artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
王子直紀「牛島」/「外房」
- 牛島
- 会期:2009/07/14~2009/07/27
会場:新宿ニコンサロン[東京都] - 外房
- 会期:2009/07/12~2009/08/08
会場:photographers’ gallery
王子直紀の写真が変わりつつある。これまで発表してきた「XXXX STREET SNAPSHOTS」(2006)、「Cult of Personality」(2007~08)は典型的な都市の路上スナップだった。だが、今回発表した「牛島」のシリーズのために九州・吐 喇列島の平島を訪れたのをきっかけに、被写体の幅が大きく広がり、写真に何やら不穏な、奇妙に心揺さぶる波動が生じはじめているように感じるのだ。
とはいえ、撮影の方法論自体が大きく変わったわけではない。80ミリの、やや望遠気味の画角が狭いレンズを使い、画像の中心部を空白にして終焉部に「意味」のある被写体を押し込めていくやり方は、以前とほぼ同じである。だが、決定的な違いは、ヒトの営みと自然環境とのちょうど境界のあたりから、「牛」のような神話的な動物がぬっと姿をあらわしていることだろう。俗なるもののただ中から、聖なる異物が何の前触れもなく出現してくる様が、不可避的に写真の中に写り込んでくる。それをより積極的に引き受けようという姿勢が、王子のなかに生まれてきているようだ。
photographers’ galleryでほぼ同時期に開催された「外房」展でも、縦位置の写真の比率が上がっている(32点中25点)以外は「牛島」とアプローチの仕方にそれほど変わりはない。こちらは魚、鳥、鶏(鶏肉)などが、やはり神話的な形象として写真の中に取り込まれている。
2009/07/18(土)(飯沢耕太郎)
画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画
会期:2009/06/27~2009/08/23
神奈川県立近代美術館/葉山[神奈川県]
梅雨明けの強い夏の陽射しの中、神奈川県立美術館の葉山館をはじめて訪れた。海に面していて気持ちのいい環境。レストランのテラスからの眺めは、日本の美術館でも一、二を争うものだろう。
開催中の「画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画」展もなかなか充実したいい展示だった。近代絵画と写真との相関関係を浮かび上がらせる展覧会は、これまでもたびたび企画されてきた。だが本展は出品作215点余という規模においても、幕末から1930年代まできちんと目配りした作家及び作品の選定においても、この種の展示のエポックとなるものだろう。しばらくはこの展覧会を超える企画は成立しないのではないだろうか。
幕末~明治初期に島霞谷、横山松三郎、高橋由一、五姓田芳柳父子らが展開した、写真と絵画が一体化した活気あふれるアマルガム的な表現も面白いが、あらためて目を見張ったのは、大正から昭和初期にかけての「芸術写真」の時代の作品群のクオリティの高さである。「ピクトリアリズム」(絵画主義)のひと言で片付けられることが多いが、野島康三、日高長太郎、梅阪鶯里、有馬光城、渡辺淳らの高度な技術を駆使したプリントのレベルは、驚くべき高さに達している。その緻密な工芸品を思わせる画面構成の強度は、これから先に受け継いでいくべき貴重な遺産といえる。画像の処理能力が格段に上がったデジタル時代にこそ、「ネオ・ピクトリアリズム」が派生してくる可能性があるからだ。むしろ若い写真家たちにぜひ見てほしい展覧会である。
2009/07/14(火)(飯沢耕太郎)
鷹野隆大 公開制作「記録と記憶とあと何か」
会期:2009/05/23~2009/07/20
府中市美術館[東京都]
美術館の一室を、アーティストのアトリエとして開放する府中市美術館の公開制作シリーズ。鷹野隆大は府中市内をモノクロームのフィルムで撮影し、すぐに現像、プリントして展示するという試みをおこなった。期間中に開催された鷹野とのトーク・イベントに参加したのを機会に、壁全面に展示されている作品を見ることができた。
モノクロームでの作品制作は、鷹野にとってもひさしぶりだったという。だがモノクロームの抽象化の作用によって、被写体となる風景のディテールを、しっかりと構造的に把握することが可能となっていた。その結果として見えてきたのは、府中という街の特異な歴史性の蓄積である。もともと弥生時代には既に人が住みついており、のちに国府が置かれることになるこの街のあちこちに、地霊のようなものが立ち上がってくる気配を感じとることができる。さらに近代以降も、刑務所や競馬場や霊園のようなやや特異な社会的機構が絡み合うことで、他にあまり類を見ない厚みのある、多層的な眺めを見ることができる。そのすべてを、短い期間に「記録と記憶」として封じ込めるのは不可能だが、今回の展示では充分にその片鱗を伺うことができた。
それにしても、このところの鷹野の活動ぶりは目を見張るものがある。論理的な構築力(男性原理)と鋭敏で柔らかな受容性(女性原理)を兼ね備えた彼の写真は、ますます面白くなってきている。
2009/07/12(日)(飯沢耕太郎)
廣見恵子「DRAG QUEEN ジャックス・キャバレーの夜」
会期:2009/07/03~2009/07/31
gallery bauhaus[東京都]
廣見恵子は1980年生まれ。1999年に渡米し、大学、大学院でフォト・ジャーナリズムを専攻した。今回が日本での初個展である。撮影のテーマは、ボストンのキャバレーで夜ごとパフォーマンスをおこなっているドラッグ・クィーンたち(女装のゲイ)。日本でも風俗として定着しつつあるが、やはり本場は迫力が違う。特に毒蛾を思わせるけばけばしい化粧と衣装で、過剰に女性性を強調する黒人のドラッグ・クィーンの強烈な存在感は、圧倒的としかいいようがない。
彼女のコントラストの強いモノクロームのプリントは抑制が利いており、被写体との距離感もきちんと保たれている。特に広角レンズ(16~42ミリ)の画角の広さと被写界深度の深さを巧みに利用した楽屋裏の群像は、ひしめき合う肉体とモノの連なり具合、重なり具合が絶妙で見応えがある。廣見がアメリカの正統的なドキュメンタリー・フォトの方法論を、しっかりと学び取った成果がよくあらわれているといえそうだ。逆にいえば、被写体との関係がどこか優等生的で、こだわりや危うさがあまり感じられないともいえる。もう少し被写体との距離を詰めて、身についた撮影やプリントの手法を踏み外したシリーズを見てみたい気もする。
2009/07/11(土)(飯沢耕太郎)
エア・ヴァスコ「Defining Darkness」
会期:2009/06/27~2009/08/09
G/P GALLERY[東京都]
恵比寿のG/P GALLERYでも、ヘルシンキ・スクールの若手作家であるエア・ヴァスコ(1980年生まれ)の個展が開催されていた。2005年から一年間、武蔵野美術大学にも留学経験があるというヴァスコの作品は、他の写真家たちとは違って、フィンランドの自然環境とは切り離された、より内面的な抽象世界を形成しており、同じヘルシンキ・スクールといってもそのスタイルや題材にかなりの幅があることがわかる。
彼女が「暗闇」(darkness)にこだわるのは、少女時代の記憶にその源泉がある。「カーテンの影や床に散らばった服の生地で形づくられた幽霊やスパイ、モンスターのようなもの」が、暗闇を写真によって「定義」(define)し直すことで、ふたたび画面の中に召喚されるのだ。事物の表層的な色彩や質感にこだわるヴァスコ写真の感触は、日本の同世代の小山泰介や西澤諭志とも通じるものがあるように感じる。世の東西を問わず、似たような物の見方があらわれてきているのだろうか。
2009/07/09(木)(飯沢耕太郎)