
なおテルメギャラリーから出版されている「THERME BOOKS」の第5弾として、川島小鳥『未来ちゃん』も同時刊行された。B6判の小ぶりな写真集だが、しっかりした造りでなかなかいい。

2010/04/09(金)(飯沢耕太郎)

木村恒久「キムラ・グラフィック《ルビ》展」

会期:2010/03/29~2010/04/10

ヴァニラ画廊[東京都]

普段はフェティッシュ/エロティシズム系の写真やイラストを中心に展示している東京・銀座6丁目のヴァニラ画廊で、やや珍しい展覧会が開催された。木村恒久は1960~64年に日本デザインセンターに所属するなど、戦後の日本のグラフィック・デザインの高揚期を担ったひとりだが、同時に「国家」「戦争」「イデオロギー」「都市」などをテーマにした、近代文明を痛烈に批判するフォト・コラージュ作品でも知られていた。今回の「キムラ・グラフィック《ルビ》展」では、まさに1930年代のジョン・ハートフィールドらの政治的、批評的なコラージュの流れを汲む、70~80年代の切り貼りによるフォト・コラージュ作品に加えて、60年代のクールでポップなグラフィック、ポスターなども展示されており、2008年に亡くなったこの過激なデザイナーの全体像が浮かび上がってくるように構成されていた。
だが、木村の真骨頂といえるのは、理知的な文明批判というだけではなく、どこか土俗的、魔術的な「情念」の世界にもきちんと目配りしていたことではないだろうか。1984年の舞踏集団「白虎社」のポスターの、どろどろとした百鬼夜行的なイメージの乱舞から見えてくるのは、彼が地の底から湧き上がってくるような土着の神々(俗神)のエネルギーの噴出に、大きな共感を寄せていたということだ。木村のユニークな仕事は、日本の写真・デザインの沈滞ムードを吹き払うひとつの手がかりになっていくかもしれない。

2010/04/09(金)(飯沢耕太郎)

明るい上映会

会期:2010/03/30~2010/04/11

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

東京・四谷のギャラリー、明るい部屋の「一周年記念」ということで開催されたスライドショー企画。同ギャラリーのメンバーである秦雅則、遠矢美琴、三木義一、小野寺南のほか、「これまで当ギャラリーの展示やワークショップに参加してくださった若手作家」(エグチマサル、中島大輔、古田直人、元木みゆき、渡邊聖子など)24名の作品を、A、B、C、Dの4つのグループに分けて連続上映している。全部見ると2時間近くなるのだが、けっこう面白い作品が多かったのでつい最後まで見てしまった。映像を一コマずつ流していく純粋なスライドショーもあるが、動画と組み合わせたり、音を入れたり、画像処理をしたりと、けっこう手の込んだものが多い。パソコンでの入力、出力や、プロジェクターの精度も上がってきているので、このような企画が簡単に成立するようになってきたということだろう。
ただ、作りやすく、発表しやすくなっているということは、ただの映像の垂れ流しになる危険も増しているということだ。実際に退屈きわまりなく、見続けるのが苦痛になってしまう作品も少なくなかった。逆にきちんとコンセプトを立てて作り込んでいったり、奇想天外なアイディアを膨らませたりしていけば、かなり面白くなる可能性もある。前者の代表がスライドショーという枠組みを逆手にとって、10分間同じ岩の写真を上映し続けた渡邊聖子の「否定」、後者の代表があまりにも不穏当過ぎて、ここでは詳細を書くことができないほどの破天荒な魅力にあふれる古田直人の「SCOTCH Magnetic Tape」ということになるだろう。特に古田の作品には度肝を抜かれた。彼の秘められた才能が思いがけないかたちで爆発している。

2010/04/08(木)(飯沢耕太郎)

甲斐扶佐義「Kyoto behind Kyoto 夢のパサージュ」

会期:2010/04/03~2010/04/14

コニカミノルタプラザ ギャラリーC[東京都]

甲斐扶佐義は1949年、大分生まれ。反戦運動に参加したあと京都・今出川に「ほんやら洞」という喫茶・スペースをオープンし、その経営のかたわらカメラを手に路上を散策してスナップを撮り続けてきた。もう一軒、木屋町に開業したバー「八文字屋」を訪れた女性たちを撮影してまとめた『八文字屋の美女たち』のシリーズをはじめとして、写真集も40冊以上刊行し、2009年には京都美術文化賞を受賞するなど、その存在は京都ではよく知られている。今回の展覧会はその受賞と仏文学者、杉本秀太郎との共著『夢の抜け口』(青草書房)の刊行にあわせてのもので、70年代以来の写真のプリントが壁いっぱいにピンナップしてあった。
甲斐の本領は、親しみやすいその人柄に呼び寄せられるようにカメラの前に立った人物や猫たちを、何の作為もなくすっと撮影することにある。40年以上も撮影していると、被写体との絶妙の距離感、シャッターを切るタイミングが自然体に身についていて、思わず顔がほころぶようなユーモラスな場面が多くなってくる。だが今回、そのようなわかりやすい日常スナップに加えて、どこか謎めいた、それこそ「夢の入口」を思わせるような感触の写真がけっこうあることに気づいた。写真展のDMや『夢の入口』の表紙に使われている、森のような場所を歩む老人と子どもたちのスナップもそんな一枚なのだが、ブレや揺らぎを含んだイメージに、彼のもうひとつの貌が浮かび上がってきているようでもある。シュルレアリスムへの接近とでもいいたくなるのだが、彼自身にはむろんそういう意図はないだろう。写真を撮り続けていると、むこうから勝手に「夢」が飛び込んできてしまうのかもしれない。

2010/04/07(水)(飯沢耕太郎)

西宮正明 映像言語展

会期:2010/04/01~2010/05/15

キヤノンギャラリー S[東京都]

西宮正明は1933年生まれで、日本広告写真家協会(APA)元会長、名古屋学芸大学メディア造形学部教授。写真界の重鎮といえるキャリアだが、その精神は若々しく、いまなおアーティスト魂がたぎっている。今回の「西宮正明 映像言語展」でも「フィルム粒子とピクセルの共棲」という興味深いテーマに真っ向から取り組んで、面白い展示を見せてくれた。
西宮は1960年代から、モノクローム・フィルムの増感現像による粗粒子表現に魅せられてきた。印画紙にプリントされた「フィルムの粒子は存在感豊かに限りなく美しい」ということだ。ところが、90年代後半から1億5千万画素というスキャナー式のハイエンド・デジタルカメラを使いはじめて、あらためてその表現の可能性に気づいたのだという。デジタルカメラで複写してプリントアウトすると、フィルムのざらざらの粒子がよりくっきりとシャープに見えてくる。しかもその粒子は、大きく拡大しても最後まで個性的なフォルムを保つ。つまり「フィルムとデジタルを共存させる」ことで、フィルム粒子の情報量をさらに引き出すことができるというわけだ。
このもくろみは、今回の展覧会で見事に成功したのではないだろうか。特に拡大を続けて、不定形なフィルム粒子が「風呂屋のタイル」のようなピクセルの集合に変わってしまう、その境界を見きわめる試みがスリリングだった。部屋の片隅に射し込む光や日常的なオブジェを撮影したスティル・ライフ(静物)の作品自体も、練り上げられた画面の構成力を充分に発揮した、見応えのある力作である。

2010/04/05(月)(飯沢耕太郎)