artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
種子のデザイン──旅するかたち
会期:2011/12/01~2012/02/25
INAXギャラリー[東京都]
羽根や綿毛を利用して風に乗って運ばれる種子。水に流されて旅をしつつ、目的地では錨を降ろして根を張る種子。食べられたり、貯えられたり、ひっついたり、他の生物の習性を利用して移動する種子。自らは動くことができない植物が子孫を広範囲に確実に残していくためのさまざまな工夫は、最適な形となって現われる。本来ならば博物館で開催されるような内容であるが、機能と形との関係に着目することで優れた「デザイン」の実例を見せてくれる展覧会である。人間のつくりだすデザインと、自然のつくりだすデザインとの違いは、自然のデザインはとても合理的であるものの、目的の達成という点ではけっして歩留まりが良いわけではないという点があげられようか。適切な場を得ることができず発芽できないもの。外皮ばかりではなく種子まで動物に食べられ消化されてしまうもの、等々。多くの植物において、発芽し、根を張り、成長し、再び子孫を残すことができる種子の比率はとても少ない。もちろん、その歩留まりの悪さも全体的なシステムのなかに織り込まれているからこそ、長い歳月を生き延びてきたのである。人間のつくるデザインは自然からさまざまなメタファーを取り入れてきたが、はたしてこのようなシステムをも取り入れることは可能であろうか。[新川徳彦]
2012/01/24(火)(SYNK)
クリエイター100人からの年賀状
会期:2012/01/14~2012/02/18
見本帖本店[東京都]
しばしば形骸化した慣習といわれ、一部では携帯電話のメールに取って代わられつつある年賀状であるが、特別な理由がなくても、久しくつきあいのない相手とも挨拶を交わし近況を伝え合うことができる良い機会である。そして、小規模な事務所、個人事業者の多いデザイン業界において、それは営業活動の機会でもある。クライアントばかりではなく、同業者、先輩デザイナーたちにも送ることを考えれば、デザイナーにとって年賀状づくりは通常の仕事と同等、あるいはそれ以上のプレッシャーがあるのではないだろうか。この展覧会に寄せられた100人のクリエーターたちの年賀状は、このような期待を裏切らない優れたものばかり。紙の商社竹尾が、関わりのあるデザイナーたちに依頼し、今年は120人ほどが参加しているという。考えてみれば、年賀状のデザインには注文と制約が多い。年号、干支、新年の挨拶、100mm×148mmの限られたスペース。それにもかかわらずほとんどかぶることのないデザインの数々は、クリエーターたちの発想、用紙や印刷技術の多様性を知る見本帖でもある。[新川徳彦]
2012/01/19(木)(SYNK)
Thought in Japan──700通のエアメール「瀬底恒が結んだ世界と日本」
会期:2011/11/11~2012/01/19
ギャラリーA4[東京都]
企業PR誌制作のさきがけ、コスモ・ピーアールで長年にわたり編集者として活躍した瀬底恒(せそこつね、1922~2008)の人と仕事を紹介する。展覧会は、瀬底恒とコスモ・ピーアールにおける仕事のクロノロジー、母親の万亀と交わした700通に上る書簡、瀬底が留学時代に再発見したグリーン兄弟によるカリフォルニアのジャポニズム建築、そして写真家・石元泰博によるグリーン兄弟の建築作品の写真から構成される。
瀬底恒は戦後間もない1952年に米国に留学。戦前には、母親の親類である柳宗悦を頼り、二年ほど日本民藝館に勤めている。そのため、1952年12月に柳宗悦、濱田庄司、バーナード・リーチがアメリカ講演を行なった際に同行したり、1956年のアスペン国際デザイン会議で柳宗理がスピーチをした際の通訳、また帰国直前の1959年6月には棟方志功の講演の通訳を勤めている。当時忘れられていた建築家グリーン兄弟(Charles Sumner Greene & Henry Mather Greene)の作品に着目し、日本への紹介も行なっている。1959年9月に帰国後は、1960年に東京で開催された世界デザイン会議の事務局次長として外国人デザイナー、建築家たちとの交渉に当たったという。そして1961年、留学時代の友人であった佐藤啓一郎・松田妙子夫妻が創業したPR会社、コスモ・ピーアールに入社、1996年に退社するまで、日本企業の海外向けPR誌の編集に携わった。写真家ユージン・スミスを招いて日立製作所の現場を撮影させたり、海外のデザイン・建築の思潮を日本に紹介する仕事もしている。また、企業広報誌を通じては、ただその企業を紹介するばかりではなく、田中一光ら著名なデザイナーや写真家と協働し、日本の文化を海外へ向けて発信し続けてきた。展覧会場のある竹中工務店とは企業誌『approach』(1964年創刊)を通じての関わりである。
瀬底恒がどれほど多くの人々、それも一流の人々と仕事をしてきたのか。瀬底恒82歳のときに刊行されたメッセージ集『瀬底恒を巡る100人のボーイフレンド・ガールフレンド』(非売品、2004年2月)の制作発起人には石元泰博、川添登、三宅一生、柳宗理らが名をつらね、誰もが名を知る建築家、デザイナー、写真家、ジャーナリスト、クライアントたちが彼女との思い出を証言している。その副題「戦後日本のデザイン界を支えた瀬底恒さん」は少しも誇張ではない。彼女がコーディネーターとして果たした役割は、勝見勝や川添登と同様に、戦後日本の建築史・デザイン史におけるキーといえるにもかかわらず、本人が裏方に徹して批評活動など行なわなかったこともあり、本当に情報が少ないのが残念である。彼女は自分の仕事を「団子の串」と例えたそうであるが、人と人、人と場、人と仕事とを結びつける存在の重要性に、もっとスポットライトを当てていかなければいけないのかもしれない。[新川徳彦]
2012/01/19(木)(SYNK)
JAGDAやさしいハンカチ展 Part 2
会期:2013/01/15~2013/02/17
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
東日本大震災の復興支援のためのプロジェクトである。デザイナーたちが東北の小学校でワークショップを行ない、232名の子どもたちが絵を描いた。この絵を素材に、JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)の会員385名がハンカチをデザインする。デザインされたハンカチは絵を描いた子どもたちに贈られるとともに、全国を巡回する展覧会会場で1枚1,200円で販売され、販売収益もそれぞれの小学校に還元されるという。子どもたちの描いた絵も楽しいが、それがデザイナーたちによってどのように「料理」されたかを見るのもまた楽しい。会場では子どもたちの絵とハンカチが別々に展示されていたが、両者を並べて見せても面白かったのではないかと思う。昨年度のプロジェクトは純粋にデザイナーたちがデザインしたハンカチを販売し、売れたハンカチと同数を被災地の小学校にプレゼントするというものであった。今年度は子どもたちとともにつくるというバージョンアップ版。正直なところ、この企画がどれほど被災地復興に役立つのかはよくわからなかったが、そのようなきっかけがなければ存在しなかったプロジェクトであることは間違いない。記憶を風化させないという視点からすると、東北に限定せず、全国でワークショップを展開するのも良いかもしれない。[新川徳彦]
2012/01/19(土)(SYNK)
映画『ドラゴン・タトゥーの女』
会期:2012/02/10
TOHOシネマ梅田ほか[大阪府]
本作は、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソン(Stieg Larsson, 1954-2004)のベストセラー小説を、デヴィッド・フィンチャー(David Fincher, 1962- )監督がハリウッドで映画化したものである。あえてハリウッドと言ったのは、2009年に同じ小説を映画化したスウェーデン映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』があるからだ。私はラーソンの小説も、スウェーデン版の映画もみていない。フィンチャーの映画を、フィンチャーの映画としてみたかったからだ。原作があったり、リメイクされた映画はどうしても比較されてしまう。小説は小説で、映画は映画だ。比較は無意味なのである(聞いた話では原作と映画の結末が異なるそうだ)。久しぶりのフィンチャー監督の本客サスペンスで、正直、相当期待していた。だが、話の展開が緩く、とくに前半部の背景設定にしまりがない(ダラダラした描写が続く)ため、後半部とのバランスが取れていない感が否めない。ジャンル映画(サスペンス)としての必須要素(緊張感)を失っている。ただ、『セブン』や『ゾディアック』でみられる聖書と連続殺人というテーマ、さらに『セブン』や『ファイト・クラブ』『ゾディアック』『パニック・ルーム』に共通する、見えない相手、潜在的な暴力からくる恐怖を見事に描いているところは、フィンチャーらしく、フィンチャーの映画として見応え十分であった。また映像を映像として楽しみ、工夫をこらす、フィンチャーの変わらない遊び心と真剣さが感じられる。フラッシュバックを使わず、静止画(写真)、つまりイメージによるストーリーテリングは絶妙である。[金相美]
2012/01/15(日)(SYNK)