artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
京都の高等女学校と女学生
会期:2014/12/20~2015/03/29
京都市学校歴史博物館[京都府]
京都では、1869(明治2)年に日本で最初の学区制小学校が開校した。番組とよばれる自治組織ごとに設置された、いわゆる「番組小学校」である。元治の大火や東京奠都であたりが沈滞するなか、復興のシンボルとして町衆の手によって創設され地域ぐるみで管理運営まで行なわれたという。元明倫小学校の京都芸術センターや元龍池小学校の京都国際マンガミュージアムなど、統廃合で閉校になった番組小学校の建物が近年相次いで他の利用目的の施設に生まれかわっているが、元開智小学校の本館もそのひとつ。木造瓦葺きの立派な門をくぐり成徳小学校から移築された起り破風の玄関をとおって館内に一歩足を踏みいれると、板張りの廊下や石製の階段手摺、生徒が描いた壁画など、いかにも懐かしい風景が広がっている。
高等女学校の制服をテーマにした本展では、写真や資料で近代の女学生文化をたどる。1891(明治24)年の学校法改正とともに登場した女学生は、かつては恵まれた良家の子女だけがなれる憧れの存在だった。昭和のはじめには京都市内に公立6校、私立10校あった女学校も第二次世界大戦後には共学化がすすんで女学生の存在価値も次第にうすれ、いまでは女学生という言葉自体あまり耳にしなくなった。展示品にレプリカ一点しか実物の制服がないのは少々残念だが、数々の写真パネルからでも十分に当時の様子をうかがい知ることができる。パネルの多くは制服姿の女学生を写した集合写真である。明治期には着物に髷の正座、大正期には袴に庇髪の椅子式座位または立位、セーラー服に引っ詰めの三つ編みになって顔や身体に表情がみられるようになるのは昭和期にはいってのこと。満面の笑顔にいたっては戦後になるまでほとんどみあたらない。大和撫子とはいたって控えめで大人しく装うものだったのである。資料の多くは個人からの提供というが、これらの写真をアルバムにしまって大切に保管していた人たちの思いを想像すると、その時代を生きた少女たちの存在が急にリアリティーを帯びて見えてくる。[平光睦子]
2015/02/13(金)(SYNK)
WITHOUT THOUGHT Vol.14 スマホ
会期:2015/01/09~2015/02/01
ヨコハマ創造都市センター[神奈川県]
「WITHOUT THOUGHT」とは「思わず……」の意。人々の無意識の行動をテーマとして、プロダクト・デザイナー深澤直人がディレクションし、さまざまな企業で働く現役のデザイナーたちが参加するワークショップの作品展。14回目のテーマは「スマホ」。薄い四角い板状の物体で、多くの人びとがほぼ同一の形状のものを日常的に身につけ、持ち運ぶプロダクト。そうしたスマートフォン(実際にイメージされているのはiPhoneと言ってよい)のかたち、使用シーンから発想されたさまざまなオブジェやアプリ、実際的な周辺機器からユーモアのある提案まで、今回もとても楽しく見た。例えばトイレの個室で用を足しているときにスマホをいじる人は多い。紙を使ったり水を流すときに手の届くところにちょっとスマホを置く場所があればということは誰でも思うこと。滑り止めが付いたトイレットペーパーホルダのカバーやスマホサイズのトレーの提案はじつに気の利いた説明不要のデザインである。ひっつき虫と呼ばれる植物の種子を模したパーツが付いているイヤホンのコードは、セーターのどんな場所にでもコードをくっつけて保持できる。ワイングラスのような脚が付いたスマートフォンカバーは、持ちやすさという機能を持たせると同時に画面のガラスの割れやすさを皮肉っているようで面白い。黒いiPhone 5とそっくり同じかたちをした薄い羊羹は、思わず手に取ってしまったあとにどうしようか。アプリの提案では作業途中で放置しておくと画面がだんだんぼけながらスリープ状態になる「寝ぼけスマホ」や、バイブレーション機能を利用した紙相撲がナンセンスでよかった。[新川徳彦]
2015/02/01(日)(SYNK)
JIDA デザインミュージアム・セレクション Vol.16 東京展
会期:2015/01/14~2015/01/19
AXISギャラリー[東京都]
JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会)が運営するJIDAデザインミュージアムが毎年選定しているデザインに優れたプロダクトの展示会。家電、オフィス家具、福祉機器、教育機器、防災機器、サインシステム、バイクや自動車、鉄道車両といった輸送機器など、多様なジャンルから、合計37点の製品が選ばれている(選定製品の一覧はJIDAデザインミュージアムのサイトで見ることができる)。興味を惹かれた製品をいくつか挙げる。防災用ヘルメット「IZANO」(DICプラスチック株式会社)は、通常のヘルメットの半分のスペースで保管できる折り畳み式のヘルメット。同様の折り畳み式ヘルメットは他にもあるが、ワンアクションで組み立てられる点が優れている。陶製の湯たんぽ「yutanp 」(株式会社セラミックジャパン)は、蓋の出っ張りがない薄い円形で、金属製の蓋を外すと電子レンジで加熱することも可能。電動アシスト車椅子「JWスウィング」(ヤマハ発動機株式会社)は、同社の電動アシスト自転車の技術を応用した製品。見た目も操作性も手動車椅子と同様で、車椅子使用者の自立した生活を支援する。ペンのような形状をした植物用水分計「サスティー」(キャビノチェ株式会社)は、鉢にさしておくだけで土中の水分量を色の変化で教えてくれる。蘭など水のやり過ぎで枯らしてしまいがちな植物の世話の目安を提供してくれるもので、室内の鉢植えにささっていても違和感がないスマートなデザイン。各プロダクトには選定理由がわかりやすくコメントされており、一部を除いて手にとって見ることができる(鉄道車両や自動車のように実物が展示されていないものもある)。マーケット、ターゲット層については必ずしも明示されていないが、価格が書かれているのでおよその目安はつく。いずれも俗に「デザイン家電」と呼ばれているような見た目のデザインに特化したものではなく、機能とデザインのバランスが優れたリアルなデザインの姿を見せてくれるセレクションである。[新川徳彦]
2015/01/19(月)(SYNK)
未来技術遺産登録記念 レンズ付フィルム展
会期:2014/10/28~2015/01/25
日本カメラ博物館[東京都]
2014年8月に世界初のレンズ付きフィルムとしてフジカラーの「写ルンです」(1986年発売)が未来技術遺産として登録されたことを記念し、日本カメラ博物館で「レンズ付フィルム展」が開催された。未来技術遺産(正式名称:重要科学技術史資料)は、国立科学博物館が科学技術を切り開いた経験を次世代に継承するため2008年に開始した制度で、これまでに184件が登録されている。本展では「写ルンです」に用いられた技術やデザインの変遷にとどまらず、他社製品、マーケットの状況、同時代のカメラも併せて出品され、一時代を築いた製品の姿が多角的に紹介されていた。
レンズ付きフィルムはどのような点で消費者に受け入れられたのか。写真撮影機材発達の歴史として、展示では「携帯性」「簡便性」「確実性」の三つが挙げられている。レンズ付きフィルムはそのいずれにおいても理想的な商品だったという。携帯性という点では、小型カメラに比べても軽く、小さく、また駅のキヨスクや観光地の売店でいつでも購入可能である点。簡便性では、巻き上げとシャッターを切るだけという簡単操作。確実性では、フィルム装填の必要がなく、また広角系のレンズと高感度フィルムの使用でピンぼけ、手ぶれが起きにくい工夫がなされている。35mmフィルムを使用したカメラでは、フィルムの装填、巻き戻しに失敗することがあったが、レンズ付きフィルムはそうした不確実性を排除することができた。デザインの変遷を見ると、フジカラーが当初フィルムを想起させる箱形の紙パッケージであったのに対して、後発のコニカはカメラに似たプラスチック製のパッケージを用い、その後フジカラーも「フィルム」から「カメラ」へと、その形状が大きく変わっている。他方で初期の紙パッケージは印刷が容易なこともあって、企業やイベントのノベルティーとして、あるいは観光地のご当地モノとして、さまざまなデザインの商品がつくられた点は興味深い。技術面では、フィルムの高感度化、フラッシュの搭載、APSフィルムの使用による小型化があり、またパノラマ撮影や水中撮影、3D撮影など、普通の小型カメラにはない機能を搭載した製品も登場し、活躍の場を拡げていった。
展示資料によれば、レンズ付きフィルム生産の最盛期は1997年。生産数はその後緩やかに減少し、2003年からは激減している。その背景には、カメラ付き携帯電話の登場とデジタルコンパクトカメラへの移行がうかがえるという。撮影機材にとっての「携帯性」「簡便性」「確実性」という課題に応えて写真撮影をとても身近な存在にしたレンズ付きフィルムは、この10年間でさらに優れた製品に取って代わられ、人々の写真の楽しみかたが拡張されてきたということになろうか。[新川徳彦]
2015/01/17(土)(SYNK)
京都老舗の文化史──千總四六〇年の歴史
会期:2015/01/06~2015/02/11
京都文化博物館[京都府]
京都といっても、これほどまでに由緒をとどめる商家はさほど多くはあるまい。京友禅の老舗、千總の歴史を紹介する展覧会。千總の歴史は、桓武天皇平安遷都の際に御所造営にかかわった宮大工にまで遡ることができるという。応仁の乱のあと京都に戻って法衣商をはじめたのが460年前のことで、千總の名は1669年に室町三条で法衣商を開業した千切屋与三右衛門の孫、千切屋惣左衛門に由来する。千總現会長、西村總左衛門氏は15代目というのだから驚くほかない。本展では、その歴史を物語る文書や系図などの多彩な資料をはじめ、ひな形や図案、法衣や小袖などが展示されている。1月20日以降には、博物館もよりの千總ギャラリーを第二会場にも展示が拡張される。
優れた衣装は、時に、美術品として鑑賞の対象とされる。本展においても、「秋草筒井筒文様小袖」や「鵜飼文様小袖」など、当代最高レベルの染織技法を駆使して「伊勢物語」や謡曲、能楽などから引いた文様を巧みに描いた逸品の数々は見応え十分である。明治期には名だたる画家たちが図案を手がけた工芸品が国内外の博覧会に出品されたことが知られているが、その流れを先導したひとりが12代西村總左衛門であり、本展でも岸竹堂や今尾景年、榊原文翠、望月玉泉らの作品を見ることができる。
しかしながら、あらためて家業としての歴史のなかでみなおすと美術品とは異なる側面が見えてくる。もともと千總の家業であった法衣商という仕事は、御装束師ともよばれるという。公家の儀式や行事、調度や文芸、料理や装束といったことに関わる広範な知識と規範を有職故実というが、装束師の仕事はその有職故実に則って装束を整えることだった。有職故実とは、いってみれば公家社会における秩序や常識である。時代を超えて伝え継がれ時代の流れのなかで変化する秩序や常識、それらにあわせて衣装を調整することが、代々つとめあげてきた千總の役割だったのである。[平光睦子]
2015/01/15(木)(SYNK)