artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

トヨダヒトシ『NAZUNA』

会期:2009/09/11

横須賀美術館[神奈川県]

ニューヨーク在住のトヨダヒトシは、スライドショーでしか作品を発表しない写真家。日々撮影した映像を一枚ずつ、等間隔で映し出すだけで、音楽等は一切使わない。ただし時折短い言葉(思考の断片、登場人物のプロフィールなど)が挟み込まれる。そのような上映が80~90分も続くというと、退屈するのではないかと思われるかもしれないが、まったくそんなことはない。僕は彼のスライドショーを3~4回見ているのだが、いつもその流れに引き込まれ、彼の眼差しと同化して満ち足りた時間を過ごす。あえて写真集やDVDなどに作品を収録して公表することを避けているので、まだ「知る人ぞ知る」の存在だが、それでも少しずつトヨダの名前は知られてきている。映像の選択と構成に、紛れもなく独特のセンスがあり、一度見ると癖になってしまうところがあるのだ。
今回、横須賀美術館の中庭にスクリーンを立てて上映された『NAZUNA』は2005年の作品。チラシによれば以下のような内容である。
9.11.01/うろたえたNY/11年振りの秋の東京を訪れた/日本のアーミッシュの村へ/アフガニスタンへの空爆は続く/ただ、/やがて来た春/長くなる滞在/写真に撮ったこと、撮らなかったこと、撮れなかったこと/白く小さな/東京/秋/雨/見続けること
そこには時代や歴史を動かしていく流れがあり、永遠に変わらないような暮らしがあり、かかわりの深い人間の生と死があり、それらを包み込む自然や季節の変化がある。トヨダのスライドの中には、同時発生的に生成/消滅していく、複数の生と死のシステムが組み込まれており、カシャ、カシャという微かな音ととともに、それらが闇に一瞬浮かび上がって、移り変わっていくのだ。「見続けること」という小さな、だが強い思いは、スライドを見ていくうちにごく自然に観客に共有されていくようだった。トヨダの作品については、言葉で解説するのはとてもむずかしいので、ぜひ機会があったらスライドショーに足を運んでほしい。
なお、タイトルの「NAZUNA」は、「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という芭蕉の句からとられている。9月12日には同じ会場でトヨダの別の作品『spoonfulriver』(2007)、13日には『An Elephant’s Tail』(1999)も上映された。

2009/09/11(金)(飯沢耕太郎)

稲越功一「心の眼」

会期:2009/08/20~2009/10/12

東京都写真美術館 地下1階展示室[東京都]

北島敬三展と同時期に、同じ東京都写真美術館で稲越功一の展覧会が開催されているのが興味深かった。稲越といえば有名女優のポートレートや広告・ファッション系の写真家というイメージが強いが、実はシリアスなスナップショットの写真集も、デビュー作の『Maybe, maybe』(1971)以来何冊も出している。今回の展示は『meet again』(1973)、『記憶都市』(1987)、『Ailleurs』(1993)など、それらの代表作約130点を集成した展示である。
北島と比較すると、いかにも古風な佇まいのスナップショットであり、ここには明らかに自己─カメラ─世界の構造が明確に透けて見える。彼がどの位置に立っているのか、どんな「心の眼」で世界に視線を送っていたのかがすんなりと見えてくるのだ。稲越の好みの立ち位置は、くっきりとした手応えを備えた事物の世界と、不分明で曖昧な現象の世界とのちょうど境目のあたりらしい。近作になればなるほど、ぼんやりとした、何が写っているのか見境がつかないような濃いグレーのゾーンが、画面全体を覆いつくすようになってくる。その正体を彼自身も見きわめようとしていた様子がうかがえるが、残念なことに今年2月に急逝してしまった。「写真家・稲越功一」の像にようやくきちんとフォーカスが合ってきた矢先だったので、無念だっただろう。デビュー写真集の出版元だった求龍堂から、展覧会にあわせて瀟洒な造本の同名の写真集も出ている。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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北島敬三 1975-1991

会期:2009/08/29~2009/10/18

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

北島敬三のコザ(沖縄)、東京、ニューヨーク、東欧、ソ連でのスナップショット、200点近くを集成した回顧展。手法を微妙に変えつつも、出合い頭の一発撮りに徹した作品群がずらりと並ぶ。特に興味深かったのは東京のパート。1979年に毎月10日間、12回にわたって「イメージショップCAMP」で開催された「写真特急便─東京」の展示風景のスナップ写真である。現像液を染み込ませたスポンジで、壁に貼った印画紙をその場で現像・定着するという伝説のパフォーマンスにあふれ出している、無償のエネルギーの噴出はただ事ではない。
展示を見ながら感じたのだが、北島にとっての最大のテーマのひとつはスナップショットにおける「自己消去」ということではないだろうか。スナップショットは基本的に自己─カメラ─世界という関係項によって成立する。撮影することによって、世界の中に位置する写真家の存在が少しずつ、あるいは一気に浮かび上がってくるということだ。ところが北島は最初から、撮影者としての自己の影をなるべく画面から放逐し、被写体の好みや画像構成の美学もニュートラルなものに保とうとして腐心してきた。初期においては意識的な画面作りを回避するため、ノー・ファインダーやストロボ撮影が多用される。後期ではあたかもわざと下手に撮られた記念写真のような、強張ったポーズ、画面全体の均質化が貫かれる。その「自己消去」への身振りが高度に組織化され、潔癖な清々しささえ感じさせる強度に達したのが、1983年に第8回木村伊兵衛写真賞を受賞した「ニューヨーク」のシリーズだった。
この「自己消去」によって北島が何をもくろんでいるかといえば、その時点における都市と人間、そしてそれらを包み込む時代のシステムを、自己という曖昧なフィルターを介することなくクリアにあぶり出すことだろう。確かに1970年代のコザと東京、80年代のニューヨークと東欧、90年代のソ連の社会・経済・文化などのシステムが、彼の写真群からありありと浮かび上がってくるように感じる。むろんそのシステムは、人々の無意識的な身振りの集積をつなぎ合わせることで、ようやくおぼろげに形をとってくるような、あえかな、壊れやすい構造体である。北島は90年代以降、緊張感を保ちつつスナップショットを撮り続けていくデリケートな「自己消去」の作業を、これ以上続けるのはむずかしいと感じたのではないだろうか。その結果として、あのガチガチに凝り固まった「PORTRAITS」のシリーズに至る。「PORTRAITS」では「自己消去」はあらかじめ作品制作の手順のなかに組み込まれているため、スナップショットの不安定さや曖昧さを耐え忍ぶ必要はなくなる。
スナップショットから「PORTRAITS」への転身は、それゆえ必然的なものだったというのが、今回展示を見て感じたことである。だがそれは同時に、論理的な整合性の辻褄合わせに見えなくもない。スナップショットという揺らぎの場所に身を置きつつ「自己消去」を進めていくことは、本当に不可能なことなのだろうか。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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TOKYO PHOTO 2009

会期:2009/09/04~2009/09/06

ベルサール六本木1F・BF[東京都]

写真作品だけを展示する本格的なアート・フェアは日本でははじめてではないだろうか。ようやく実現したこの画期的な企画が、来年以降も継続することを強く望みたい。ただ、まだ初日だったので最終的な結果はわからないが、観客の数は多いものの、作品の販売・購入にはあまり結びついてはいないようだ。
会場は二部構成で、1Fが「PHOTO AMERICA」ということで、サンディエゴ写真美術館のディレクター、デボラ・クロチコが選出したアメリカの近代写真、現代写真の展示を中心にいくつかのギャラリーが出品していた。BFは日本及び香港のパートで、18あまりのギャラリーが参加。ほかにアドバイザリー委員会のメンバーのひとりである後藤繁雄と写真雑誌『PHOTOGRAPHICA』が選定した「TOKYO PHOTO FRONT LINE」という枠で、若手作家8人(頭山ゆう紀、塩田正幸、津田直、山口典子、小山泰介、前田征紀、高木こずえ、福居伸宏)の作品が特別展示されていた。
展示の雰囲気はすっきりしていて悪くない。だが国内の主要ギャラリーのうち参加していないところも多く(たとえば、Taka Ishii Gallery、ギャラリー小柳、RAT HOLE GALLERY、フォト・ギャラリー・インターナショナルなど)、やや活気に欠ける。それでも、大阪のギャラリーのMEMのスペースに展示されていた、1930年代の関西前衛写真の主要な担い手のひとりであった椎原治のヴィンテージ・プリント、SCAI THE BATHHOUSEの斎木克裕や長島有里枝(水島の石油コンビナート!)の新作など、注目に値する作品に出会えたのは収穫だった。次回開催が可能なら、そこでどれだけのクオリティ、テンションを保てるかが勝負だろう。

2009/09/04(金)(飯沢耕太郎)

山崎弘義「DIARY」

会期:2009/08/20~2009/09/06

UP FIELD GALLERY[東京都]

山崎弘義は1956年生まれ。1980年代に森山大道に師事し、ストリート・スナップを中心に発表してきた。だが父や母の介護のため、写真活動を断念せざるを得ない状況に追い込まれ、今回が12年ぶりの個展になる。「DIARY」は2001年9月4日から、認知症の母のポートレートと自宅の庭の一隅を、毎日「日記的に」撮影し続けたシリーズである。母が亡くなる2004年10月26日まで、全部で1,149カット撮影され、会場にはそのうち40点(2枚組)が展示してあった。
ちょうど台風の大風と大雨が吹き荒れる日だったのだが、展示の雰囲気はとても穏やかで、優しい空気に包み込まれている。この種の「闘病もの」の写真にありがちな押し付けがましさが感じられず、山崎が祈るようにこの2枚だけを毎日撮影していった、その行為の痕跡が淡々とそこに置かれているのだ。とにかく必死に2カットを撮るだけでせいいっぱいで、他にシャッターを切る余裕はまったくなかったのだそうだ。むしろそのことが、過剰な感情移入をうまく回避することにつながったのではないだろうか。
展示はこれでいいが、1,149カットの厚みを体現できるような写真集も見てみたい。写真集を通常の形で印刷・出版するのは物理的に無理そうだが、出力したプリントを綴じ合わせるような私家版の形ならできそうな気もする。ぜひ実現してほしい。

2009/08/31(月)(飯沢耕太郎)