artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

タイルが伝える物語──図像の謎解き

会期:2014/12/04~2015/02/21

LIXILギャラリー[東京都]

INAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」が所蔵するタイルのなかから、三つの地域でつくられた物語を描いたタイルを紹介する展覧会。ひとつは西洋。19世紀には主に聖書の物語をモチーフとしたタイルが多くつくられたという。展覧会広報物にも取り上げられている「ハガルの追放」は旧約聖書・創世記21章の物語でたびたびタイル画になり、またベルリン王立磁器製作所ではオランダの画家アドリアン・ファン・デル・ヴェルフの絵画作品を原画に陶板画を制作している。イソップ物語を描いたタイルも人気だったようだ。これらのタイルは人々が集う暖炉の周囲を飾り、陶板画は絵画の代わりに飾られたと思われる。二つめは中国。10世紀から13世紀に建物の基壇、階段、床、墓室などに使用された (セン)と呼ばれる方形の煉瓦タイル(図柄はレリーフになっている)、15世紀の染付陶板、17~20世紀につくられた赤絵の陶板が紹介されている。また漢代の画像石をバーナード・リーチが写したタイルも。三つめはイスラム。偶像崇拝が禁じられてきたイスラムにこのような絵物語が描かれたタイルが存在することが不思議に思われる。しかし、ペルシャは比較的戒律がゆるやかで、神話・英雄伝説の登場人物たちが描かれたタイルが宮殿の壁面を飾ったと考えられているという。壁面や暖炉の周りを飾ったタイルは、建材としての機能を持っていたばかりではなく、装飾品であり、かつ神話や聖書の物語や教訓を伝えるメディアでもあったことを教えてくれる。[新川徳彦]

2014/12/03(水)(SYNK)

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「ジャン・フォートリエ」展

会期:2014/09/27~2014/12/07

国立国際美術館[大阪府]

戦後のヨーロッパで興った前衛芸術運動「アンフォルメル」の作家として知られるジャン・フォートリエ(1898-1964)の没後50年を記念し、日本で初めての回顧展が開かれた。油絵と彫刻を含む116点が、時系列に三つの構成のもとに展示された。第1章は、「レアリスムから厚塗りへ(1922-1938)」と題され、《管理人の肖像》のような写実的な作品から始まって暗い色彩を用いた抽象的表現の作品へと変化してゆく画風を見ることができる。第2章は「厚塗りから『人質』へ」(1938-1945)」で、厚く塗り重ねられた独特の絵肌をもつ静物画から、戦時下を反映した画題の連作《人質》までが扱われる。ほかの展示室と打って変わって暗い室内に浮かび上がる、マチエールの顕わな「人質」たちの頭部を表わした作品群は、観る者の眼だけでなく触覚をも刺激する。変わって第3章では「第二次世界大戦後(1945-1964)」をテーマとして、《黒の青》のような、軽やかな抽象の世界が繰り広げられる。見どころの代表作《人質》だけでなく、全仕事を通覧することで、フォートリエの抽象表現をより深く理解・堪能できる展覧会だった。[竹内有子]

2014/12/03(水)(SYNK)

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もしもの時のデザイン「災害時に役に立つ物や心のデザイン」展

会期:2014/08/30~2014/11/24

印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]

日本パッケージデザイン協会(JPDA)の会員100名が災害時における問題を解決するデザインの提案と、進化を続ける「もしもの時のデザイン」を紹介する展示会。全般的に共通する課題は、普段は出番がない(出番がないほうがよい)ものを、どのようにデザインするかということ。防災専用品であればコンパクトに保管・収納できることや、普段使わないものにどれほどコストを掛けられるかということが課題。コストの問題を解決する手段として、日常的に使用するものに防災用品として兼用あるいは転用できる機能を付加する提案が多く見られた。東日本大震災以降の特徴は、衣・食・住に加えて心の問題に重きがおかれてデザインされているところであろうか。避難所での生活をサポートし、他人とのコミュニケーションを補助する手段も目立つ。缶詰、レトルト食品、フリーズドライ食品、簡易食器など、心の問題は衣食住にも拡張されている。ペットとの避難生活の視点は、阪神淡路大震災のときには見られなかったのではないか。テーマは「災害時に役に立つ物や心のデザイン」であるが、与えられた課題に対してデザインでどのような答えを導き出すかというケーススタディとしても興味深い展覧会であった。[新川徳彦]

2014/11/24(月)(SYNK)

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赤瀬川原平の芸術原論──1960年代から現在まで

会期:2014/10/28~2014/12/23

千葉市美術館[千葉県]

2014年10月26日、赤瀬川原平が亡くなった。10月18日からは町田市民文学館ことばらんどで「尾辻克彦×赤瀬川原平──文学と美術の多面体展」が始まったばかりであった。しばらく前から体調が優れないことは伺っていたがとても残念である。ことばらんどの展覧会も、千葉市美術館での展覧会も、結果的に赤瀬川原平の活動の軌跡をたどる追悼展になってしまった。
 ひとことで言い表わすことが不可能なほど多彩な活動を行なった赤瀬川氏の仕事をどのように紹介するか。この展覧会はその活動をテーマと時系列で11章に分けて追う構成となっている。展示は1950年代武蔵野美術学校で学んだころから始まり、ネオ・ダダと読売アンデパンダンへの出品、高松次郎・中西夏之らと結成したハイレッド・センターの活動から模型千円札裁判を経て櫻画報や美学校での活動、作家尾辻克彦、「トマソン」の発見と路上観察学会、そして晩年の具象絵画への回帰にいたる。なかでも「ハイレッド・センター」と「千円札裁判」はその後の赤瀬川氏の活動を大きく方向付けたものであり、かなりのスペースを割いて作品と資料が展示されている。昨年から今年に掛けて名古屋市美術館と渋谷区立松濤美術館で開催された「ハイレッド・センター──直接行動の軌跡」展でも紹介されたものが多いが、千円札裁判については新聞社に送った内容証明や記者からの返信など、さらに多くの資料が出品されている。仕事のヴォリュームとヴァラエティばかりではなく、写真資料などを通じて紹介されている芸術家、評論家、写真家、漫画家たちとの幅広い交流も興味深い。総数500点を超える作品と資料による充実した回顧展だ。
 「自称超前衛派の若い画家」「イラストレーター」「芥川賞作家」。多彩な活動経歴ゆえに新聞記事で赤瀬川氏に付された肩書きもさまざま。私たちが氏に抱くイメージもまた、いつの時代の、どの活動で氏を知ったかによって、異なっていると思う。私の赤瀬川原平初体験は「櫻画報」だったので──とはいえ同時代の体験ではないのだが──、漫画家・イラストレーターのイメージが強かったが、その後に「トマソン」を知り、さらに尾辻克彦と同一人物であると知るにいたって氏が何者なのかわからなくなった覚えがある。本展の展覧会チラシ、図録のデザインがアヴァンギャルド風であるところを見ると、デザイナーは1960年代の前衛活動を赤瀬川芸術の根本に見ていると思われる。路上観察の面白さで氏を知った人たちは、また異なるイメージを抱いているに違いない。赤瀬川原平とは何者だったのか──いまや過去形で語らなければならない──という疑問は、氏を語る人々が必ず抱く問題で、本展図録に寄せられた山下裕二氏によるエッセイのタイトルはまさに「『赤瀬川原平』とは何者か」である。そのなかで山下氏は赤瀬川氏を「よく視る人」と評する。山下氏とのつきあいが始まった時期、「路上観察」から「日本美術応援団」にかけての赤瀬川氏の仕事は、まさに「よく視る」の真骨頂だ。では「よく視る」その視点はどこにあったのだろうか。
 本展企画者のひとり、水沼啓和・千葉市美術館主任学芸員の言葉に倣うならば、赤瀬川氏はつねに「野次馬」として自身の周囲を観察していたように思う。すなわち赤瀬川氏は「櫻画報」の「馬オジサン」である。野次馬はつねに出来事の外側にいる。けっして中には入り込まない。前衛芸術の世界にあっては「反芸術」であるが、裁判の場にあっては「芸術」を訴える。漫画にあってはその形式を乗っ取り、新左翼運動を斜に見て運動側も体制側も同等にパロディに仕立てる。美学校では自分を「先生徒」と位置づけ、教える側と学ぶ側を行き来する。「トマソン」は「よく視る」という行為と野次馬的視点が生み出した創造的発見であり、モノが持っていた本来の意味を剥ぎ取り、新たな意味を付与する行為だ。路上観察などのさまざまなグループ活動を生み出したが、けっして会長にはならない。野次馬的視点はエッセイにおいても同様で、氏は出来事の当事者であるにもかかわらず、その視点はつねに外側にあって自身を観察し解釈するのだ。とはいえ、野次馬だからといってつねに遠くの安全地帯からヤジを飛ばしているわけではない。ギリギリまで現場に近づいた結果、意図せず一線を踏み外してしまうこともある。流れ弾に当たることもある。それが模型千円札裁判であり、第二次千円札事件であり、朝日ジャーナル回収騒動だったのではないか。
 本展は赤瀬川氏の仕事をテーマに分けたうえで時系列に並べているために、氏の関心が時期ごとに変化しているようにも読めてしまうが、じっさいの仕事や関心は連続し、たがいに絡み合って成立してる。今回の展覧会を手掛かりに一つひとつのテーマを取り出せば、複雑な多面体とも表される赤瀬川氏のまた違った姿が見えてくるに違いない。[新川徳彦]


展示風景

関連レビュー

ハイレッド・センター──「直接行動」の軌跡:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/11/18(火)(SYNK)

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河北秀也 東京藝術大学退任記念「地下鉄10年を走りぬけて──iichikoデザイン30年展」

会期:2014/11/13~2014/11/26

東京藝術大学大学美術館[東京都]

営団地下鉄(現・東京メトロ)のマナーポスター、焼酎いいちこ(三和酒類)の仕事で知られる河北秀也氏(アートディレクター・東京藝術大学教授)の退任記念展。
 藝大美術館3階のエレベーターホールから会場に入ると、正面は地下鉄車両を模した細長い展示室である。じっさいに日比谷線の車両を採寸してつくったのだそうだ。この「地下鉄」の「車窓」には河北氏が1974年から10年余にわたって手がけた営団地下鉄のマナーポスターシリーズが貼られ、窓の内側の展示台には「いいちこ」の雑誌広告の実物やパッケージ、学生時代に手がけた「いちごみるく」(サクマ製菓)のパッケージなどが並ぶ。「窓上」や「中吊」にも鉄道広告を模したかたちで過去の仕事が紹介されている。「地下鉄車両」を抜けた先は1984年4月から始まったいいちこのポスター。展示室の奥ではそのテレビコマーシャルが流れ、『季刊iichiko』のバックナンバーなどの書籍が読めるコーナーが設けられている。国立大学教授の退任記念展としては驚くほど凝ったしつらえは、いいちこの醸造元である三和酒類の協賛、東京メトロの協力を得て実現したという。
 マナーポスターシリーズは「パロディ広告の元祖」とも呼ばれ★1、ユーモアのあるヴィジュアルやコピーはその意図するところが一瞬で記憶に残るデザイン。これに対して、いいちこのポスターは外国の風景の中に、探さなければわからないほど小さくいいちこの瓶が写っている。1枚だけのポスターを見ても、何を訴えているのかすぐにはわからない。一つひとつが見る人にインパクトを与えたマナーポスターと、30年間ほとんど変わらないスタイルで静謐なイメージを送り出し続けているいいちこのポスター。表面的にはまったく異なるスタイルのポスターシリーズが同一のアートディレクターの手によって生み出されてきたのはとても不思議に思われる。しかし河北氏のポスターの仕事にはいずれも共通する点がある。そのひとつがポスターというメディアの持つ特性に対する深い洞察である。すなわち「ポスターは現代では弱いメディアである。しかしデザインによっては強いシンボル効果をはたす」という河北氏の言葉★2を振り返るならば、弱いメディアを弱いままにするのではなく、そこからどのように最大限の効果を引き出し得るのかいう課題の追求が起点にあるという点においていずれの仕事にも一貫した姿勢を見ることができるのだ。マナーポスターは駅でポスターを見る人に訴えるばかりではなく、メディアで話題になることで掲出されたポスターの何倍にもなる相乗効果をもたらした。いいちこポスターは掲出量は多くないが、長い時間をかけて商品のブランドイメージをつくりあげていった。結果的にいいちこの発売前に年間売上が3億5千万円だった会社は拡大を続け、2004年の最盛期には587億円を売り上げるメーカーに成長した。商品が認められたことは言うまでもないが、ポスターそのものも話題になり、人々の記憶に残るものとなっているという点も両者に共通している。デザイナーとしてのスタイルは表現ではなく、発想のプロセスにあるのだ。余談であるが、三和酒類では河北氏がつくるポスターやCMを事前に見ることがなく、駅に掲出され、テレビで放映されて初めてその内容を知るという。会社はものづくりに徹して内部に広報部門を置かない★3。クライアントとデザイナーとの対等な関係が長期にわたるキャンペーンの背景にある。
 焼酎業界において長らくトップの座を占めていたいいちこの売上は2004年をピークにこの10年間で100億円ほど減少し、2012年にはトップの座を「黒霧島」(霧島酒造)に奪われている★4。いいちこが作りあげていった新しいマーケットに他のメーカーが並び立つようになったときに、はたしてデザインの戦略は変わるのだろうか。河北氏はすでに三和酒類「日田全麹」のCMにおいて従来のいいちことは異なる日本的なイメージを用いている。2013年にはゴールデンボンバーの楽曲を音楽に採用。三和酒類は2014年11月には新商品「空山独酌」を発売し「日田全麹」をリニューアルした。さて、いいちこそのもののブランディングはこれからどのような展開を見せることになるのだろうか。[新川徳彦]

★1──河北秀也『河北秀也のデザイン原論』(新曜社、1989)109頁。
★2──同、223頁。
★3──『デザインの現場』2003年6月号、1-15頁。
★4──『日経ビジネス』2014年11月10日、26-43頁。



展示風景

2014/11/14(金)(SYNK)