artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

陶芸の提案 2012

会期:2012/02/20~2012/03/03

ギャラリー白[大阪府]

大阪のギャラリー白で毎年開催されている若手陶芸作家展。今回はギャラリー白と白3での展示に11名が参加した。秀作揃いの作品をみていると、20-30代の美術家がなぜ、表現手段として陶を選んだのかなどの疑問を抱くこと自体、無意味に思えてくる。どれほど新しいメディアが開拓されようとも、新旧各々のメディアにはそれのみが持ちうる性質があるという当たり前のことに気づかされるからだ。
 木野智史の《翠雨》はその土という素材のみが持つ質感だけがそこにあるような印象をもたらす[図1]。ラッパ型に丸められた、紙のように薄い磁器土は轆轤と焼成の技術を駆使したものには違いない。だが、木野の作品をみていると、土という素材が、たとえ機械仕上げのように滑らかな表面に仕上げられるにせよ、人間の手の痕跡をその内部に抱き続ける素材であるということを考えずにはいられない。そして、木野の手の痕跡は、抽象的な空間美へと昇華させられている。
 対照的に、増田敏也の陶の野球ボールがモニターの内部から画面を突き破って外に飛び出す作品は、その「手の痕跡」とハイテクとのあいだで宙づりになるジレンマを吐露するかのようだ[図2]。1977年生まれの増田の心象風景は、幼い頃テレビゲームで遊んだ初代スーパーマリオの粗いドットの画像であるという。彼は、虚構が虚構としての記号を有していた最後の時代の証人のごとく、重い陶の野球ボールを初代マリオと同様、粗いドットでつくる。このボールは増田自身の投影であるのか? そのボールはデジタル世界から外の物質世界へと抜け出て、ふたつの世界の境界であるモニター画面の破片とともに落下するのだ。ここに暴き出されているのは、もはや現実と虚構の境目にしか居場所がなくなった現代人の姿であるのかもしれない。[橋本啓子]

1──木野智史《翠雨》、2012
2──増田敏也《Low pixel CG 「場外」》、2012
ともに撮影=南野馨

2012/03/03(土)(SYNK)

GRAPHIC WEST 4「奥村昭夫と仕事展」

会期:2012/01/18~2012/03/08

dddギャラリー[大阪府]

江崎グリコやロート製薬をはじめとするロゴマークや、牛乳石鹸のパッケージ等のデザインでよく知られ、京都大学客員教授をも務めるデザイナー、奥村昭夫の全仕事を紹介する展覧会。なんといっても本展で驚くべきは、デザイナー本人が会場で仕事をしている姿を見られること。PCを用いてそこでなされる仕事内容が壁面に投影され、展示の一部となっている。また、来場者がそこでデザイナーに仕事を依頼することもできる。それはオリジナルの名刺とポスターをデザインする、「仕事しますプロジェクト」。奥村氏は遊び心あるデザイン──それも依頼者の個性を反映させた、その人自身を象徴するような──の名刺をあっという間につくりだす。執筆者が訪問した時点では50件近くの注文があったが、それぞれがまったく異なるデザイン、まさに世界で一枚きりの名刺であった。もうひとつ心躍る試みは、デザイン作品が名刺型カードのかたちで棚に一堂に並べられ、それをカタログの代わりに持ち帰れること(それを入れる箱まである)。ひょいと裏返すと、「奥村昭夫問答集」がみえる[図1]。氏が重要視するのは「正しい」「面白い」「新しい」デザイン。正確な情報を伝え、楽しく、新しいかどうか、という彼の判断基準については、本展の全仕事を見るだけでもなるほどと思わせる。またデザイナーにおいては、問題解決できる「思考」力が大事とも語る。氏は、「デザインって楽しいでしょう!」と言い、目を輝かせる。彼の諸作品が放つパワーに加え、デザイナー奥村昭夫氏に魅了された展覧会であった。本当に、「デザインって楽しい!」。[竹内有子]

1──名刺型のカード

2012/02/24(金)(SYNK)

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聖なる銀──アジアの装身具

会期:2012/02/08~2012/02/23

INAXギャラリー大阪[大阪府]

身を飾る道具を見て、アジアの民族文化の多様性と重層性に思いを馳せた。本展では、東アジア・東南アジア・中央アジア・南アジア・西アジアのアジア5地域における銀の装身具、約270点(日本宝飾クラフト学院コレクション)を展示。一口に身体を装飾するといっても民族によって飾る体の部位、方法、装身具自体の造形性も多種多様である。またそれがはたしてきた役割もさまざまだ。お守りとしての呪術的意味、宗教的意味、財産・投資的意味、権力的意味、儀礼用途、等々。同じ銀でも、銀地に模様の金鍍金が施されたもの、貴石が用いられたものもある。目を引き付けられたのは、トルクメニスタンの「背飾り」[図1]。ハート形の飾り板は、砂漠などで背後から病気や邪視に襲われないように、人を守護するという意味があるそうだ。この効果を増すのが、赤い石(紅玉髄)である。銀とは汚れのない、月にも類比されてきた金属。イスラム世界では幸福をもたらすと言われる。こうしてみると、この銀の煌めきは単に外面からではなく、内側、つまり使い手の長きにわたる歴史文化の厚みから放射されているように感じる。[竹内有子]

1──中央アジア/トルクメニスタンの「アシク」または「ゴジャ」と呼ばれる背飾り。W230×H105
撮影=熊谷順

2012/02/21(火)(SYNK)

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蒐めて愉しむ鼻煙壺──沖正一郎コレクション

会期:2012/01/02~2012/03/25

大倉集古館[東京都]

鼻煙壺(びえんこ)とは、嗅ぎ煙草入れのこと。英語ではsnuff bottleといい、もともとはヨーロッパで用いられていた器が中国で独自の発達を遂げたものである。用としては乾燥した煙草の粉末を入れる器であるから、素材には余り制約がない。硝子製を中心に、木、象牙、貴石、金属、七宝などさまざまな素材と工芸技術が用いられている。器には小さな蓋が付き、蓋の裏には粉末を取り出すための小さな匙が付いている。取り出した嗅ぎ煙草の粉末は鼻の粘膜にこすりつけて、ニコチンを摂取する。鼻煙壺は日本の印籠や根付けと同様、本来は実用的な器であったものが非実用的な装飾品へと変容し、それとともに工芸品としての粋を極めていった。小さな透明なガラスの器に、内側から風景や人物を描いた現代の鼻煙壺を中国のお土産品として見たことがある人も多いのではないだろうか。
 本展に出品されている約300点の鼻煙壺は、ファミリーマート元社長の沖正一郎氏の蒐集品である。沖氏は『日経流通新聞』の記事で月給の1割までを趣味に費やすと語っているが(1986年10月13日、25頁)、20数年のうちに3,000点以上の鼻煙壺を蒐集し、すでに一部を北京・故宮博物院やロンドン・ヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈。さらに2008年には大阪市立東洋陶磁美術館に1,200点を寄贈している。蒐集家の鑑のような人物である。今回の展覧会に出品されているのは、沖氏があえて手元に残した逸品やその後蒐集した品々なのだそうだ。超絶的な技法が施された品々に、息を呑まされる。[新川徳彦]

2012/02/21(火)(SYNK)

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原弘と東京国立近代美術館──デザインワークを通して見えてくるもの

会期:2012/02/03~2012/05/06

東京国立近代美術館[東京都]

東京国立近代美術館開館60周年記念企画のひとつ。国立近代美術館の発足の前年1951年にはレイモンド・ローウィが専売公社の煙草「ピース」のデザインを手掛け、翌年にはアサヒビール「ゴールド」のラベルに着手するなど、戦後の日本においてデザインの力が認識されはじめ、またアメリカ的な広告手法が取り入れられはじめた。美術館の草創期に次長を務めていた今泉篤男は、グラフィック・デザイナー原弘(はらひろむ、1903-1986)に協力を求め、原はアートディレクターともいえる立場で国立近代美術館の仕事に参加。開館の1952年から1975年まで、23年間に約200点の美術展ポスターを手掛けている。
 展覧会第1部は戦前期。東京府立工芸学校の教員時代に原が制作した図案集や、グラフ誌『FRONT』、パリ万国博で展示された写真壁画など。第2部は東京国立近代美術館の仕事。そして第3部では戦後のブックデザインや国際的なイベントのためのデザインワークが紹介されている。
 展覧会の見所はもちろん第2部である。原の手掛けたポスターとしては、第3部に出品されている《日本タイポグラフィー展》(1959)や《日本歌舞伎舞踊》(1958)などが良く知られているが、特定の施設のための、23年もの長期にわたる仕事を一堂に集めて見ることには大きな意義がある。図版、限定的な色彩、秀逸なタイポグラフィの組み合わせは背後にフォーマットの存在を感じさせる一方で、ときに用いられた強い色彩や大胆なレタリング、稀な例であはるがフルカラーのグラビア印刷のポスターは当時の美術愛好家たちに強いインパクトを与えたに違いない。原弘は「自分のポスターを作るのではなく、国立近代美術館のポスターを作るのだ」と述べていたというが、まさしくそのとおりである。ポスター以外にも原が手掛けた招待状、展覧会カタログ、機関誌など、仕事の全貌を見渡すと、デザイン手法、用いられた印刷手法の抑揚も含めて、これらのポスターが国立近代美術館のアイデンティティを形成していったプロセスをみることができよう(この点については、木田拓也「原弘と東京国立近代美術館」[本展図録、8~14頁]に詳しい)。第2部のもうひとつの見所は、展覧会のための調査によって発見されたポスターの版下、印刷指示書、カンプ(と思われるもの)などである。ニューズレター『現代の眼』(592号)には、当時のアシスタントや関係者へのインタビューも掲載されており、あわせて原の仕事の進めかたを知る手掛かりとなろう。
 本展図録には原弘が開発に関わった数種類の印刷用紙が用いられている。また、関連企画として、見本帖本店では「紙とパイオニア──原弘と開発したファインペーパー」展(2012年2月22日~2012年3月21日)が開催されている。[新川徳彦]

原弘《ソ連絵画50年展》(1967)
原弘《ピカソ展──その芸術の70年》(1964)

2012/02/19(日)(SYNK)