artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
DOMA秋岡芳夫展─モノへの思想と関係のデザイン
会期:2011/010/29~2011/12/25
目黒区美術館[東京都]
デザイナー秋岡芳夫(1920~97)のデザイン活動を振りかえる展覧会。目黒区美術館は2009年から秋岡家に残された資料の調査を行なっており、今回の展覧会はその成果である。展覧会では秋岡の仕事を年代順に紹介する。童画家、工業デザイナー、生活デザイナー、木工家、プロデューサー、道具蒐集家など、多彩な活動を行なった秋岡であるが、それらを平行して行なっていたというよりは、年代によって活動の内容が変化しているようだ。この変化は彼の関心の変化ではなく、活動の背景にある思想は一貫しており、それを実体化させるための手段を模索してのことと考えられる。戦後すぐには童画やおもちゃを手掛け、1950年代からは工業デザインの仕事に携わる。1953年からは金子至、河潤之介とともに工業デザイングループKAKを立ち上げてカメラや露出計などのデザインを行なう。60年代には学習研究社の雑誌『科学』の実験教材や学習ドリルを手掛けている。1969年にKAKを離れ、70年代からはものづくりそのものよりも思想、提言活動に傾斜し、地方の工芸におけるコミュニティ生産方式の実践を行なう。また手仕事と密接に関わってきた伝統的な道具の蒐集にも力を入れた。秋岡が蒐集した道具は北海道・置戸町に寄贈され、今回の展覧会にも一部が出品されている。会場1階には秋岡の仕事場が再現されているほか、晩年に制作に熱中したという竹とんぼ2,000点が展示されている。
1970年代に入ってからの秋岡の変化は、著書『割りばしから車(カー)まで』(柏樹出版社、1971)の副題「消費者をやめて愛用者になろう!」、あるいは自身に冠した肩書き「立ちどまった工業デザイナー」に象徴されよう。企業側の一方的な都合、コストや素材による制約で決まるお仕着せのデザインをただ消費するのではなく、自らが欲するものを考え、可能ならば自ら生産し、それができないならば職人の手を借りてつくり、それを長く愛用しようと訴える。デザイナーは、大量生産・大量消費に与するデザインを止める。他方で良いデザインが価値を認められて売れるためには、良いデザインを知る消費者を育てる必要があると秋岡は考え、啓蒙活動を行なったのである。その秋岡のいう良いデザインとは、「関係のデザイン」であろう。『デザインとは何か』(講談社現代新書、1974)においても繰り返されているのは、ヤカンと魔法瓶の関係である。それぞれが別々のメーカーによってデザイン・製造されているために、互いの容量がまちまちであり、湯を沸かすための燃料が無駄になっていることを秋岡は指摘する。これは一例に過ぎないが、互いに影響を与え合い、相互に機能を補完して生活を成立させるはずのモノが、その関係性を無視してデザインされ、結果として使い勝手が悪くなったり、無駄を生じさせている現実を秋岡は憂う。テレビの裏面やエアコン室外機の醜悪さを指摘し、「裏側にもデザインを」と提言する。一手間を掛ける余地を残した半加工食品や組み立て式の家具を讃える。「関係のデザイン」は製品の価格や売り方にまで及ぶ。漆の碗は高いものでも安いものでも耐久年数を考慮すると1日当たりの「使用料」は同じであり、ならば高くても使って気持ちのよいものを求めよと説く。使い方を見せる展示方法の提案は売り方のデザインである。いま私たちの周囲を見渡してみると、生活とデザイン、作り手と使い手の関係に対する秋岡のさまざまな提言が着実に実現されてきたことを感じる。
山下三郎(東北工業大学名誉教授)、山中俊治(インダストリアルデザイナー、慶應義塾大学教授)、向井周太郎(武蔵野美術大学名誉教授)ら、秋岡芳夫と関わりのある人々が寄稿している図録も充実している。また、展覧会に合わせて『割りばしから車(カー)まで』『竹とんぼからの発想──手が考えて作る』が復刊ドットコムによって再版された。図録を読み、著書を紐解き、秋岡の言葉を噛みしめながら再び訪れたい展覧会である。[新川徳彦]
2011/11/09(水)(SYNK)
森永のお菓子箱──エンゼルからの贈り物
会期:2011/011/03~2012/01/09
たばこと塩の博物館4階特別展示室[東京都]
商品パッケージを中心に、広告、ポスター、CMなどの企業史料を通じて森永のお菓子づくりの歴史をたどる展覧会。1899年に創業した森永製菓は、1954(昭和29)年に『森永五十五年史』を刊行していおり、その編纂の折に収集された社内資料を保存管理する史料展示室を1955年に開設している。以来、製品パッケージ、パンフレット、販促物、社内報など、企業文化を伝えるさまざまな史料の収集、保存、アーカイブ化を進めているという。1999年には『森永製菓100年史』を刊行し、また自社のウェブサイト「森永ミュージアム」においても、史料の一部を公開している。ただし、史料展示室は外部には公開されておらず、史料の実物が一般の人々の目に触れる機会は少ない。もちろん、このような状況は森永製菓に限られたことではなく、私たちの生活文化を創り上げてきた多くの企業の史料が、たとえ収集、保存されていたとしても、人々の目に触れないままになっている。今回の企画は、企業博物館のひとつである「たばこと塩の博物館」が森永製菓と共同し、モノを通じて企業の文化と歴史を振りかえる優れた試みである。
展示は、森永製菓のあゆみ、ビスケットやチョコレート、キャラメルなどの代表的な商品の移り変わり、戦後のさまざまなお菓子と、ポスターやCMから構成されている。森永製菓の企業と商品の歴史については先に挙げた二つの社史が充実しており、また創業者・森永太一郎と松崎半三郎については伝記も刊行されており、「歴史をたどる」という意味では展示にはややもの足りないものを感じる。しかしそれでも実物を見る意義は大きい。写真で見るポスターやパッケージでは、スケール感や質感が十分に伝わらないからだ。歴代のおもちゃのかんづめの展示や、TVCMの上映もあり、年代を問わず楽しめる展覧会に仕上がっている点もよい。図録巻末の「森永製菓の企業史料保存と公開──史料室今昔」には森永製菓における企業史料保存管理の取り組みが記されており、これも一読されたい。[新川徳彦]
2011/11/04(金)(SYNK)
プレビュー:龍野アートプロジェクト2011「刻の記憶」
会期:2011/11/18~2011/11/26
うすくち龍野醤油資料館周辺の醤油蔵、龍野城、聚遠亭(藩主の上屋敷)[兵庫県]
「小京都」とも称されるとおり、タイムマシーンに乗って過去に戻ったかのような古い街並みが眼前に広がる城下町「龍野」(兵庫県たつの市)。童謡「赤とんぼ」の作詞者、三木露風を初め、数々の文化人が輩出した地としても名高い。今回、同地で初めて開催される現代美術展「龍野アートプロジェクト2011『刻の記憶』」は、いわゆるオフ・ミュージアム型の芸術祭で、再生された古い醤油蔵や龍野城(本丸御殿)、聚遠亭(藩主の上屋敷)で美術家によるインスタレーションが行なわれる。近年、地域の活性化を目的とした芸術祭の開催が盛んだが、今回の龍野アートプロジェクトに特徴的なのは、運営スタッフのみならず出品作家もこの地域在住、出身の人々等で構成されている点だ。それだけに、「刻の記憶(トキノキオク)Arts and Memories」という展覧会テーマが大きな意味を持つインスタレーションとなることが期待される。出品作家は、尹熙倉(ユン・ヒチャン)、東影智裕、小谷真輔、佐藤文香、芝田知佳、ルーアン美術学校卒業生(モーガン・アレ、カウータ・ベクレンシ、エミリ・デュセール、レミ・ジャノ、井上いくみ)。11月13日(日)にはプレ・イヴェントとしてルーアン美術学校卒業生による醤油蔵での公開制作がある。会期中はアーティスト・トーク、子どもを対象としたワークショップ、作品ガイドツアーなど多数のイヴェントが行なわれる。詳細は、公式ウェブサイト参照。[橋本啓子]
2011/10/31(月)(SYNK)
戸井田雄《時を紡ぐ(Marks)》(神戸ビエンナーレ 2011・高架下アートプロジェクト)
会期:2011/010/01~2011/11/23
元町高架下(JR神戸駅~元町駅間の指定する場所:13箇所)[兵庫県]
本年の神戸ビエンナーレでは、初の試みとして元町高架通商店街の空き店舗を用いたインスタレーションが行なわれた。13組の作家による展示は、サイトに対する各人各様の解釈を反映していてじつに興味深かったが、とりわけ、多くの人を驚かせたのが、戸井田雄のインスタレーション《時を紡ぐ》だったろう。
入口にはカーテンが掛かっており、中に入ると、がらんとした空き店舗の空間が広がっている。什器はおろか、電灯以外、物らしい物はまったくない。あるのは、過去の住人たちの手垢と滲みが残る壁、床、天井だけである。途方に暮れて立っていると、突然明かりが消えた。その瞬間、暗闇の中に無数の青紫色の線刻が浮かび上がって、身体を取り巻かれる。あたかも宇宙の果てにいるかのような夢心地の気分に浸っていたら、再び明かりが付いた。殺伐とした空き店舗が再び目の前に広がった。
展示のからくりが、室内の傷や滲みにすり込まれた蛍光塗料にあることは誰でも容易に想像がつく。また、その主旨が、戸井田が述べるように、「空き店舗に積層していた、その場所の思い出や街の記憶を光として表す作品」であることにも素直に頷ける(『神戸ビエンナーレ2011公式ガイドブック』より)。まさに本作品は、コンセプトと造形が見事に合致し、しかもサイトの性格を完全に活用した優れたものなのだ。
とはいえ、雑然とした現実世界から突然、異次元の世界へと放たれた瞬間にわれわれが感ずるのは、そうしたコンセプトの存在ではなく、漆黒と青紫の光が生み出す非日常の「美」には違いない。ゆえに、今回の戸井田の作品は、きわめて辛口にいうなら、多くのコンセプチュアル・アートが抱えるコンセプトと造形の乖離という難題をやはり解決しきれなかったとも言えるかもしれない。たとえば、フェリックス・ゴンザレス=トレスのキャンディーを敷き詰めたインスタレーションは、この難題に対するひとつの答えを示している。加えて、ゴンザレス=トレスのインスタレーションはどこでも設置可能でありながら、サイトの性格を反映させる仕掛けも有している。そういう意味では、今後、戸井田が他のサイトやホワイトキューブの展示でどのような展開をみせるのかが楽しみだ。余談ではあるが、蛍光塗料のアイディアをもしデザインに応用するなら、たとえば、夜、就寝する前にリビングの明かりを消した瞬間のみ立ち現れるプロダクト・デザインというのは面白いかもしれないと思った。[橋本啓子]
2011/10/29(土)(SYNK)
喜多俊之デザイン「Timeless Future」
会期:2011/10/27~2011/11/13
リビングデザインセンターOZONE 3Fパークタワーホール[東京都]
喜多俊之は日本を代表するプロダクトデザイナーのひとり。今回の展覧会では、1960年代のソファ《SARUYAMA》、1980年代の《WINK》から、2011年の椅子《HOTEI》まで、喜多がデザインした家具、日用品、照明器具などを紹介する。日本での大きな展覧会は約20年ぶりであるという。
喜多のデザインが優れている理由として、その造形力はもちろんのこと、プロデューサーとしての能力に秀でている点をあげられよう。フリーのデザイナーであるから当然のことであるが、喜多は多くの企業とともに仕事をする。そのときに、それぞれの企業が持つ技術を上手に引きだし、それをデザインへと取り込み、昇華させる。たとえば、《WINK》や《DODO》の複雑な機構はカッシーナ社の技術がなくしては実現し得なかったであろうし、その機構が実現しなければあのデザインも成立しなかったであろう。同時に、長期にわたって作り続けられ、売られ続けるデザインを多数生み出した点、またそれを可能にするメーカーとコラボレーションを行なってきた点も特筆される。ソファ《SARUYAMA》シリーズ(コンセプトは1967年)は近年空港のラウンジなどに採用され、ふたたび売れているという。まさに“Timeless”なデザインである。
デザインは人々の暮らしを豊かにするばかりではなく、国の経済や産業が発展するうえでも重要な役割をはたしている。この点を重視しているのも喜多のデザインの特徴であろう。その取り組みが顕著に現われているのが、日本の地場産業とのコラボレーションである。地場産業、伝統工芸の活性化とは、単に技術を継承することではない。つくられたものが使われ続けること、すなわち商品に対する需要を生み出さなければならない。あくまでもデザインはそのための手段のひとつである。それゆえ、喜多は外部から一方的にデザインを持ち込むのではない。美濃の和紙、輪島の漆器、有田の磁器などとの仕事において、素材や技術ばかりではなく、歴史へも理解を深め、そのなかから現場の人々と共に新しいデザインの可能性をすくい上げてゆく。もちろん、マーケットのことも忘れない。こうしてみると、ヨーロッパの家具においても、日本の工芸品においても、おそらく喜多のアプローチは変わらない。表面的な意匠は異なっていても、それは制約条件の違いに過ぎないのである。
天井が高く広々とした空間に作品が映える。意図したのであろうか、透明なガラスの展示台に置かれた陶器や漆器の、床に落ちた影がとても美しい。[新川徳彦]
2011/10/28(金)(SYNK)