artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
原研哉『日本のデザイン──美意識がつくる未来』
著者:原研哉
発行日:2011年11月
発行所:岩波書店
定価:840円(税込)
サイズ:新書、256頁
とにかく読んでいて「はっ」とさせられることの多い本である。デザイナーとして活躍し、近年とりわけ、海外で日本のデザインを紹介する展覧会の仕事を手掛ける著者が、日本のデザインの原点と未来とを照射する。外から見た日本のデザインのありようを示したうえで、日本固有の美意識・価値観を明らかにし、これからの日本のものづくりにそれらがどう生かされるべきかについて問題提起する。グローバル化する社会、また活性化するアジア全体のなかで、日本──低成長時代と東日本大震災を経験し、社会の大きな転換期を迎えつつある──のデザインには、どのような可能性があるのか。その問いに応えるべく、六つの章が用意される。1)移動:デザインのプラットフォーム、2)シンプルとエンプティ:美意識の系譜、3)家:住の洗練、4)観光:文化の遺伝子、5)未来素材:「こと」のデザインとして、6)成長点:未来社会のデザイン。本書は、我が国がデザイン立国としてしなやかに生きるすべを提示するだけでなく、「デザイン」が本質的に未来を志向するものだということを教えてくれる。[竹内有子]
2012/02/19(日)(SYNK)
ペイズリー文様──発生と展開
会期:2012/01/27~2012/03/14
文化学園服飾博物館[東京都]
ネクタイ、スカーフ、バンダナ、シーツ。自分の身の回りを見ただけでも、さまざまなテキスタイル製品にペイズリー柄を見ることができる。ペイズリー文様とはいったいなにか。辞書には植物文様とあるが、なにをどうしたらあのような勾玉型の、複雑な文様になるのだろうか。この展覧会で私が長年抱いていた疑問が解けた。
展示解説によれば、ペイズリー文様の起源は、17世紀初めにインド北部カシミール地方の織物に現われた花模様である。当時のカシミール地方はイスラム支配下にあり、イスラム文様の影響のもとにこのような文様が現われたと考えられる。時代を下るにつれて、個別に描かれていた花模様はいくつかの葉をともなって樹になり、18世紀には花束へと変容する。19世紀初めには、さらに花と花とのあいだに別の花や小さな花束が加えられ、現在見られるペイズリー文様の原型が現われる。
同じ頃、このカシミール製のショールはヨーロッパに輸入され、大流行を見る。しかしながら、輸入品は非常に高価であったため、ヨーロッパで模倣品の生産が始まった。そしてヨーロッパにおけるショールの一大産地がスコットランドの都市ペイズリー(Paisley)であったために、この文様はペイズリーと呼ばれるようになったのである。生産ばかりではなくデザインもヨーロッパで独自に行なわれるようになったことにより、文様は新たな展開を見た。興味深いのは、ヨーロッパ人がこの文様をなにに由来したものと認識していたかである。ペイズリー文様は、フランスでは椰子やオタマジャクシ、イギリスでは松かさと呼ばれていた。花束が文様の起源であるという認識が希薄であったために、ヨーロッパでさらに独創的な形へと変容していったと考えられるのである。これは中国磁器のザクロ文がタマネギと間違えられ、マイセンでブルーオニオンと呼ばれる独自の文様を生み出したことにも似ている。ヨーロッパで展開した安価なペイズリー文様の製品は世界各地へと輸出され、今度はインドや他の地域で生産されるテキスタイルの文様にも影響を与えてゆく。今日でも日々新しいペイズリー文様がデザインされており、展覧会にはリバティ社(イギリス)がハローキティをモチーフにデザインしたペイズリー文様の生地も出品されている。ペイズリー文様は、商業と工業の発達が東西のデザインに交流をもたらし、その姿を変容・発展させていった好例のひとつなのである。[新川徳彦]
2012/02/18(土)(SYNK)
フェアリー・テイル──妖精たちの物語
会期:2012/01/07~2012/02/19
三鷹市美術ギャラリー[東京都]
日本における「妖精学」の第一人者、井村君恵氏の蒐集品で、現在はうつのみや妖精ミュージアム(栃木県)と妖精美術館(福島県)に所蔵されている作品から、おもに19世紀イギリス・ヴィクトリア朝時代の妖精画を紹介する展覧会。
妖精の存在は古くから文学などのなかで語られているが、その扱いは時代によって変化してきた。井村氏によれば、17世紀の清教徒の時代には悪魔と同列として退けられ、また18世紀には合理的精神によって存在が否定されていたという。それがヴィクトリア朝時代になるとふたたび文学や絵画、音楽や舞台に現われ、妖精が描かれた本も多数生まれる。妖精の「復活」は、否応なく工業化する社会に対して、自然や田園、あるいは中世的な生産方法への回帰を志向した時代の空気を反映したものといえよう。花が咲き乱れる野のなかに投げ捨てられたガラス瓶をにらみつける妖精を描いたシシリー・ブリジット・マーチンの作品《野の中の妖精》(1909)は、訪れつつある大量消費社会への直接的な批判である。
展覧会では絵画や挿画のほかに、ウェッジウッド社のフェアリーランド・ラスターと呼ばれる装飾陶器20余点を見ることができたのは嬉しい。フェアリーランド・ラスター(fairyland luster)とは、ウェッジウッド社のデザイナーであるデイジー・マーケイ=ジョーンズ(Daisy Makeig-Jones, 1881-1945)が手掛け、1915年から1931年★1まで生産された装飾陶器である。色鮮やかなラスター彩で描かれた妖精たちの世界は人気を博したが、1929年以降その人気は衰えたという。大恐慌を経験し、人々は幻想の世界からふたたび現実へと引き戻されてしまったのであろうか。[新川徳彦]
2012/02/18(土)(SYNK)
アルド・バッカー個展「Time & Care」
会期:2012/02/03~2012/02/26
スフェラ・エキシビション[京都府]
オランダのプロダクト・デザイナー、アルド・バッカー(Aldo Bakker)のアジア初個展。ミラノ・サローネやデザイン・マイアミで注目されているバッカーは、ジュエリー制作の経験を積んだ後、ガラスへの関心を経て、近年は木を素材としたデザインを手がけている。主催者のサイトによれば、バッカーのアプローチは「デザインにおける『人間らしさ』と『非人間的な面』の境界の探求」だそうだが、今回の出品作のひとつである漆によるスツール(2006)はまさにそれを具現化したものだろう[図1]。青緑色の滑らかな漆の表面は、プラスティックとガラスの中間のような「非人間的な面」と自然物の被膜のような「人間らしさ」を確かに併せ持つ。
そして、同アプローチの具現化としてもうひとつ言及すべきは、そのフォルムだ。ふたつの面と1本の柱でできているのだが、説明されないと到底、これがスツールだと理解することはできない。とはいえ、オブジェあるいは彫刻であるという印象も持てない。つまり、これはなににも例えることができないフォルムとしか言いようがなく、まさにバッカーのいう「自立した単体」のプロダクト・デザインなのだろう。
同様に、陶製の水差しとカップ(2011)のフォルムも謎に満ちている[図2]。バッカーのフォルムは彼のハンド・ドローイングから生まれるそうだが、無理矢理この水差しを形容すれば、あたかも紙に描かれた水差しの絵が勝手に動き出し、身体を伸び縮みさせ、最後にはぐにゃっと首を地面につける格好になった、とでもいうべきか。地面すれすれの首はゾウの鼻の如くカップを呑み込んでいる。もっともこれは不使用時の姿で、使用の際には水差しが仰向けに横たえられ、イソギンチャクのようにパカッと空けた口が上を向く。同じ商品がこれほどまでに異なる姿を見せるのには驚くばかりだ。使用されることで意外な姿を現わすデザインといえば、ピロヴァノの茶こし《テオ》が思い浮かぶ。《テオ》の場合、その意外性はメタファーの作用に拠っている。バッカーのフォルムの変換の場合、喩えは見つからない。唯一の喩えは生物、あるいは生物の一連の原初的な振る舞いといったところか。そう考えるとこの不可思議なフォルムと「水を飲む」という生ける者の原初的な行為とが不思議と繋がってくる。[橋本啓子]
2012/02/18(土)(SYNK)
ジョアン・ピーター・ホル個展「Dystopia(dreaming of a new galaxy)」
会期:2012/01/21~2012/02/18
studio J[大阪府]
オランダの作家ジョアン・ピーター・ホル(John Peter Hol)の個展。ミラノとロンドンに拠点を置くホルはヨーロッパおよび日本で作品を発表しており、今回はstudio Jでの4度目の個展となった。段ボールでつくられた黒い鳥たちが飛び交う空間の向こうに「DYSTOPiA」の切り文字が見える。こう書くと、ヒッチコックの『鳥』へのオマージュと解されそうだが、幼稚園児がつくったかのような粗雑に切り貼りされた鳥たちにそうした連関性はないだろう。このように一見、既存のイコンやスタイルの引用を装うものに見えながら、つぶさに見ると、そうしたポストモダン的解釈をことごとく裏切ってしまうような摩訶不思議な魅力がホルの作品にはある。
額装されたペーパーワークにしても、個々のモティーフに注目すれば、ダダ風の人物や19世紀パリの影絵芝居風の帆船のシルエット、店頭のPOP広告に使われる蛍光色の札といった具合に20世紀の視覚芸術の歴史を採り出した感がある。だが、額の内部でそれらが組み合わさり、生じさせる雰囲気は、実に21世紀的な洗練に満ちている。そのような印象を与えるのは、この作品がまさに「紙という物質」による「3D」の真似事だからなのか。あるいは、紙による「3D」の真似事にもかかわらず、物質以外の何物でもない紙が、どういうわけかピンクや黄緑の蛍光色という「ヴァーチャル」な光に包まれているからなのか(この効果は、紙の裏の蛍光色が白の地に反射するというきわめてアナログな仕掛けによる)。ホルの意図はけっしてインテリア・オブジェをつくることにはないだろうが、モティーフの記号的意味を否定せずともそれを凌駕するような感覚的世界の高みへと向かう彼の作品は、アートとデザインの両岸を自由に行き来するものにも思える。彼が行なうささやかな転覆と仕掛けこそが21世紀のひとつの洗練とはいえまいか。彼の放つささやかな一矢が次回はどのような姿をとるか、いまから楽しみだ。[橋本啓子]
2012/02/18(土)(SYNK)