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建築に関するレビュー/プレビュー

ブギス、アラブストリート

[シンガポール]

およそ15年ぶりにシンガポールを訪れた。上海、ソウル、台北、バンコク、クアラルンプールなど、アジア各地のほかのグローバルシティと同様、スターアーキテクトによるアイコン建築やハイライズが数多く出現している。これはデザインに商品価値を見出し、観光促進にもつながると見ているからなのだが、現在の日本は別の道を歩んでいる。シンガポールが興味深いのは、さらに強烈な多民族性や多宗教性も維持していることだ。最初にブギスのエリアを歩くと、観音堂のすぐ横にヒンズーのスリ・クリシュナン寺院、そして教会。これに隣接するのが、アラブ街であり、サルタン・モスクや西洋風のミナレットをもつハジャ・ファティマ・モスクなど。低層のショップハウスの向こうに、目立つ造形の高層ビルが建つ風景が、シンガポールらしさなのかもしれない。

写真:左上=観音堂 左下2枚=スリ・クリシュナン寺院 右上=ハジャ・ファティマ・モスク 右中2枚=サルタン・モスク 右下=ショップハウスと高層ビル

2017/06/11(日)(五十嵐太郎)

シンガポール美術館、別館 SAM at 8Qほか

[シンガポール]

新築ばかりではなく、古い建物を文化施設に変える動きも注目される。例えば、モダニズムをリノベーションしたナショナル・デザイン・センターは、建国50周年を契機に建築を含むデザインの50年史を展示しており、こうした施設は日本でも欲しいところ(日本はいまだ国立デザインミュージアムがない)。シンガポール・アート・ミュージアムも19世紀のカトリック学校をリノベーションしたもの。別館のSAM at 8Qも転用した建築であり、「imaginarium」展を開催し、爆弾をプランターに変えたBounpaul Phothyzan、Unchalee Anantawatの宙に浮く山など、学校の休み期間らしく子ども向けの現代アートを紹介していた。そして国立博物館は19世紀の古典主義である。背後に増築し、ガラスの空間でつなぐ。日本が支配していた「昭南島」時代や戦後の計画国家など、シンガポールの歴史とライフスタイルの変化をたどる。ここにはチームラボによる映像空間の展示があるのだが、ナショナルギャラリーやフューチャーワールドも手がけており、彼らはシンガポールで大人気らしい。

写真:左上から=ナショナル・デザイン・センター、デザインの50年史展、シンガポール・アート・ミュージアム、SAM at 8Q 右上から=PHOTHYZAN、「昭南島」時代の展示、国立博物館

2017/06/11(日)(五十嵐太郎)

マーライオンほか

[シンガポール]

前回は馬鹿にして、遠景のみで見たマーライオン。今回は近づいたが、観光客がこれだけ一生懸命に記念写真を撮る屋外彫刻はめずらしい。カッコいいアートではおそらく無理で、首相の発案により設置されたキッチュな造形がもつ集客効果に感心させられた。しかもマーライオンは、マリーナ・ベイ沿いに増殖するアイコン建築と相乗効果を起こしている。例えば、対岸にはマリーナ・ベイ・サンズのほかに、フローティング・ステージや、ホールと劇場を対にしたエスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ、観覧車などが並ぶ。歩行者専用のジュビリーブリッジや桟橋も、マーライオンへのアクセスや撮影の場を確保するためにつくられており、ウォーターフロントの土木デザインにも影響を及ぼす。

写真:左上から=マーライオンとマリーナ・ベイ・サンズ、海辺のステージ 右上から=エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ、ジュビリーブリッジ

2017/06/11(日)(五十嵐太郎)

通天閣

[大阪府]

大阪の通天閣へ。外からは何度も見ていたが、内部に入り、登るのは初めてだった。時流を反映し、海外のお客さんが多い。ともあれ、まわりの建物が低いこと、また通りの先に位置しているおかげで、通天閣を見上げながら近づくので、いまだ塔としての存在感を失っていない。もちろん、現在ならアイコン建築と呼ばれるような造形の強さもある。それにしても、室内はビリケン以外にいろんなキャラがごちゃまぜで混在し、すさまじくカオティックな空間だった。

2017/06/07(水)(五十嵐太郎)

岡本太郎×建築展 ─衝突と協同のダイナミズム─

会期:2017/04/22~2017/07/02

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

岡本太郎と建築の接点は意外に多い。例えば坂倉準三とは、戦前パリで彼がル・コルビュジエに師事していたころから親交があり、戦後は青山の岡本邸を設計してもらっている。アントニン・レーモンドや磯崎新とも一緒に仕事をしたことがある。だが、太郎が火花の散るような関係を切り結んだ建築家といえば、丹下健三をおいてほかにいない。丹下とは旧東京都庁舎、東京オリンピックの国立代々木競技場、大阪万博のお祭り広場と、大きなプロジェクトだけでも3回コラボレーションしたが、いずれも丹下が設計し、太郎がアートを手がけた。
だいたい建築家とアーティストがコラボする場合、まず建物が先でそこにアートを入れ込むことが多いので、アーティストのほうが立場的に弱い。それに、アートを取り除いても建物は残るが、建物を取り壊したらアートも消えてしまう。建築>アートなのだ。そのことに太郎が自覚的だったかどうかは知らないが、最後の万博のときに立場を逆転させてしまう。先に丹下が設計した大屋根をぶち抜くかたちで太陽の塔をおっ立てたからだ。このことは太郎のリベンジ(それは建築に対するアートのリベンジともいえる)として、しばしばおもしろおかしく語られてきた。後日談として、約20年後に丹下が新宿の新都庁舎を設計したとき、太郎が呼ばれなかったのは丹下の再リベンジだという見方もある。まあそれはないだろうけど、同展は「衝突と協同のダイナミズム」と謳いながら、どうもそのへんがよくわからない。

2017/06/04(日)(村田真)

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