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グラフィックデザイン展<ペルソナ>50年記念 Persona 1965

2014年12月01日号

会期:2014/11/05~2014/11/27

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

東京オリンピックの翌年、1965年11月12日から17日まで、松屋銀座において「グラフィック・デザイン『ペルソナ』」と題するグループ展が開催された。参加者は、粟津潔(1929-2009)、福田繁雄(1932-2009)、細谷巖(1935-)、片山利弘(1928-)、勝井三雄(1931-)、木村恒久(1928-2008)、永井一正(1929-)、田中一光(1930-2002)、宇野亜喜良(1934-)、和田誠(1936-)、横尾忠則(1936-)ら、いずれも日宣美出身の11名。名前を見ればわかるとおり、その後の日本のグラフィックデザイン界を牽引していったスターばかり。当時は概ね30代であった。6日間の会期に3万5千人もの来場者があったという50年前のグラフィックデザイン界の「事件」を、そのときに出品された作品で再構成したのが今回の展覧会である。
 展覧会の趣旨はどのようなものであったのか。展覧会の命名者であり当時の図録に序文を寄せた勝見勝は「チームワークと無名の行為を求めつづけられてきたペルソナの人々が、個性の表現を指向しはじめたのも、私にはごく自然な成りゆきと思われます」と書く。ゆえに「この展覧会によって、グラフィックデザイナーの存在が広く社会的に知られることにな」ったと位置づけられる★1。しかし今回の図録に柏木博氏が書いているように、グラフィックデザイン史に残るこの「事件」の詳細には不明なところが多い。なぜこの展覧会が組織されることになったのか。なぜこの11人だったのか。先立つ10年前に組織された「グラフィック55」展からどのような影響を受けているのか。出品デザイナーやその後の日本のグラフィックデザインにどのような影響を与えたのか。
 たとえば、それまで一般に無名であった11人が3万5千人もの観客を集めたのか。それともすでにスターであったから人々が集まったのか。グラフィックデザイナーによれば「最終日にもういちどゆっくり見てみたいと思って出かけたところ、会場の混雑ぶりはラッシュ時の国電なのでアキれてしまった。若い男女がタメ息まじりに押し合いへし合い作品を見つめている有様は、異常な熱気をはらんで、ちょっと恐ろしいほどの光景であった」という★2。出品されている仕事はさまざまで、展覧会のために自主制作されたものもあれば既存の広告ポスターもあるところをみれば、デザイナーによって展覧会に向かう姿勢は異なっていたと推察される。福田繁雄は「ペルソナ展以降は、自分の造形思想に頑固にこだわるように」なったと書いているが★3、他のデザイナーたちはどうだったのか。展覧会を伝える新聞や雑誌の記事には「第1回」と冠されているものがあり、またニューヨーク展が企画されているとの記述が見られるが、第2回展もニューヨーク展も実現された気配はない。とにかくペルソナ展に関する疑問は尽きない。開催から50年を迎えるいま、ペルソナ展の事実と歴史的位置づけ、そして今日的意義はあらためて検証されるべきであろう。[新川徳彦]

★1──本展チラシ。
★2──山城隆一「独特の熱気を生み出した〈ペルソナ展〉とその出品作家」(『アイデア』1966年3月号、65頁)。
★3──福田繁雄『遊MOREデザイン館』(岩波書店、1985)55頁。


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