artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

南極建築 1957-2016

会期:2016/12/09~2017/02/21

LIXILギャラリー大阪[大阪府]

極寒の過酷な自然環境─ブリザードや雪の吹き溜まり─に耐えうる建築とは何か。本展は昭和基地を中心に、南極の建築物がどのように進化してきたかをたどる。その形成に寄与したのが建築資材や物資を運ぶ観測船で、その大型化が建築物の規模拡大に影響した。1957年に初めて設置された昭和基地は木質のプレファブ建築。住宅大手メーカーによるプレファブ工法が国内での販売へと展開してゆき、それが基地建設にも応用されていった時代背景を考えると面白い。気温がマイナス50度にも及ぶ現地で建材からの複雑な工事が必要なく、船で運んで組み立てるだけで使用ができるからだ。展示では、船の変遷とともに建築の形態と機能が発展してゆくさまを見ることができる。さらに観測隊員の現地での生活を想像しやすいようにと、日用品や装備を入れた、第一次隊の梱包用の木箱で展示用通路がつくられている。1957年から2016年まで5期にわたる歴代の建築物を通覧すると、基地の形状自体がもつ魅力にも気付く。近未来的な造形もあり、見ていると面白い。映像資料も工夫されているので、南極における環境の実態と、当地での快適な居住性の追求に関わって知恵と実験を重ねてきた人々の営為について実感する。[竹内有子]

2016/12/10(土)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00038182.json s 10130902

7つの海と手しごと〈第7の海〉北太平洋と北西海岸先住民のトーテム

会期:2016/11/19~2017/12/18

世田谷文化生活情報センター:生活工房[東京都]

世界の海沿いの地域に暮らす人々の生活を紹介するシリーズ。2011年5月から始まった7回の展覧会を見てきて印象に残ったのは、海との関わりで生きてきた人々の生活と、それらの人々に伝わる手しごと、文様、デザインが示す民族のアイデンティティだ。最終回となる本展では、北米大陸北西部、カナダ・ブリティッシュコロンビア州を中心にアメリカ合衆国アラスカ州、ワシントン州の太平洋岸沿いに住む先住民たちの暮らしが取り上げられている。北西海岸先住民は半定住社会で、春から秋はキャンプ地で漁労を中心に食糧を蓄え、冬には村に集まり過ごしてきた。豊富にとれるサケ類を乾燥・燻製して貯蔵して冬期の食糧とするほか、ユーラコン(蝋燭魚と呼ばれるほど油分が多いという)から採れる油は交易品ともなった。北西海岸先住民は、動物と人間を同一視し、特定の動植物や自然現象を自分たちの祖先と特別な関わりがあるものとして信じてきた。これを「トーテム」といい、ワタリガラス、ワシ、オオカミ、シャチ、クマなどの意匠が個人や集団のアイデンティティ、一族の由来を伝えるものとして家や柱、生活道具や衣類、儀礼用具などに描かれたり彫刻されたりしてきた。展示では、北海道立北方民族博物館が所蔵する資料を中心に、北米大陸北西海岸地域の地理や歴史、トーテムの意匠を施した道具類や版画、先住民たちに伝わる神話、生活や風習を記録した映像などによって、北西海岸先住民の過去と現在の生活文化が立体的に紹介されていた。展示品のなかでも1980年代から90年代に制作されたシルクスクリーン版画は、先住民の神話を語るものとしても意匠としても印象的であるばかりではなく、白人の到来以来先住民たちが被った苦難とアイデンティティ再生の歴史を物語るものでもあって、とても興味深い★1
「トーテム」が施されたものとして日本でもよく知られているのはトーテムポールだろう。本展では19世紀に撮影された写真や、現代のミニチュアのトーテムポールが紹介されている。恥ずかしながら、筆者はこれまでトーテムポールを北米先住民に共通する彫刻柱と誤解していた。とはいえ、そのような誤解はゆえなきものではないらしい。誤ったイメージの源泉は1953年のディズニー映画「ピーターパン」。この映画の中にはティーピーと呼ばれる円錐状のテントとトーテムポールの前で羽根飾りを付けた先住民たちが踊るシーンがある。しかしながら、劇中に描かれている先住民は平原地帯で移動生活をしていた人々のイメージであり、本来トーテムポールを建てたのは大きな樹木が茂る地域に定住していた北西海岸先住民の一部の部族のみで、両者の生活圏、暮らし、風俗はまったく異なるのだ★2。ところで、かつて日本各地の小学校の校庭にもしばしばトーテムポールが見られた。トーテムポールになにか親しみを覚えるのはそのせいもあるのだろう。いったいなぜ日本の学校に北米先住民の彫刻柱を模したものが建てられたのか。小学校で図工教育に携わった大先輩の話によれば、昭和40年代終わりから50年代にかけて街の電柱が木製からコンクリート製へと切り替えられていった際に、不要になった木製電柱をもらい受けて図工の共同制作としてつくられたのだという。誰が電柱でトーテムポールをつくることを最初に思いついたのかは分からないが(ここにもディズニー映画は影響していただろうか)、お金がかからず共同制作に適したものとして、教員の研究会を通じて各地に広まっていったのだろうということだ。[新川徳彦]

★1──北海道立北方民族博物館が収集した北西海岸先住民の版画については、齋藤玲子「北海道立北方民族博物館所蔵の北西海岸インディアンの版画について」『北海道立北方民族博物館研究紀要』第17号、2008年。
このほか、北西海岸先住民の美術については国立民族学博物館の調査報告書が詳しい(齋藤玲子編『カナダ先住民芸術の歴史的展開と現代的課題』国立民族学博物館調査報告、131、2015年)。
★2──細井忠俊『トーテムポールの世界─北アメリカ北西沿岸先住民の彫刻柱と社会─』彩流社、2015年4月、58頁。

関連レビュー

カリブ海とクナ族のモラ|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2016/12/04(日)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00037883.json s 10130905

二条家文書の世界

会期:2016/11/19~2016/12/03

ハリス理化学館同志社ギャラリー[京都府]

二条家は、藤原氏嫡流の公家、五摂家のひとつ。その歴史は鎌倉時代に遡る。江戸時代の屋敷跡は現在、同志社女子大の今出川キャンパスの一角にあたり、1980年以降校舎の建設にともなって屋敷跡の調査がすすめられてきた。本展で展示されているのは、二条家から学校法人同志社が譲り受け研究を進める史料一式のなかから、その核となる即位灌頂約60点のうちの17点。即位灌頂とは天皇即位に関する秘儀である密教儀式のことである。展示品《桜町天皇宸翰》には「即位灌頂の事ハ、朝廷の重事なり、(中略)伏見院即位の時、執柄二条師忠さつけ候而、これより代々二条家のミ受申さる」ともあり、即位灌頂という重要な儀式を受け継いだのはおもに二条家であったようだ。およそ300年前の文書もあるが、保存状態がよいため、年月を感じさせない。今も脈々と続く公家の家系、その伝統を垣間みる展覧会であった。[平光睦子]

2016/11/19(土)(SYNK)

なにで行く どこへ行く 旅っていいね

会期:2016/11/11~2016/12/03

京都dddギャラリー[京都府]

DNP文化振興財団と京都工芸繊維大学美術工芸資料館が所蔵するポスターのなかから、「旅」をテーマに選定された作品を一堂に展示している。ポスターを通じた「旅」への誘いには、3つの切り口、「1 交通の発達」、「2 観光地とレジャーの発展」、「3 旅が喚起する感情や非日常性を演出した多様なイメージ」が用意されている。
ひとつめの観点には、旅の移動手段である鉄道・船・飛行機のモチーフが表す力強さ・豪華さ・優雅さ・速度の表現がある。例えばカッサンドルと里見宗次、さらには杉浦非水《東京地下鉄道株式会社》(1927)にみられるアール・デコの機械を愛でる表現をそれぞれ比較してみると面白い。


左:杉浦非水《東京地下鉄道株式会社》1927 右:里見宗次《日本国有鉄道》1937

二つめには、海水浴・登山・スキーや温泉地等レジャーを通じた観光地の形成プロセスに、時代性を味わって鑑賞もできる。1960年代の《太陽に愛されよう資生堂ビューティケイク》のモデル前田美波里のはつらつとした水着のイメージと、70年代オイル・ショック後の横尾忠則《湯原温泉》の神秘性を醸し出すようなイメージは、まさに対照的である。三つめに、国鉄による鈴木八朗の観光ポスター《Discover Japan》(1974)《Exotic Japan》(1983)に、現代におけるポスターの発展形をみることができる。キャッチコピーと大胆な写真で構成される画面の斬新さばかりでなく、テレビ番組やCM等放送メディアまでも含む一大キャンペーンを思い出す人も多かろう。11月19日に京都工芸繊維大学で開催されたシンポジウム「観光ポスターに見る日本の近代ツーリズムについて」(京都精華大学教授の佐藤守弘、京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授の平芳幸浩、DNP文化振興財団CCGA現代グラフィックアートセンター長の木戸英行のパネルディスカッション)では、ポスターのさらなる現在進行形が多面的に示された。(登壇者名は敬称略) ちなみに本展は、同大学のアートマネージャー養成講座と京都dddギャラリーの連携企画展。開学以降に同資料館が教育の手本用に収集してきた、近代西欧から現代までに渡るポスターの有す「歴史性」と、DNP文化振興財団の所蔵する現代日本のポスターにみられる時代の「先端性」が補完しあう、幸福なケミストリー。産学連携の良い事例となる展覧会であろう。[竹内有子]


会場風景

2016/11/18(土)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00037529.json s 10129762

美術工芸の半世紀 明治の万国博覧会展[II] さらなる挑戦

会期:2016/10/29~2016/12/04

久米美術館[東京都]

幕末から明治期にかけて日本が参加した万国博覧会を取り上げる全3回のシリーズ。昨年に続く第2回では、前回同様に久米邦武・桂一郎親子および霞会館(旧・華族会館)とのかかわりを背景に、3つの万博と2つの内国勧業博覧会が取り上げられている。第1章は、1888年/明治21年にスペインで開催されたバルセロナ万博。日本は参加国のひとつであったが、スペインとの通商上の交流は少なく、政府は実質的な出品手続きを松尾儀助の起立工商会社に委任。松尾と久米邦武がかねてより昵懇であったことで、当時21歳で画学生としてパリに留学中であった息子の久米桂一郎が博覧会事務に従事している。桂一郎の回顧に「陶磁器の如きも余りに平凡であつたので、私がフランスの知人へ土産品用に取り寄せた有田焼の人形及動物の赤絵置物数個を陳列に加へたのが金牌を受賞された」とあるのが興味深い。取り寄せた有田焼とは、父・久米邦武が設立にかかわった有田・香蘭社あるいは精磁会社の製品だったのだろうか。第2章はバルセロナの翌年、1889年/明治22年にフランス革命100周年を記念して開催された第4回パリ万博。久米桂一郎はこの万博に通訳として関わっている。第3章は、1893年/明治26年にコロンブスの新大陸上陸400年を記念して開催されたシカゴ万博(別名コロンブス世界博覧会)。このとき日本は平等院鳳凰堂を模した鳳凰殿を建設。日本からの出品数は1万6500点に及んだという。万博会場には参加各国の女性の出品作を展示した女性館が設けられ日本人の女性画家の作品14点が出品されたほか、「高貴な婦人の私室」2部屋が設置され、大名家の婚礼調度が飾り付けられていた。
本展には久米桂一郎関連資料のほか、各万国博覧会、内国勧業博覧会関連資料が出品されている。美術工芸品についてはシカゴ万博出品作が中心で、なかでも女性館に陳列された渡辺幽香「幼児図」は、豊臣秀吉に仕えた福島正則が2歳で石臼を引いた怪力の逸話に取材した画と、工芸的な意匠が施された額縁がとても印象的だ。このところ関心が高まっている明治の輸出工芸隆盛の時代背景を知るために、日本の美術工芸品を海外にプロモートする場であった万国博覧会や内国勧業博覧会、そしてその運営を担った人物に焦点を当てる本展覧会シリーズは、小規模ながらも注目すべき企画だ。[新川徳彦]

関連レビュー

美術工芸の半世紀 明治の万国博覧会展[I]デビュー|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2016/11/17(木)(SYNK)