artscapeレビュー
小吹隆文のレビュー/プレビュー
花岡伸宏 入念なすれ違い
会期:2017/02/04~2017/03/05
MORI YU GALLERY[京都府]
彫刻というメディウムには、垂直性、重力の影響、モニュメント性など、宿命的に引き受けざるを得ない特徴がある。20世紀にはそれらに抗する動きとして、モビールやソフトスカルプチャーなど多様な造形が生まれた訳だが、花岡伸宏が彫刻に導入したのは、コラージュと可変性であろう。彼の作品には木彫(人物像が真っ二つに割れる、ずれるなどしたもの)のほか、材木、廃材、布、衣服、印刷物などがコラージュのように配されている。また、一度発表した作品も恒久的とは限らず、改変可能な構造となっている。彼の作品が彫刻でありながらドローイングのような軽やかさをまとっているのはそのためだ。本展で特に驚かされたのは、無造作に脱ぎ捨てた衣服を作品として提示していたことである。筆者は最初、花岡か画廊スタッフが脱いだ服を置きっ放しにしていると勘違いした。ここにはもはや定型すらなく、インスピレーションが一時的に固定されただけだ。彫刻が宿命的に持つ諸要素や、芸術全般が志向する完全性、永遠性といった縛りから軽やかに抜け出し、新たな表現領域を開拓したこと。花岡作品の価値はそこにある。
2017/02/04(土)(小吹隆文)
松永繁写真展 汀線(みぎわせん)
会期:2017/01/31~2017/02/12
ギャラリー・ソラリス[大阪府]
空、海、砂浜、岩などで構成される海岸線を、中判カメラによる長時間露光で捉えた銀塩モノクロプリントが並んでいた。波は形態を失い、白いガスがかかったような状態に。そして空も天候や時間帯が判然としないため、時空を超越した神話的情景を見ている気分にさせられる。少し脱線するが、映画『プロメテウス』にこんな場面があったような気がする。この例えは誤解を与えかねないが、それほどまでに特異な世界観の表現に成功しているということだ。作者の松永繁は2010年から日本各地の海岸線を訪れてこのシリーズを撮影しているが、画廊での個展は今回が初めてだという。オリジナリティーと技術は十分あるので、今後は精力的に個展活動を行なってほしい。
2017/02/03(金)(小吹隆文)
showcase #番外:スナップショット、それぞれの日々
会期:2017/01/25~2017/02/05
gallery Main[京都府]
同展は、同志社大学教授で気鋭の美術評論家でもある清水穣が企画しているシリーズ企画の番外編である。これまでは八坂神社に程近いeN artsを会場とし、若手作家の紹介を旨としてきたが、今回は会場が麩屋町五条のギャラリーMainに変更され、作家のセレクトも、写真家の麥生田兵吾といくしゅんに加え、ベテラン美術家の中川佳宣がラインアップされている。しかも3人の作品がキャプションなしに混ぜこぜで展示されているのだ。本展のテーマは「スナップショット」。いつ、誰が、どこで、何を、どんな機材で撮っても成立するスナップショットを匿名で提示することにより、その表現方法を有効にしているものは何か、あるいは、人は何を拠りどころにして他者や世界と向き合っているのかを、観客に考えさえようとしたのだ。実際、ずらりと並ぶ匿名の作品を前にしていると、無意識のうちに作品を分類し、意味づけを行なおうとしている自分に気付いた。頭と眼の垢落としのためにも、定期的にこういう企画があるとありがたい。
2017/01/31(火)(小吹隆文)
宮永甲太郎展
会期:2017/01/28~2017/02/05
楽空間祇をん小西[京都府]
玄関を入ると土間があり、3つの和室が続いたあと、坪庭と離れがある典型的な京町家のギャラリー。そこで陶芸家の宮永甲太郎が、あざやかなインスタレーションを見せた。自然光のみの室内は、さながら『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎)の如し。最初の部屋には3点の巨大な甕(かめ)が並んでいる。マグリットの《聴取室》を思わせるデペイズマン的光景だ。そして2室目に入ると、畳を外して水を張った3室目と坪庭越しに離れが見える。離れには十数個の巨大な壺がすし詰めになっており、観客は2室目からその光景を眺めるのだ。まるで池越しに薪能を見ているような情景。空間の特性を見事に生かした作家の手腕に、大いに感心させられた。宮永は2014年の「木津川アート」でも大規模なインスタレーションを行なっている。公園の池に巨大な壺をいくつも配置し、池の水位を下げて壺の上半分が島のように配された情景をつくり出したのだ。いまや宮永の関心は、作陶を超えて巨視的なスケールに至ったのであろうか。いずれにせよ彼が充実期にあるのは間違いない。
2017/01/31(火)(小吹隆文)
ジャン・ル・ギャック展
会期:2017/01/21~2017/02/18
ギャラリーヤマキファインアート[兵庫県]
1936年生まれのフランス人アーティスト、ジャン・ル・ギャック。彼は伝統的な絵画表現あるいは典型的な画家像を志向していたが、それが時代と合わないことを悟ったのか、1960年代の後半になると、絵画、写真、文章を組み合わせた独自の作品を発表するようになった。作品で描写されるのは自身の子供の頃の記憶などプライべートの一部だが、事実と虚構が織り交ぜられており、観客を甘美な推理の世界へと導く。同様の作風をもつ作家にソフィ・カルがいるが、カルは1950年代生まれであり、絵画は用いていない。彼女より15年以上前に生まれたル・ギャックがこのような表現に至った背景には、1960年代後半の美術界を席巻していたコンセプチュアル・アートがあるだろう。しかし、アメリカやドイツの作家のようにハードな表現に向かわず、詩情豊かな世界を構築するあたりは、さすがフランスの作家という感じだ。そういえば、ヌーヴォー・レアリスムやシュポール/シュルファスの作家たちも詩的な余韻を大切にしていたではないか。ル・ギャックは日本ではほとんど知られていないと思うが、1972年にはヴェネチア・ビエンナーレとドクメンタに選出され、1984年にパリ市立近代美術館で個展を行なうなど、一定の評価を確立した作家のようだ。同画廊が今後も継続して彼の作品を紹介してくれることを望む。
2017/01/21(土)(小吹隆文)