artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
「身体をめぐる商品史」「百貨店と近世の染織」
会期:2016/10/18~2017/12/18
国立歴史民俗博物館[千葉県]
工業化の進展、流通網の発達につれて、私たちの身の回りの商品は変化してきた。商品の変化は、私たちの身体観、生活習慣、美意識に影響し、それらを少しずつ変えてきた。「身体をめぐる商品史」展は20世紀初頭から1980年前後までを対象に、さまざまな商品と身体との関係とその変化を見る企画。展示第1章「百貨店の誕生と身体の商品化」と第2章「流行の創出と『伝統』の発見」では三越を中心に、明治末から大正初めにかけて都市部を中心に台頭した中間層が消費を通じて自己を表現するようになった姿や、百貨店が流行を主導した様子が、引き札、広告、広報誌などの史料で語られる。田中本家博物館(長野県須坂)に残る百貨店の注文書や子供服からは、都市の流行が百貨店の通信販売を通じて地方にまで波及していたことがわかる。琳派のリバイバルに三越が果たした役割は知られているところだが、さらには百貨店の商品が現実の過去とは異なる江戸のイメージをつくりだしたという指摘は興味深い。第3章は「健康観の変遷」。明治初期からお雇い外国人たちが楽しんでいたレジャーやスポーツは、日本の上流層の若者たちへ波及し、学校教育にも取り入れられてゆく。海水浴やスキー、スケート、野球など、レジャーやスポーツのための道具は人々の健康観と一体となって売られていった。第4章は「衛生観の芽生え」。衛生観、清潔さのイメージは、国や地域、時代によって大きく異なっている。ここでは「日本人はきれい好きだった」という思い込みに対して疑問を呈すると同時に、石鹸、歯磨き粉、シャンプーなどの商品、パッケージ、広告によって人々の衛生観が形作られていった様が示されている。第5章は「美容観の変遷」。日に焼けた肌が健康的とされる時代、美白が良いとされる時代、しばしば矛盾する美のイメージ、身体のイメージが、商品とともに消費されていく。「身体をめぐる商品史」というタイトルはやや難解だが、戦後の化粧品メーカーの展開を見れば、商品と広告キャンペーンが人々の身体のイメージ──健康観、衛生観、肉体美──を作りあげ、それが時代によって変遷していったことは一目瞭然だろう。
5つの章のなかで、個人的にもっとも興味深かったのは第4章「衛生観の芽生え」で紹介されている歯磨きとシャンプーの事例だ。幕末開港後に日本を訪れた欧米人は、日本人には歯抜けが多い、味噌っ歯で汚いと述べていることから、歯磨きの習慣が定着していなかったことがうかがわれるという。
大正時代になってからも若年からの虫歯が多く、学校教育を通じて歯磨きの啓蒙運動が行なわれた。しかしながら現実に人々に歯磨きの習慣をつけさせ、歯を衛生的、健康的にしたのは、学校教育ではなく、ライオンや中山太陽堂などの歯磨き粉や歯ブラシ、そしてそれらの広告だった。シャンプーの習慣についても同様で、毎日の洗髪の習慣を可能にしたのは髪や肌を傷めないシャンプーや石鹸の開発であり、フケを不潔なものと人々に印象づけたのもフケを抑える効果を持つシャンプーの広告だった。人々は新しい商品と新しい広告によって従前の自分たちを不潔と定義し、新たな清潔さをこぞって求めたのだ。エイドリアン・フォーティーは、19世紀末から20世紀初頭の欧米において「清潔さの水準を高めるうえでは、商業のほうが衛生論者たち以上の成功をおさめた」 と述べているが、ここではまさに同様のことが日本の事例によって示されていることになる。商品史としても、広告史としても、デザイン史として見ても、たいへん興味深い。
企画展第2章「流行の創出と『伝統』の発見」と関連して、第3展示室では大正期に百貨店で開催された展覧会に出品された江戸時代の染織品が取り上げられていた。百貨店は新作を売り出すにあたり、参考品として歴史史料を展示することで製品に歴史的な裏付けがあること、それを身につけることが良い趣味を表すことなのだと顧客に訴えていたのである。[新川徳彦]
2016/12/8(木)(SYNK)
染付古便器の粋──青と白、もてなしの装い
会期:2016/12/28~2017/01/09
Bunkamura Gallery[東京都]
牡丹に雀、竹に雀、菖蒲や水仙、楓、朝顔、波に鶴等々、白地に鮮やかな青で見事に絵付けされた陶磁器がギャラリーに並ぶ。中国では青花、ヨーロッパではBlue & Whiteと呼ばれ、日本では17世紀初頭に有田で磁器が焼かれるようになって以来、400年にわたって行なわれてきた伝統的な装飾技法である染付。とても美しい。美しいけれども、並んだ製品はいずれも便器だ。小便器も大便器も、外側はもちろんのこと、縁、内側にまで細やかに絵付けが施されている。用を足すための調度に、職人達はなぜこれほどまでの手をかけたのだろうか。その凝った意匠の存在はさておき、陶磁器製の和式便器はそれなりに伝統ある製品だと思い込んでいたのだが、生産が盛んになったのは明治半ばのことだ。明治24年(1891年)の濃尾大震災以降、復旧家屋にそれまでの木製に代わって陶器製の便器を設置する人たちが増え、東海地方を中心に陶器製便器が普及していくなかで、製品に染付画が施されたのだという
展示されている古便器は主に生け花「古流松應会」の家元・千羽他何之氏のコレクション。ふだんはINAXライブミュージアム(愛知県常滑市)で見ることができる。展示されている逸品の中でも「最高級」の品は、六代加藤紋右衛門(1853~1911)のもの。紋右衛門の窯では輸出向けの花瓶やピッチャー、チュリーンなどから、タイル、便器にいたるまで、あらゆる陶磁器製品を生産し、海外の万国博覧会や内国勧業博覧会に積極的に出品していた。日本初の和風水洗大便器、洋風小便器を製造したのも紋右衛門の窯なのだそうだ(ちなみに松濤美術館「セラミックス・ジャパン」展には、紋右衛門窯の「染付草花図サーバー」が出品されている)。こうした高級な染付の便器は主として料亭や旅館、富豪の屋敷の客用トイレに設置され、その文様が客人の目を楽しませたということだ。[新川徳彦]
関連レビュー
セラミックス・ジャパン 陶磁器でたどる日本のモダン|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー
2016/12/28(水)(SYNK)
驚きの明治工藝
会期:2016/11/12~2017/12/25
細見美術館[京都府]
明治期、日本の美術工芸産業は、数少ない輸出産業に見込まれて脚光を浴びた。開国に前後して海外へと流出しはじめた美術工芸品は、欧米で注目されてジャポニスムの潮流を巻き起こしたのである。江戸期に培われた各種工芸技術は新たな展開をむかえ、世界各地で開催された万国博覧会等で絶賛される。本展には、明治期を中心に昭和初期までの金工、漆芸、木彫、陶磁器、七宝、染織などのなかでも、とくに驚くべき表現や技法を用いた作品、130点余りが出品された。珍しいものとしては、「自在置物」と呼ばれる金工作品が20余り含まれる。「自在置物」とは、鉄や銀などで動物や昆虫などを間接や構造にいたるまで写実的につくり、実際にそのものらしく動かせるようにした作品である。早いものでは江戸中期に甲冑師、明珍が手掛けたものがあり、本展でも明珍清春作《自在龍》や明珍宗春作《自在蛇》、《自在鳥》、明珍宗国作《自在ヤドカリ》などが出品されている。明治期のものとしては宗義作《自在龍》、《自在蛇》、宗一作《自在鯉》、宇由作《自在伊勢海老》、好山作《自在カマキリ》、《自在トンボ》などが見られる。それらの多くは金属特有の重厚な光沢をたたえており、形状は確かに写実的だがその量感や質感、精巧で緻密な細工からは独特の不思議な存在感が漂う。熟練の技をもつ匠たちが腕を振るった、いずれ劣らぬ逸品揃い、しかしその一種奇妙な有り様に近代特有の時代感を感じずにはいられなかった。残念ながら「自在」具合を触ったり動かしたりして確かめることはできないが、会期中には一部の自在置物のポーズ替えが行なわれている。[平光睦子]
2016/12/19(日)(SYNK)
招き猫博覧会
会期:2016/12/15~2017/12/26
京都高島屋7階グランドホール[京都府]
福を招く猫の像「招き猫」ばかりを集めた展覧会。会場は、第1章「招き猫の歴史」、第2章「全国の招き猫」、第3章「神社、仏閣に伝わる招き猫」、第4章「招き猫コレクション」、第5章「『招き猫』ART」、第6章「『招き猫』ふくもの市」の6部構成である。招き猫の発祥は今からおよそ180年前。その源流をたどると、頭が小さくリアルな顔に特徴がある今戸系、頭が大きく小判を抱える常滑系、細身で頭が小さく多彩な前垂れが特徴の古瀬戸系など産地によっていくつかの系統にわけられるという。一口に招き猫といってもそれぞれ時代や目的、産地によってさまざま。土、紙、木などその土地の素材を生かした郷土玩具としても全国各地でつくられており、なかには海を越えるものもある。大型でデコ盛装飾に特徴がある九谷系の招き猫は、明治期以降に海外向けの輸出品としてはじまった。また、京都の檀王法林寺の真っ黒い招き猫は、ご本尊、主夜神尊の御使い猫である。土産物から神の使いまで役割も実に幅広い。では平成の招き猫、現代のアーティストたちが手掛けたものの役割はさしずめ個々の思いや願いの表出といったところだろうか。ともあれ、人々が招き猫に託してきた思いはただひとつ、「幸福を招くこと」には違いない。[平光睦子]
2016/12/18(土)(SYNK)
日本発 アナログ合体家電 大ラジカセ展
会期:2016/12/09~2016/12/27
Parco Museum[東京都]
さまざまな機能をひとつの装置にまとめたい、そして外に持ち出したいという欲望は、いまやスマートフォンという装置に集約されつつあり、そうした要求は必ずしも日本独自のものではないと思われる。しかしながら、かつて一世を風靡したラジカセの場合、日本の家電製品が世界を席巻していた時代の産物であり、それが「日本発アナログ合体家電」(本展サブタイトル)と呼ばれることに違和感はない。多機能製品は数あれども、ラジカセの場合はラジオ、FM放送を録音・再生する媒体としてカセットテープレコーダーが補完的役割を果たしていたこと、電池でも駆動でき、取っ手が付いてどこにでも持ち運びできたことが商品としてヒットした理由だろう。キッチュな合体家電と異なり、ラジカセはユーザーのニーズにフィットした製品だった。展示品は家電蒐集家・松崎順一氏が収集したヴィンテージ・ラジカセの数々で、それらのデザインの特徴を一言でいうと「男の子っぽい」。飛行機のコックピットを思わせるほどスイッチやつまみが多いのだ。会場でかつて筆者の父親が使っていたアイワのラジカセTPR-820(1978年)に再会したが、これほどたくさんのスイッチを父が使いこなせていたとは思えない。操作性のよさよりも、金属的な質感の外装、複雑な操作系が当時の(男性にとっての)「新しさ」「かっこよさ」だったのだと思う。展示されているラジカセのパンフレット表紙には女性アイドルや水着のモデルが起用されているものが多く、これもラジカセが男性向けのアイテムだったことを示していよう。ポータブルな家電という点では、昨夏に生活工房で開催された「日本のポータブル・レコード・プレイヤー展」が思い出される。レコード・プレーヤーの場合はプラスチック製のポップなデザインとカラーが印象的だった。コレクションにバイアスがあることは考慮しなければならないだろうが、両者のデザインの違いにはユーザー層の差、時代の違いがうかがわれる。[新川徳彦]
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2016/12/17(土)(SYNK)