artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
プレス・カメラマン・ストーリー
会期:2009/05/16~2009/07/05
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
「プレス・カメラマン」という言葉は、やや複雑な思いを引き出してしまう。第二次世界大戦中から戦後にかけては、新聞社や雑誌のカメラマンは時代の花形で、社会的な影響力も大きかった。写真を職業として志す若者の多くが、ロバート・キャパや沢田教一のような戦場カメラマンに憧れた時代があったのだ。だがベトナム戦争以後、報道の主力が写真からテレビやインターネットに移行するにつれて、「プレス・カメラマン」の存在感は次第に薄れていってしまう。今回の展覧会は、その黄金時代を支えていた朝日新聞社の5人のカメラマン、影山光洋、大束元、吉岡専造、船山克、秋元啓一の仕事にスポットを当てるものである。それに加えて、7万点以上に及ぶという朝日新聞社所蔵の「歴史写真アーカイブ」からピックアップされた、日中戦争とベトナム戦争を記録した写真も展示されており、「プレス・カメラマン」の仕事の光と影がくっきりと浮かび上がってきて見応えがあった。
朝日新聞社写真部の「三羽烏」と称された大束元、吉岡専造、船山克の写真を見ると、それぞれの写真家としての資質や姿勢が、作品にもきちんとあらわれている。大束の洒脱な才気、吉岡のドラマ作りのうまさ、船山のしっとりとした詩情──カメラマンの個性はむしろ報道の現場では抑圧されることが多いのだが、この時代の写真家たちは『アサヒカメラ』の口絵ページなどを通じて、自分のスタイルをきちんと確立しようとしている。そのあたりも、報道写真に翳りが見えてくる1970年代以降にはむずかしくなっていったということだろう。3階展示室で同時に開催された「旅 第一部東方へ」を見ても感じたのだが、東京都写真美術館の収蔵品を中心とした展覧会も、けっこう面白いものが増えてきた。学芸員たちに、手持ちの札を上手に使いこなす力量がついてきたということだろう。
2009/06/21(日)(飯沢耕太郎)
島尾伸三「中華幻紀──WANDERING IN CHINA」
会期:2009/06/13~2009/06/21
PLACE M[東京都]
2008年に刊行された写真集『中華幻紀』(usimaoda 発売=オシリス)からピックアップした展示。もう20年以上も前の写真が多いので、フィルムが劣化し、プリントの全体に淡い緑色の薄膜のようなものがかかっている写真が多い(展示用のラムダプリントの制作は台湾で行なわれた)。だがそれが、逆に記憶のなかで色褪せていく光景を目で愛でているような、微妙な質感を醸し出している。ふらふらと漂うヒトやモノが、実体を失った心霊写真のようにも見える。中国の各都市の、どちらかといえば猥雑な情景が、「聖なる」と言いたくなるようなほのかな微光を放って見えてくるのは、島尾の「そのように見たい」という願望のあらわれだろうか。
プリントした作品の選別は、ギャラリーを主宰する瀬戸正人によるものという。悪くないが、島尾自身が選ぶと、もっと歪んだバイアスがかかった面白いものになったのではないだろうか。あわせて写真集に掲載されていた、たとえば「透過光/いつまでも飢餓感を抱いて景色を眺め、」「演出空間/実存さえも未発見気体(エーテル)のように手応えのなく、」といった、魔術的なレトリックを駆使したキャプションが割愛されているのが惜しまれる。
2009/06/17(水)(飯沢耕太郎)
北島敬三『JOY OF PORTRAITS』
発行所:Rat Hole Gallery
発行日:2009年5月
Rat Hole Galleryから北島敬三「PORTRAITS」展に合わせて刊行された分厚い写真集が届いた。「PORTRAITS 1992-」の巻と、「KOZA 1975-1980」「TOKYO 1979」「NEW YORK 1981-82」「EASTERN EUROPE 1983-84」「BERLIN, NEW YOYK, SEOUL, BEIJING 1986-1990」「U.S.S.R. 1991」というスナップショットを集成した巻の二部構成、700ページを超えるという大著であり、これまでRat Hole Galleryから出版された写真集のなかでも、最も意欲的な出版物の一つといえるだろう。ずっしりとした重みとハードコアな内容は、これだけの本をよく出したとしかいいようがない。
とはいえ、特に「PORTRAITS」のシリーズについて、展示を観たときに感じたすっきりしない思いが晴れたかといえば、どうもそうではない。倉石信乃による懇切丁寧な解説を読んでも、なぜ北島があらゆる意味付けを拒否するような「『顔貌』それ自体の出現・露呈」にこだわらなければならないのか、まったく理解できないのだ。
倉石が詳しく跡づけているように、白バック、白シャツ、正面向き、というような厳しい条件を定め、なおかつあまり特徴のない「壮年」の人物(老人、子ども、外国人、極端なデブなど特徴のある容貌は注意深く排除される)を選別することによって、見る者の想像力は北島が設定した水路の中に導かれ、それ以外には伸び広がらないように限定される。それはポートレートにまつわりつく「エキゾティシズム」を潔癖に拒否するという志向のあらわれだが、そもそもなぜ「エキゾティシズム」をここまで悪役に仕立てなければならないのか。さらにいえば、それならなぜ「エキゾティシズム」の極端な肥大化というべき彼自身のスナップショットを、わざわざ同じ写真集に別巻としておさめているのか。最近のインタビューで、北島は「『PORTRAITS』と同じような手つきで、スナップショットの写真も扱えるのではないか」(『PHOTOGRAPHICA』Vol.15 2009 SUMMER)と述べているが、その「手つき」とはいったい何なのか。この試みは、倉石が指摘するようにある種の「アーカイブ」の構築なのだが、その「アーカイブ」はいったい誰のためのものなのか。それがモデルのためでも、観客のためでも、ましてや未来の人類のためでもないのはたしかだろう。北島敬三による北島敬三のための「アーカイブ」、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。疑問は尽きない。
2009/06/17(水)(飯沢耕太郎)
写真◎柳沢信
会期:2009/06/02~2009/06/28
JCIIフォトサロン[東京都]
柳沢信という名前を、若い世代は知らないかもしれない。1936年、東京・向島生まれ。東京写真短期大学卒業後、58年に「題名のない青春」という洒落たタイトルのシリーズでデビューするが、結核で2年間の療養生活を送る。病がようやく癒え、60年代半ばから『カメラ毎日』を中心に「二つの町の対話」(1966)、「新日本紀行」シリーズ(1968)、「片隅の光景」(1972)などを発表。タイトルが示すように、旅の途上で目に入ってきたさりげない光景を、飄々と、静かに哀感を込めて写しとったシリーズで注目を集めた。同時代の「コンポラ写真」との類縁性を指摘されることもあるが、基本的には孤立した水脈を全うした写真家といえるだろう。2008年、喉頭癌、食道癌による長い闘病生活を経て死去。写真集として『都市の軌跡』(朝日ソノラマ、1979)、『写真◎柳沢信』(書肆山田、1990)が残された。
その彼の1960~70年代の代表的なシリーズを集成したのが今回の回顧展である。高度経済成長下の騒然とした時代だったはずなのに、過度な感情移入を潔癖に拒否して、淡々と撮影されたスナップショットは、猥雑な部分が削ぎ落とされ、不思議に清澄な印象を与える。人柄があらわれているとしかいいようがない。スナップショットを通じて「写真」の広がりと深み(渋みや苦味も含めて)を探求しようとしていた求道者の面影が、しっかりと伝わってくる。カタログを兼ねた小冊子もJCIIフォトサロンから刊行されている。若い人たちにぜひ見てほしい写真群だ。
2009/06/12(金)(飯沢耕太郎)
韓国若手作家による「4つの方法」
会期:2009/06/08~2009/07/02
ガーディアン・ガーデン[東京都]
ガーディアン・ガーデンで1994年から開催されている「アジアンフォトグラフィー」シリーズの第6弾。今回は韓国の写真評論家、キム・スンコンのキュレーションで、韓国の「若手作家」4人の作品を紹介している。
出品しているのはユー・ジェーハク、キム・オクソン、パク・スンフン、クォン・ジョンジュン。大地に繁茂する植物群を大判カメラで静かに凝視するシリーズ(ユー)、国際結婚したカップルを自室で撮影したポートレート(キム)、16ミリフィルムの画像を織り込むようにして構成した都市の光景(パク)、林檎をクローズアップした写真を箱形に再構成した立体作品(クォン)と、制作のスタイルはバラバラで、まったく統一感がない。韓国でも、90年代のように、ある一つのスタイルが一世を風靡して強い影響力を持つような時期は過ぎ去ってしまったのだろう。
以前は韓国の現代写真というと、荒々しいエネルギーを全面に押し出した力強い作品が多かった。それが、今回の作品を見ると、洗練され、細やかな配慮が感じられるものになっている。そのやや弱々しく、おとなしい傾向は日本の美術系大学の出身者にも共通しているものだが、本当にそれでいいのかとちょっと心配になってくる。韓国写真の「日本化」は、あまり望ましいこととはいえないだろう。それともこの過渡期を経て、何か新たなうごめきが湧き起こってくるのだろうか。
2009/06/12(金)(飯沢耕太郎)