artscapeレビュー
小吹隆文のレビュー/プレビュー
玉野真衣 写真展 fade away
会期:2009/09/07~2009/09/19
Port Gallery T[大阪府]
玉野は幼少期から物を捨てられない性分。ある日、溜まりに溜まった思い出の品々をひとつずつ写真に撮ろうと考え、その行為が個展に結実した。壁面に展示されている作品は約10点、ファイル展示は約40点。それらは彼女にとってほんの一部に過ぎないが、見る側にとっては唖然とするものも含まれる。特に、今でもフレッシュな粘土には驚かされた。手法はオーソドックスだが、モチーフが他に代え難いので作品にオリジナリティがある。彼女は全年代の私物を残しているらしいので、今後も制作を続けてライフワーク化すれば後世に残る怪作が生まれるであろう。
2009/09/07(月)(小吹隆文)
児玉靖枝 展 深韻
会期:2009/09/07~2009/09/19
O GALLERY EYES[大阪府]
近年、自宅近所の森をモチーフとし、具象的傾向を強めている児玉。具象といってもネガポジが逆転したような彩色で、風景の再現に留まらない絵画表現がなされていたのだが、新作は緑を基調としており、これまで以上に具象度の高い作風が印象的だった。だが、彩色が緑だからといって、彼女が風景の再現を狙っているわけではあるまい。副題にもある通り、森の中に分け行った時に感じられる、匂い、音、気配など、五感を満たすデリケートな感覚を画布上に留めようとしているのではなかろうか。特に120号の縦位置作品は森々とした気配が濃密で、山中に分け行った時の感覚が脳裏をよぎった。
2009/09/07(月)(小吹隆文)
高橋涼子 個展 HAIR(=)COMPLEX
会期:2009/09/02~2009/09/26
studio J[大阪府]
毛髪、特に女性の髪は、女性性や情念のメタファーとして扱われることがあるため、男性としては若干の恐怖を覚えるモチーフである。また、お菊人形などホラーの題材としても定番である。高橋は人毛を素材にした立体作品を作り続けているが、女の情念やホラーをテーマにしているわけではない。彼女にとって髪とは、容姿を飾ることでコンプレックスを矯正する道具であり、美への欲望の表われなのである。本展の出品作では、ワンピースの内部に毛髪の玉が詰まった作品や、コルセットの紐が毛髪に差し替えられた作品がその典型であろう。男性の私は、髪とコンプレックスといえばハゲしか思いつかない。彼女の作品から感じたのは、コンプレックスよりもエゴイズムである。欲望の源であるエゴイズムの象徴としての毛髪。作者の意図からは外れてしまうが、個人の勝手な解釈としてはその方が座りが良かった。
2009/09/04(金)(小吹隆文)
ウィリアム・ケントリッジ──歩きながら歴史を考える:そして歴史は動き始めた……
会期:2009/09/04~2009/10/18
京都国立近代美術館[京都府]
展覧会資料を読むと、「脱西欧中心主義」とか「ポスト・コロニアル批評」などの文言が見受けられたが、それらについては不勉強なので、予断を排して作品と対峙することにした。初期の代表作「プロジェクションのための9つのドローイング(ソーホー・エクスタインの連作)」は、ゴリゴリした質感の重厚なドローイングを、描いてはコマ撮りする作業を繰り返したアニメ作品。アニメといっても記号性の強い日本のアニメとは質感が異なり、文字通り絵が動いている感覚だ。本展では全9作品を5つのスクリーンで順次上映し、観客は専用のレシーバーとヘッドフォンで自由に音声を選んで見られる方式が採られた。この優れた方法が映像展で採られたことは特記しておきたい。その後の《ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片》や最新作《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》では、ドローイングと実写、影絵などが自由自在に用いられ、イマジネーションとファンタジーの飛躍が一層拡張されている。彼の作品をまとめてみたのは初めてだが、これほど見応えがあるとは正直思っていなかった。まさに、一年に数度あるかないかの嬉しい驚きだ。
2009/09/03(木)(小吹隆文)
佐川好弘 展「FUJI ART FESTIVAL '09」
会期:2009/09/01~2009/09/06
GALLERY はねうさぎ[京都府]
立体作品の一部から文字が飛び出したり、飛び出した文字のみの造形が特徴の佐川好弘。この表現は漫画でしばしば用いられるが、佐川の場合は漫画の模倣というよりも、不器用なメッセージの発露と見るべきだろう。今回は、作品《解キ放テ》を背負って富士山頂を目指すプロジェクトを敢行。その作品と記録映像&写真が展示された。作品には彼なりの切実なメッセージがあるのかもしれないが、見ていて連想するのは、思春期のようなやむにやまれぬ衝動力。当世不足気味の“男子のパワー”が充満した作品は、まさに痛快の一言だ。
2009/09/01(火)(小吹隆文)