artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

小林のりお「アウト・オブ・アガルタ」

会期:2009/09/15~2009/09/28

新宿ニコンサロン[東京都]

小林のりおは1990年代の末から、主に自分のウェブ・サイトで作品を発表するようになった。その軽やかに浮遊する写真表現は、多くの写真家たちに刺激を与え続けてきたのだが、彼自身はギャラリーや美術館での展示にも、パソコンの画面とは別な表現の可能性を感じているようだ。特にデジタルカメラやプリンターの進化で、プリントのクオリティは数年前に比べて格段に上がっており、展示にも自信を深めている様子が伝わってきた。
今回の「アウト・オブ・アガルタ」(2006~09)のシリーズは、青いポリバケツ、コカコーラの空き瓶など、身近な事物や光景をやや寄り気味に撮影したものが中心で、くっきりしすぎるほど鮮やかな色味とテクスチャーでプリントされている。タイトルの「アガルタ」には幻の地底王国という意味がある。小林の思惑では、楽園から遠く離れたかに見える現在の世界においても、網膜を強烈に刺激する人工楽園のイメージを呼び起こすことができるということだろう。小林は、やや逆説的な意味合いを込めて「デジタルリアリズム」という言葉を使っているのだが、たしかにそこには、いま世界はこのようにしか見えようがないというリアルさがある。
何枚か、水に落ちて死んでいる蛾や甲虫を撮影した写真があり、いやおうなしに宮本隆司の「Kobe 2008 bugs」のシリーズを想い起こした。「明るい無常」とでもいうべき感覚が、両者に共通しているように思える。

2009/09/19(土)(飯沢耕太郎)

宮本隆司「草・虫・海」

会期:2009/09/18~2009/10/17

TARO NASU[東京都]

宮本隆司は、ある日、勤務先の神戸芸術工科大学のキャンバスの地面に、ウグイスとスズメバチの死骸が落ちているのに気づいた。それを拾い上げたとき、ふと印画紙の上に置いて光を当て、フォトグラム作品にすることを思いつく。
夏の間、セミ、蝶、蟻、蚊などの昆虫の死骸を集めては、フォトグラムを作り続けた。縦位置の画面に虫の影が垂直に並べられ、どこかモニュメントを思わせる雰囲気を醸し出している。
「Kobe 2008 bugs 」と名づけられたこのシリーズが、1995年の阪神・淡路大震災の記憶を踏まえた鎮魂のイメージとして作られているのは明らかだろう。それは同時に展示されていたフォトグラム作品「Grass」が、同じ年に起こったもうひとつの大きな出来事、オウム真理教のサティアン跡に生えていた草を印画紙の上に置いて制作されていることからもわかる。歴史を個人的な営みによって照射しようとする視点が、これらの作品にはある。
とはいえ、そのやり方は、決して声高で押し付けがましいものではなく、慎ましやかでさりげなく、しかもチャーミングだ。虫たちが原寸大の大きさに留まっていること(蟻や蚊はほんの小さな点だ)と、フォトグラムの自然のフォルムを忠実に、だが実に細やかに写しとる力が相まって、静かな、説得力のある祈りの形に昇華されている。宮本にとっては、大作の間の息継ぎのような仕事だが、これはこれで魅力的だった。

2009/09/18(金)(飯沢耕太郎)

米田知子「Rivers become oceans」

会期:2009/09/05~2009/10/03

ShugoArts[東京都]

米田知子の、バングラディッシュ・ビエンナーレ(2008)出品作からピックアップした新作展。南の国の風景や人物を題材にしているためだろうか。これまでの彼女の作品とはやや肌合いが違う。
1971年の激しい独立戦争の記憶が作品の背景にあり、戦争やサボタージュに参加した市民のポートレート、現在のダッカで撮影されたスナップなどが展示されている。そして、それらを包み込み、押し流していく自然の力の象徴として水や河のイメージが配置される。これまでの作品のように、練り上げられたコンセプトによって、細部まで緊張感を保ってきっちりと構成されている写真はむしろ少なく、ゆるく柔らかな空気感があらわれているものが多い。インクジェットプリントを、壁に直接貼付けた展示については、賛否両論があるだろう。たしかに作品一点一点の強度は落ちるが、全体としては気持ちよく心を満たす眺めになっている。バングラディッシュ・ビエンナーレの展示風景の資料写真を見ると、もっと写真の数が多く、壁全面にちらばっているようなインスタレーションだった。ギャラリーの天井がやや低いので、限定された数しか展示できなかったのが残念だ。昨年の原美術館での回顧的な展覧会を通過して、米田の関心の幅が、地域の枠を超えてさらに広がりつつあることがよくわかった。

2009/09/17(木)(飯沢耕太郎)

十文字美信「FACES」

会期:2009/09/05~2009/10/10

ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アート[東京都]

ベテラン写真家の意欲的な新作展。タイトルが示すように「顔」をテーマにした連作の展示で、どんな「顔写真」を志向しているかというと、「まず『決定的瞬間』から自由であり、ドラマティックな表情よりもっと大切なものがあると思わせる写真、そして何よりも心惹かれるのは、撮ってみなければ結果がわからない、論理的に計算できるものをはるかに凌駕する顔の写真だ」という。その意図を実現するために、おそらくミラーのような仕掛けを使って、若い男女の顔を切断したり、ずらしたりして再結合している。セルフポートレートもあり、こちらは透明プラスチックのマスクをかぶり、顔の一部をブラしている。別に悪くはないが、「論理的に計算できるものをはるかに凌駕する顔の写真」という強度まで達しているかといえば、やや疑問が残った。これからさらに探究を進めていく、その中間報告というところではないだろうか。それよりは、同時に展示されていた十文字のデビュー作、1971年の「首なし」のポートレートの方に凄みを感じる。首から上がフレームの外に切断されているのが、このシリーズの基本コンセプトだが、今回手も切れている(袖やポケットの中に)写真が多いことに気づいた。5枚の展示作品中、4枚が「手なし」だ。

2009/09/15(火)(飯沢耕太郎)

アキ・ルミ新作展「庭は燃えている」

会期:2009/09/01~2009/09/29

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

アキ・ルミはオノデラユキのパートナー。1990年代からオノデラと一緒にパリに活動の拠点を移し、制作を続けてきた。オノデラの仕事が先に国際的に評価されたので、どうしてもその陰に隠れがちだが、彼の繊細で緻密な作品世界の質は着実に深まりつつあるように見える。
今回のツァイト・フォト・サロンでの展示は、写真やドローイングをスキャニングして細かくつなぎあわせ、大画面に構成した作品が中心。基調になっているのは「庭」のイメージで、唐草模様や奇妙な魔術的な彫刻のようなオリエンタルな図像と、水、植物、稲妻などが絡み合い、図と地とが複雑に入り組んだ、混沌とした空間を形成している。その全体が赤い色で統一されているので、さらに魔術性が強まっているようだ。彼が生み出そうとしている世界像がどんなものなのか、まだ明確に見えてきているわけではない。だが同時に展示されていたドローイング作品も含めて、勝手に増殖していくイマジネーションの広がりを、断面図のように定着しようとする意図が伺える。オノデラユキの作品が、どちらかといえば明快な論理的構築力を感じさせるのに対して、アキ・ルミの方は触覚的で、感情の震えが生々しく露呈している。つまりこの二人は、女性─男性原理、男性─女性原理という転倒した関係性を保って仕事をしているわけで、そのあたりが妙に面白い。

2009/09/15(火)(飯沢耕太郎)