artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

グラフィックデザイン展<ペルソナ>50年記念 Persona 1965

会期:2014/11/05~2014/11/27

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

東京オリンピックの翌年、1965年11月12日から17日まで、松屋銀座において「グラフィック・デザイン『ペルソナ』」と題するグループ展が開催された。参加者は、粟津潔(1929-2009)、福田繁雄(1932-2009)、細谷巖(1935-)、片山利弘(1928-)、勝井三雄(1931-)、木村恒久(1928-2008)、永井一正(1929-)、田中一光(1930-2002)、宇野亜喜良(1934-)、和田誠(1936-)、横尾忠則(1936-)ら、いずれも日宣美出身の11名。名前を見ればわかるとおり、その後の日本のグラフィックデザイン界を牽引していったスターばかり。当時は概ね30代であった。6日間の会期に3万5千人もの来場者があったという50年前のグラフィックデザイン界の「事件」を、そのときに出品された作品で再構成したのが今回の展覧会である。
 展覧会の趣旨はどのようなものであったのか。展覧会の命名者であり当時の図録に序文を寄せた勝見勝は「チームワークと無名の行為を求めつづけられてきたペルソナの人々が、個性の表現を指向しはじめたのも、私にはごく自然な成りゆきと思われます」と書く。ゆえに「この展覧会によって、グラフィックデザイナーの存在が広く社会的に知られることにな」ったと位置づけられる★1。しかし今回の図録に柏木博氏が書いているように、グラフィックデザイン史に残るこの「事件」の詳細には不明なところが多い。なぜこの展覧会が組織されることになったのか。なぜこの11人だったのか。先立つ10年前に組織された「グラフィック55」展からどのような影響を受けているのか。出品デザイナーやその後の日本のグラフィックデザインにどのような影響を与えたのか。
 たとえば、それまで一般に無名であった11人が3万5千人もの観客を集めたのか。それともすでにスターであったから人々が集まったのか。グラフィックデザイナーによれば「最終日にもういちどゆっくり見てみたいと思って出かけたところ、会場の混雑ぶりはラッシュ時の国電なのでアキれてしまった。若い男女がタメ息まじりに押し合いへし合い作品を見つめている有様は、異常な熱気をはらんで、ちょっと恐ろしいほどの光景であった」という★2。出品されている仕事はさまざまで、展覧会のために自主制作されたものもあれば既存の広告ポスターもあるところをみれば、デザイナーによって展覧会に向かう姿勢は異なっていたと推察される。福田繁雄は「ペルソナ展以降は、自分の造形思想に頑固にこだわるように」なったと書いているが★3、他のデザイナーたちはどうだったのか。展覧会を伝える新聞や雑誌の記事には「第1回」と冠されているものがあり、またニューヨーク展が企画されているとの記述が見られるが、第2回展もニューヨーク展も実現された気配はない。とにかくペルソナ展に関する疑問は尽きない。開催から50年を迎えるいま、ペルソナ展の事実と歴史的位置づけ、そして今日的意義はあらためて検証されるべきであろう。[新川徳彦]

★1──本展チラシ。
★2──山城隆一「独特の熱気を生み出した〈ペルソナ展〉とその出品作家」(『アイデア』1966年3月号、65頁)。
★3──福田繁雄『遊MOREデザイン館』(岩波書店、1985)55頁。


展示風景

関連レビュー

ムサビのデザインII デザインアーカイブ 50s-70s:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/11/13(木)(SYNK)

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京版画・芸艸堂の世界

会期:2014/10/25~2014/11/30

虎屋京都ギャラリー[京都府]

京版画の老舗、芸艸堂(うんそうどう)は明治24(1891)年に創業した。正確にいえばもう少し以前、明治20(1887)年に本田寿次郎が起こした本田雲錦堂と山田芸艸堂が合併して芸艸堂となった。さらに山田芸艸堂の創業者、山田直三郎はそれ以前に安政年間から続く田中文求堂に奉公していたというから、芸艸堂はまさに京都の手摺木版の正統な継承者といえよう。現在では、手摺木版和装本を刊行する出版社は日本でここ一社だけとなったそうだ。本展には、その芸艸堂の所蔵から神坂雪佳(1866-1942)の《海路》や《百々世草》をはじめ、名物裂を木版画で再現した《あやにしき》など、近代図案集の名作から出品されている。
 展示作品のなかでも、伊藤若冲(1716-1800)の「玄圃瑤華」は拓版という聞き慣れない技法で摺られている。墨を置いた版木に紙をのせてタンポでたたくように摺り上げる技法である。草花に虫類を配し白と黒の二色で構成された端正な画面には浮き彫りのような立体感が現われ、モチーフが硬く重い、錫や鉛のような、光沢感を帯びているかに見える。あわせて展示されている1、2センチほどの厚みの版木には、迷いのない正確さでたっぷりと凹部分が刻まれている。江戸時代の浮世絵と同様に、一枚の版画は、絵師、彫り師、摺師の共同作業によって成り立っていることがありありと伝わってくる。そして、職人たちの身体にいかに磨き上げられ研ぎすまされた感性が息づいていたかを知らされた。[平光睦子]

2014/11/11(火)(SYNK)

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ボストン美術館──華麗なるジャポニスム

会期:2014/09/30~2014/11/30

京都市美術館[京都府]

19世紀後半から20世紀初頭にかけての西洋における「ジャポニスム」をテーマに、日本芸術が西洋の芸術家たちに与えた影響を探る展覧会。本展では、ボストン美術館が所蔵する同時代の絵画・日本の浮世絵・版画・工芸等の幅広い作品約150点が展示され、西欧での「ジャポニスム」の展開の様子が順に紐解かれていく。工夫されているのは、作品のイメージソースとなった日本の浮世絵・工芸がたくさん紹介されていること。芸術家たちが日本芸術をどのように取り入れたかについて比較・実見することができる。なんといっても見どころは初期ジャポニスムの時期の作、修復が完了した2メートルを超えるモネの大作《ラ・ジャポネーズ》(1876)。各セクションでジャポニスムの画家たちの作品を理解するための切り口が、「日本趣味(ジャポネズリー)・女性・都市生活・自然・風景」というように題され、最後のモネらの作品に至り「日本美術がいかに近代絵画の革新を導いたか」と結ばれる。印象派が展示の主眼であるゆえだろうか、もう少し新味のある示唆があってもよかったかもしれない。展示は絵画中心であるが、装飾工芸もある。工芸・デザインにおけるジャポニスムを再考するうえでも参考になる展覧会。[竹内有子]

2014/11/08(土)(SYNK)

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幾多郎と大拙──「道」のゆくえ

会期:2014/07/16~2014/11/03

鈴木大拙館[石川県]

金沢生まれの仏教哲学者、鈴木大拙の思想と足跡を紹介する「鈴木大拙館」は今年開館3周年を迎えた。これを記念して、同郷・同年生まれで親友関係にあった哲学者、西田幾多郎との関わりを紹介する展覧会が開かれた。二人とも若くから禅の修行を積み、大拙は海外経験を通じて禅文化を広く紹介し、幾多郎は西洋哲学を学び東洋の精神的伝統との融合を探求した。本展では、二人がお互いに影響を与え合った思想的背景が、「書」と「言葉」の展示によって説明される。弟子たちへ向けた講演内容や弟子による書物なども紹介され、次世代にわたっていまも生き続ける二人の思想を伝えている。同館の建築は、谷口吉生によるもの。館内は三つの空間からなる。大拙を知る「展示空間」から始まり、大拙の心や思想を学ぶ「学習空間」を経て、自らが感じ考える「思索空間」へ。来館者が館内を回り、印象的な体験ができるのは「思索空間」。そこに座って「水鏡の庭」と呼ばれる水面を見つめて思いにふけり、周りを歩いて樹齢数百年のクスノキや紅葉に染まる森の木々を眺める。心に沁み入る時間、至福である。[竹内有子]

2014/11/03(月)(SYNK)

英国叙景──ルーシー・リーと民芸の作家たち

会期:2014/10/11~2015/01/04

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

大山崎山荘美術館は、かつて、実業家、加賀正太郎(1888-1954)の私邸であった。加賀本人の設計で30年もの月日をかけ山野を開拓して建てられたという。所蔵コレクションである濱田庄司ら民芸運動の作家たちの作品も、建物同様彼の遺産である。同館では「英国叙景──ルーシー・リーと民芸の作家たち」展が開催されているが、今回とくに目を奪われたのは関連展示「加賀正太郎と『蘭花譜』」である。
 加賀が学生時代にわたった英国で出会い、帰国して自らの手ではじめた蘭花の栽培は、その後、彼の終生の趣味となった。山荘に温室をつくり、英国から蘭を輸入し、ときにはインドネシアやフィリピン、ボルネオ、インドへと蘭の生態調査に出かけ、より美しい優良種を求めて人工交配による品種改良に励んだという。蘭栽培とはまったく贅沢で高尚な趣味である。その最たるものが版画集『蘭花譜』であろう。木版画83点、カラー図版14点、単色写真図版7点の104点で構成された本譜は、1946年に300部限定版として第一輯が自費製作された。本展ではそのなかから木版画を中心に20点ほどが展示されている。原画は当時無名画家であった池田瑞月が、木版の彫刻は大倉半兵衛が手掛け、摺師は大岩雅泉堂であった。学術的記録という当初の目的を超えて、「古来の浮世絵中実に希有」★1とまで制作を指揮した加賀本人をして言わしめたというのもうなずける出来映えだ。たとえば葛飾北斎の花鳥版画と比べれば、モチーフが蘭だけにバタ臭さはぬぐえない。描写はただ写実的かつ緻密なばかりで、色彩の陰影は切れを欠く。しかしだからこそ、不思議なバランスの構図や背景のうっすらとした奥行きがかえって際立ち、画面全体から和とも洋ともつかない不思議な存在感が浮かび上がってくる。訪れるたびに独特のたたずまいに惹かれる山荘美術館、その魅力の奥深さを垣間みる思いがした。版画集『蘭花譜』は、2012年には当時の版木を用いて再摺し復刻されている。[平光睦子]

★1──加賀正太郎『蘭花譜──天王山大山崎山荘』(同朋舎メディアプラン、2006)72頁。

2014/11/01(土)(SYNK)

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