artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

有元伸也「WHY NOW TIBET」

会期:2009/10/06~2009/10/11

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

有元伸也は、1999年に刊行した写真集『西蔵(チベット)より肖像』(ビジュアルアーツ専門学校)で第35回太陽賞を受賞した。それから10年、今回の展示には雑誌の取材でふたたびチベット奥地の街、石渠(セルシュ、チベット語ではザチュカ)を訪れて撮影した写真が並んでいた。
被写体に真正面から6×6判のカメラを向けて撮影し、深みのあるモノクロームのプリントに仕上げていく手法はまったく同じで、そこに写っている住人たちの姿もあまり変わりないように見える。ただ、よく見ると、街には新しい建物が増えており、馬をオートバイに乗り換えた若者たちの姿も目立つ。それよりも「チベットの風景や人は変わらないが、一番変わったのは自分自身」という、有元本人の言葉の方が興味深かった。たしかにある種の衝動に突き動かされるように、真冬のチベットの大地を彷徨いつつ撮影された10年前の写真の切迫感と比較すると、今回のシリーズの被写体との対峙の仕方には余裕があるように感じる。
だが、僕はそのことを否定的にとらえることはないと思う。こうして間をおいて撮り続けることで、有元自身とチベットの変貌が、絡み合いつつ膨らんでいくような、厚みのあるドキュメンタリーが形をとってあらわれてくる予感があるからだ。それは同時に、彼が現在取り組んでいる「新宿」のシリーズを、別な角度から照らし出す光源にもなっていくだろう。

2009/10/08(木)(飯沢耕太郎)

宮下マキ『その咲きにあるもの』

発行所:河出書房新社

発行日:2009年10月5日

1975年生まれの宮下マキは、まさに90年代の「女の子写真」世代の写真家。2000年に刊行した『部屋と下着』(小学館)も、若い女性のプラーベート・ルームを撮影するという話題性で注目された。
だが、僕は以前から彼女はいいドキュメンタリー写真家になる資質を備えていると睨んでいた。被写体に密着し、時間と空間を共有しながら、粘り強く長期にわたって撮影を続けていく。その才能は、この『その咲きにあるもの』でも充分に発揮されている。タイトルがわかりにくいのが難ではあるが、内容的にはとてもストレートな、気持ちのいいドキュメントだ。被写体になっているのは「洋子」という二人の子どもがいる女性。乳癌が発見され、乳房の切除及び再建手術を3回にわたって受ける。その間の彼女の身体や表情の変化、周囲の反応、そして季節の巡りが、センセーショナリズムを注意深く避けて淡々と描写されていく。
「いつも私とカメラの間には。ほんの短いズレがある。/ずっと、それを恥ずかしいことだと思っていた。/でも、今は違う。/今はそのズレを感じていたい。/喜びも、痛みも、生きることも、死ぬことも、少し後に感じていたい」。「ズレ」や「揺らぎ」を含み込んだ、女性形のドキュメンタリーのあり方を、宮下はしっかりと、誠実に模索し続けているのではないだろうか。

2009/10/07(水)(飯沢耕太郎)

山中学『羯諦』

発行所:ポット出版

発行日:2009年9月10日

1989年に東京・有楽町の朝日ギャラリーで開催された山中学の個展、「阿羅漢」のことはよく覚えている。ホームレスの男たちを正面から見据えたポートレートが、和紙のような大きめの紙にやや粗い粒子を強調してプリントされ並んでいた。手応えのある被写体に肉迫したいという表現の意図はよく伝わってきたが、そのたたずまいは神経を逆撫でされるようで、あまり気持ちのいいものではなかった。仏教用語を使ったタイトルも、ややとってつけたように感じた。
ところが、今回送られてきた写真集『羯諦』のページをめくって、山中がその後、驚くべき粘り強さと忍耐力を発揮して、「阿羅漢」のテーマを展開していることを知った。「不浄観」「羯諦」「童子」「浄土」「無空茫々然」と、25年以上わたってシリーズを重ねていくごとに、テーマは深められ、表現は繊細に、そして簡潔で力強いものになってくる。「奇形」の肉体に真っ向から取り組んだ「浄土」や「無空茫々然」は、いろいろ物議を醸すこともあるかもしれないが、写真を通じて生命と物質の境界を問いつめる作業の、極限値がここにあるといってよいだろう。写真集の造本・レイアウトもとても細やかで丁寧にできあがっている。

2009/10/07(水)(飯沢耕太郎)

野島康三──肖像の核心 展

会期:2009/09/29~2009/11/15

渋谷区立松濤美術館[東京都]

京都で見逃した野島康三展を東京で見ることができるのはありがたい。といっても、展示の内容は少し違っていて、今回はポートレートを中心に野島の作品世界を浮かび上がらせようとしている。ただ、未公開作も含めて肖像やヌード以外の作品も充実しており、「生誕120年」記念にふさわしい堂々たる回顧展である。
あらためて感じたのは、写真作家としての真摯な、それこそ肩を怒らせて生真面目に表現の深みを追求しようとする野島とは別に、資産家の息子に生まれ、お金にも気持ちにも余裕がある、「ディレッタント」としての野島がいたということだ。野外で撮影されたピクニックのスナップ、「すいやう会」と称される野島邸でのパーティの記念写真などを見ると、彼が生活や社交を心から楽しみつつ日々を送っていたことがよくわかる。そういうブルジョワ紳士としての野島と、彼のあの激しく力強い肖像やヌードとの落差もまた、興味深い謎といえるのではないだろうか。同時に刊行された『野島康三 作品と資料集』(渋谷区立松濤美術館)は、戦前・戦後の書簡、文章などを網羅した労作。今後の野島研究の進展に大いに貢献するだろう。

2009/10/01(木)(飯沢耕太郎)

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SHOJI UEDA 1913-2000 写真家・植田正治の軌跡

会期:2009/09/19~2009/11/30

植田正治写真美術館[鳥取県]

鳥取県西伯郡伯耆町の植田正治写真美術館に出かけてきた。カフェトークということで、ラウンジでコーヒーを飲みながら「植田正治とその時代」の話をするという、おしゃれなイベントに講師として招かれたのだ。植田正治美術館は1995年に開館。高松伸設計のコンクリート打ちっぱなしの建物は、植田の戦前の名作「少女四態」(1939)を象ったユニークな外観である。2000年の植田の歿後も、しっかりとした企画の展示を続けてがんばっている。ただ、交通の便があまりよいとはいえないので、集客には苦労しているようだ。名峰、大山の麓の素晴らしい環境なので、ぜひ一度といわず二度でも三度でも足を運んでほしい(12月、1月、2月は冬期休業)。
さて、今回の展示は2005~2008年にスペイン、スイス、フランスの6会場を巡回した展覧会がもとになっている。フランスの写真評論家、ガブリエル・ボーレが、1週間美術館の収蔵庫に通い詰めて選んだという作品は、初期から晩年に至る植田正治の作品世界をバランスよく概観することができる。特に、あまり注目されてこなかった1970~80年代の「風景の光景」シリーズや、最晩年の「黒い海」(1999)の連作など,植田の新たな側面にスポットを当てていて、なかなか興味深い展示だった。こうして見ると、植田の作品がいまヨーロッパの観客に、「植田調」(UEDA-CHO)と称されて驚きの目で迎えられている理由がわかるような気がする。そのどこかドライで、くっきりとしたフォルムを保った写真空間の構築は、まったく日本人離れしていて、フランスやイタリアの作家のようなのだ。鳥取県という「地方」で活動しながら、その視点は国際的に充分通用する高みに達していた。これは痛快な生き方だと思う。

2009/09/27(日)(飯沢耕太郎)