artscapeレビュー
小吹隆文のレビュー/プレビュー
躍動する魂のきらめき─日本の表現主義
会期:2009/06/23~2009/08/16
兵庫県立美術館[兵庫県]
本展は、1910~20年代(主に大正時代)に起こった前衛的な美術運動を、内面の感情や生命感を表わしたとして“日本の表現主義”と位置付け、約350点の美術・工芸・建築・演劇・音楽作品等で明らかにしようとするもの。同様のテーマで思い出されるのは1988年に開催された「1920年代日本展」だ。実際、出品物にも重複が多々見られるが、“日本の表現主義”とカテゴライズして一歩踏み込んでいるのが今回の特徴である。そのため、萬鐡五郎、村山知義、神原泰といった代表的な作家だけでなく、黒田清輝、富本憲吉など従来の感覚では当てはまらない作家も、表現主義的傾向が見られる例として出品されている。それゆえ記者発表時に、「表現主義を名乗ることは妥当か?」「作家の選定に納得できない」といった議論が起こった。そうした疑問にどう応えていくかは研究者の今後の課題であろう。それはともかく、枷から解き放たれて激情が噴出したかのごとき作品群は、今なおキラキラと輝いて見える。前述の課題はあるものの、図録の出来栄えも含め、十二分に魅力的な展覧会であった。
2009/06/23(火)(小吹隆文)
唐仁原希 展
会期:2009/07/20~2009/07/25
画廊 編[大阪府]
大学卒業直後の今年3月に個展を行なった唐仁原が、間髪をおかず2度目の個展を開催。この間京都でのグループ展にも出品しており、その旺盛な活動意欲に驚かされる。画廊からのオファーが続くのは、それだけ彼女の作品が注目されている証であろう。大きな目とスレンダーな体形の少女が、ある時は半獣半身に、またある時はかたつむりの殻に立てこもる彼女の絵画世界。そこには自身の内なる少女性に対する憧憬と怖れが如実に示されている。ハイペースで仕事が雑にならないように。それだけはお願いしたい。
2009/06/20(水)(小吹隆文)
やなぎみわ 婆々娘々!
会期:2009/06/20~2009/09/23
国立国際美術館[大阪府]
現在開催中の「第53回ヴェネチア・ビエンナーレ」に日本館代表として参加しているやなぎみわ。同時期に始まった本展では、ビエンナーレの出品作《Windswept Women》が現地とほぼ同じ状態で出品されている。天地4メートル×幅3メートルの大画面に、胸をはだけて踊り狂う女性たちの巨像が写し出された作品5点だ。作品からは大地母神のごとき威厳と大衆芸能的な胡散臭さの両方が感じられるが、その両義性こそやなぎみわワールドの本質といえる。虚と実、老と幼、生と死、善と悪……。アンビバレントな要素が絶妙の配合でブレンドされ、観客の内面に激しい揺さぶりをかけるのだ。本展では、ほかにも《マイ・グランドマザーズ》シリーズ26点と映像作品《Birthday Party》、《Fairy Tale》シリーズから13点も出品されている。回顧展とまでは言えないものの、これまでに開催されたやなぎの個展でもっとも充実した内容であることは間違いないだろう。
2009/06/20(水)(小吹隆文)
村山秀紀「ぎゃまんを遊ぶ」展
会期:2009/06/16~2009/06/28
アートスペース感[京都府]
表具師の村山秀紀が、現代のライフスタイルに適応した掛軸や屏風、表装の技術を生かした平面作品などを展覧。作品に多用されているガラスのオブジェは、ガラス作家の神田正之が制作した。展示はホワイトキューブと和室からなるギャラリー空間を生かしたもので、ホワイトキューブではどちらかといえば洋間向き、和室では伝統を重んじつつもフレキシブルに対応可能な作品が見られた。洋間でも床に敷物(今回は鉄板だった)を置けば簡易な床の間空間が作れるとか、屏風を表裏リバーシブルにして、TPOに応じて使い分けられるようにするなど、アイデア満載なので見ていて楽しい。また、表具師としての技術も堪能できる作品だったので、アイデア倒れに終わらず説得力十分だった。日本で美術作品の普及がはかどらない理由のひとつに住宅環境の貧しさがあると思うが、工夫次第でその短所をカバーできることを示した村山の提案に大いに賛同する。
2009/06/16(火)(小吹隆文)
小杉武久 二つのコンサート
会期:2009/06/12~2009/06/13
国立国際美術館[大阪府]
1960年代以来、一貫して音楽の概念を拡張する作品制作を続けてきた小杉武久が、美術館を会場に2日間のコンサートを開催。1日目は1960年代から2000年代の代表作を総覧する内容で、和泉希洋志、浜崎健、藤本由紀夫、ヤマタカEYEが共演。2日目はピアニスト・作曲家の高橋悠治と共演し、お互いのために委嘱した作品を中心に演奏された(5曲中、3曲が世界初演、2曲が日本初演)。数々の作品のなかでも、光反応発振器や接触反応発振器を用いて行為をダイレクトに音楽化させたり、フィードバックを多用して電子音の咆哮が会場中を駆け巡るタイプの作品は非常にスリリングで、音の生成と破壊と更新を繰り返しながら音楽が生まれてくるダイナミズムを全身で浴びる快感がえられた。また、かつては「前衛」とカテゴライズされていた小杉の音楽が、今やひとつの音楽としてすんなり聞こえてくる事実を前に(凡庸という意味ではない)、この半世紀の音楽表現の進展を実感した。
2009/06/10(水)(小吹隆文)