artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ヘルシンキ・スクール写真展──風景とその内側

会期:2009/06/27~2009/08/09

資生堂ギャラリー[東京都]

ヘルシンキ・スクールとはフィンランドのヘルシンキ芸術大学の教師、卒業生を中心とした写真家グループ。1982年から同大学で教えはじめたノルウェー出身のティモシー・パーソンズが、90年代から積極的に展覧会を開催し、作品の発表の場としてギャラリー・タイクを設立して、内外に広くその存在をアピールしてきた。ドイツのHATJE CANTZ社から、既に3冊の写真集も出版されている。
資生堂ギャラリーでの展覧会は、そのヘルシンキ・スクールの作家たちの日本での最初の本格的な展示といえるだろう。今回紹介されたのは、グリーンランドの氷河やそこに住むイヌイットたちを撮影するティーナ・イトコネン(1968年生まれ)、東洋画の影響を取り入れた風景写真のサンドラ・カンタネン(1974年生まれ)、女性と水という神話的なテーマを扱うスサンナ・マユリ(1978年生まれ)、少女時代の記憶を仮面劇のような設定に投影するアンニ・レッパラ(1981年生まれ)の4人、ヘルシンキ・スクールの第二世代から第四世代にあたる女性写真家たちである。彼女たちの作品に共通しているのは、フィンランドの豊かな自然環境に対する親和性と、ロマンティシズムと高度な技術力との見事な融合だろう。強烈な自己主張を感じさせる作品群ではないが、そのゆったりとした時間の流れを感じさせる、地に足がついた落着きがある表現はとても好ましいものがある。
アメリカ、ドイツ、フランスといった写真大国ではなく、このような「辺境」の国からもきちんとしたメッセージを発することができるというのは、極東の島国・日本の写真家たちをも勇気づけるのではないだろうか。

2009/07/09(木)(飯沢耕太郎)

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松原健「果実の肖像」

会期:2009/06/20~2009/07/18

MA2 Gallery[東京都]

松原健は広告やファッション写真の仕事をしながら、緻密で端正な静物写真の作品を発表してきた。今回のMA2 Galleryでの個展では、これまでの彼のイメージを一新するような、意欲的なシリーズにチャレンジしている。
1Fに展示されているのは、ベトナムで撮影された10~18歳くらいの少年・少女の「脚」のシリーズ51点。脚は膝から下のあたりで断ち切られ、古く、崩れ落ちそうな石やコンクリートの壁を背景にして、あたかも天使が浮遊するように空中に浮かんで見える、そのか細いけれども、ゴツゴツとした勁さを備えた素足のたたずまいが、何ともなつかしい。かつて僕らの少年時代によく見た脚の形なのだが、いまの日本だとなかなかお目にかかれないだろう。
2Fには、ガラス瓶に貼り付けられたポートレートが並んでいる。モデルは1Fの「脚」のシリーズと同じ子どもたちである。目を閉じたその顔は仏像のようであり、見方によっては死者のようにも見えなくない。瓶の中にはホーチミン市のマーケットで手に入れたという古いスナップ写真(1960年代)が入れられている。写真は、やはりマーケットで束になって売っていた封筒や手紙とともに、壁にもピンナップされている。その皺になったり、色褪せたりした印画紙や封筒や便箋の眺めは、記憶を揺さぶり、想像力を押し広げる作用を及ぼす。当然ながらその連想の先には、あの苛烈なベトナム戦争の記憶があるのだろう。声高にその悲劇を告発しているわけではないが、今と過去とを繋ぎ、記憶の風化を押しとどめようとする意志を感じとることができる、いい展示だった。

2009/07/08(水)(飯沢耕太郎)

鈴木理策「WHITE」

会期:2009/05/28~2009/07/11

GALLERY KOYANAGI[東京都]

以前、鈴木理策が雪の結晶の研究で知られる実験物理学者、中谷宇吉郎の『雪』(岩波文庫)を読んでいると聞いたことがある。その探究の成果が、今回の展示で実ったということだろうか。小さなフレームにおさめられた雪の結晶のクローズアップは、愛らしく、しかも凛と澄み切った美しさがある。彼の自然現象に対する畏敬の念と繊細な観察力が、文字通り見事に「結晶」したシリーズである。
雪山を撮影した作品群もいい。樹木に降り積もる雪、白いシルエットとなった樹木、雪山の柔らかな(エロティックな)起伏、夜空から降りそそぐ雪。雪の白と印画紙の白との境界線は、曖昧なままに溶け合い、「WHITE」としかいいようのない豊饒な空白の領域が姿をあらわす。「雪は天からの手紙」というのは中谷宇吉郎の言葉だが、鈴木理策が試みているのは、その自然がそっと差し出す「手紙」を彼自身の身体と写真機とを結合させた、独特の映像言語で読み解くことだろう。その営みは、いまや追随を許さないレベルにまで達しつつあるように思える。

2009/07/01(水)(飯沢耕太郎)

やなぎみわ「婆々娘々!(ポーポーニャンニャン)」

会期:2009/06/20~2009/09/23

国立国際美術館[大阪府]

大阪の国立国際美術館のやなぎみわ展。なんとルーブル美術館展と同時開催ということで、お客の入りを心配したのだが、日曜日ということもあってけっこうにぎわっていた。今回は旧作の「マイ・グランドマザーズ」「フェアリー・テール(寓話)」シリーズに加えて、6月7日から開催されているヴェネチア・ビエンナーレにも出品されている新作「ウインドスェプト・ウィメン」シリーズが、国内で初公開されている。
「マイ・グランドマザーズ」はさっと流し見。「フェアリー・テール」のシリーズは、やはりとても魅力的な作品であると感じた。イノセントと残酷さに引き裂かれた少女性が、説得力のある物語として練り上げられている。「ウインドスェプト・ウィメン」も面白い。世界に嵐と破壊をもたらす「風の女神」たちの群像だが、モノクロームの巨大プリントが効果的で、見る者の心を揺さぶる力がある。ただ、特設のテントの中で上映されている映像作品の出来栄えはもう一つか。メイキング映像としての意味合いしか感じられなかった。それにしても、やなぎみわの真骨頂は物語性の強い神話世界の構築にあることを、あらためて確認することができた展示だった。

2009/06/28(日)(飯沢耕太郎)

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さよなら ポラロイド

会期:2009/06/16~2009/06/27

ギャラリー井上[大阪府]

昨年、ポラロイドフィルムの製造中止と言うニュースが伝わったとき、ショックを受けた人も多かっただろう。あの独特の質感、すぐに結果が見られるという特徴を持つポラロイドは、写真家たちの創作意欲を大いに刺激してきた。日本でも荒木経惟、森山大道などがユニークな作品を発表している。映像作家で多摩美術大学教授の萩原朔美もポラロイド愛好家の一人で、製造中止の一報を聞いて「何かひとつ時代の終焉を告げる木霊」を感じとり、「消え去るフィルムにさよならを言うために」と展覧会を企画した。昨年10月に、東京・阿佐ヶ谷のギャラリー煌翔で、27人が参加して第一回目の「さよなら ポラロイド」展を開催。今年は6月6日~14日の京都展(カフェショコラ)に続いて大阪展も開催された。その間に参加者は55名になり、最終的には100人にまで増やす予定だという。
萩原が教えている多摩美術大学の関係者である鈴木志郎康、高橋周平、港千尋、石井茂、神林優らに加えて、榎本了壱、森山大道、山崎博、屋代敏博、鈴木秀ヲなど出品者の顔ぶれもなかなかユニークである。実はぼく自身も「きのこ狩り」というちょっと変な作品を出品している。どうやらポラロイドには、撮り手を面白がらせ、エキサイトさせる不思議な力が備わっているようだ。全体的に遊び心を発揮した作品が多くなってくる。ポラロイドフィルムの存続を望む声は世界中で高まっており、最新情報によると、どうやらアメリカのグループがオランダの工場を買収し、2010年中にポラロイドの発売をめざすプロジェクトを展開中という。そうなると「こんにちは ポラロイド」展も企画できるのではないだろうか。

2009/06/27(土)(飯沢耕太郎)