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建築に関するレビュー/プレビュー

ヘルシンキ中央駅周辺

[フィンランド、ヘルシンキ]

ヘルシンキの《中央駅》(エリエル・サーリネン/1919)周辺を歩く。19世紀末から20世紀初頭の建築がよく残っており、主な景観を形成している。そしてキアズマの美術館、劇場、改修中の国立美術館など、文化施設がコンパクトに集中している。ストックマン百貨店などの商業エリアでは、アアルトによる2つのビル、サーリネンのビルが並ぶ。
アアルトによる、改修された文化の家、街区をまるごと手がけた国民年金局、「かもめ食堂」の影響によって多くの日本人女性がカフェに集まる《アカデミア書店》(アルヴァ・アアルト/1969)、周辺の建物に比べると新参者のラウタタロ・オフィスビルをまわる。いずれも時間が経過しても、古びれないというか、味わいとかわいらしさが増していく近代建築だった。
ヘルシンキではちょうど西野達さんのアート・プロジェクト「Hotel Manta of Helsinki」が開催中だった。マーケット広場の有名なアマンダ像を構築物で囲み、個人が宿泊するホテルに変えるというものである。ベルギーでも駅の時計塔をホテル化した作品を見たが、今回は地表近くに置く。室内に入ると、ベッドの真ん中から、アマンダ像が突き出ているのが、衝撃的だ。しかし、日本だと、こうしたプロジェクトに許可が出るだろうか。
建築博物館へ。3階の常設展では、20世紀のフィンランドの建築史を紹介し、2階の企画展は、1953年から継続しているフィンランドの建築レビュー展(最近はビエンナーレ)をふりかえる内容だった。図書館も併設しており、こじんまりとした施設だが、近代の建築史を見せる博物館が、日本とは違い、常設で存在していることがうらやましい。お隣のデザイン博物館は、カフェもあり、施設の規模や展示の内容は、建築博物館より本格的だった。1階の常設では、近代から現代までのデザイン史、2階の企画展は、フィンランド航空ほか、家具、玩具、インテリアを手がけたフィンランドの「イルマリ・タピオヴァーラ」展だった。ジョージ・ネルソンとの同時代性を感じる。デザイン博物館の地下では、オランダのアーティスト、DAAN ROOSEGAARDEの展示《デューン》に遭遇した。暗い回廊のような空間において、人の動きや音でほのかに反応する光ファイバーの粒子群によるインスタレーションである。わずかな電力しか使わない、ささやかだけど、大きな空間の作品で良かった。
K2Sアーキテクツが手がけた《カンピ礼拝堂》(2012)を見学した。中央駅近くの雑然とした都市のど真ん中に建っており、外部に対して閉じる木造建築である。広場に面する異形の大きな丸いオブジェのようであり、一見して教会だとわからない。が、室内に入ると、周囲の騒音はシャットアウトされ、静寂な空間が出現し、天井の縁から光が降りそそぐ。


左:アルヴァ・アアルト《アカデミア書店》
右:K2Sアーキテクツ《カンピ礼拝堂》


西野達《Hotel Manta of Helsinki》

2014/09/20(土)(五十嵐太郎)

アアルト 《自邸》と《スタジオ》

[フィンランド、ヘルシンキ]

ヘルシンキへ。アルヴァ・アアルトの《自邸》(1936)と《スタジオ》(1955)を見学するため、郊外の住宅地に出かける。すぐ近くにあまり知られていないアアルトやサーリネンによる集合住宅もあるのだが、これら以外でも、普通にまわりの家のデザインのレベルが高い。コモで、テラーニの集合住宅を見たときも同じことを感じたが、本の情報だけではわからないことだ。アアルトの《スタジオ》は、住宅地の外部に対しては閉じつつ、曲線を含む変形L字プランで、斜面を利用しながら、中庭に小さなアンフィシアターを抱え込む。食堂、仕事場、打ち合せ室など、それぞれに異なる性格の空間が、絶妙なスケール感で展開し、図面では想像できない場を生みだす。確かに、天才である。一方、アアルトの《自邸》は、当初事務所に使われた時期もあったが、スタジオが施主に見せるためのハレの演出をもつのに対し、基本的には親密な空間だ。一階はカーテンなどで間仕切り、ゆるやかに各部屋が連続し、二階は小さなリビングを個室群が囲む。《自邸》も《スタジオ》もガイドツアーのみ内部を見学できるのだが、来場者は日本人と韓国人が多く、アジアにおけるアアルト人気がうかがえる。


左:アルヴァ・アアルト《アトリエ》
右:アルヴァ・アアルト《自邸》

2014/09/20(土)(五十嵐太郎)

ヴェネツィア散策

パラッツォ・ドゥカーレほか[イタリア、ヴェネツィア]

《パラッツォ・ドゥカーレ》(814、改修1340~1419)へ。ちゃんと入るのは、20年ぶりくらいだろうか。中庭から全体を見渡すと、きわめて複雑であり、一人のデザインでは達成しえない、様式の非統一ぶりが興味深い。各部屋はティントレット、ベリーニ、ヴェロネーゼの作品を含む絵画が、壁から天井までを覆いつくす。余白を良しとする日本的な空間のあり方とは対照的な美意識だ。が、そうした絵は壁の窓であり、天窓でもある。


《パラッツォ・ドゥカーレ》(記事左上の写真も)

カルロ・スカルパが手がけた《クエリーニ・スタンパリア財団》(改修1959~1963)へ。これも学生のとき以来だろうか。心憎い素材と細部のデザインだが、写真で撮影しようとすると、再現が結構難しい。マリオ・ボッタほか、後世の建築家による改修デザインも興味深い。上部の美術館エリアは、ヴェネツィアならではの不整形の部屋が、バロックやロココ風になっていた。
マッジョーレ島にて、ビエンナーレにあわせ、杉本博司が制作したガラスの茶室《Glass Tea House Mondrian/聞鳥庵(モンドリアン)》を訪れた。ガラス工芸美術館のプロジェクトで、水に浮かぶガラス張りの茶室である。現代性と和のテイスト。とてもセンスがいい、キッチュというべき作品だった。


杉本博司《Glass Tea House Mondrian/聞鳥庵(モンドリアン)》

レンゾ・ピアノによる《フォンダツィオーネ・ ヴェドヴァ》(2009)へ。塩の倉庫をエミリオ・ヴェドヴァの個人美術館に改造したものである。一定時間ごとに、収蔵庫から抽象表現主義風の絵画が移動し、フォーメーションを組み、また元に戻る機械仕掛けが見世物だ。メカが面白く、工場のオートメーションを美術化したものと言える。


左:《クエリーニ・スタンパリア財団》
右:《フォンダツィオーネ・ヴェドヴァ》

6年ぶりくらいのペギー・グッゲンハイム・コレクション(1980年開館)へ。戦時下も毎日のように作品を購入して成立した奇蹟的な同時代美術館である。個人コレクターの強みを生かし、迅速に入手し、その作家らしからぬ珍しい作品もちらほら見受けられる。とくに有名なのは、ジャクソン・ポロックの支援だが、日本で開催された大型の回顧展にも来なかった作品群が海辺の部屋に展示されている。

2014/09/17(水)(五十嵐太郎)

第14回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2日目)

会期:2014/06/07~2014/11/23

アルセナーレ地区など[イタリア、ヴェネツィア]

ヴェネツィア・ビエンナーレのもうひとつのメイン会場であるアルセナーレは、イタリア万歳というべき内容だが、多くの映像に撮られたイタリアならではの、映画のシーンを多く使う展示手法が興味深い。過去にもイントロで未来を描く映画を集める、ヴェンダースの映像を見せることはあったが、これだけ全面的に映画を活用したアルセナーレの建築展は初めてではないか。イタリア世界の展示は、両サイドにシエナの善政と悪政の寓意の壁画を配した部屋から始まり、社会、文化、政治、教育などの様々なトピックの展示と映画を並べ、ドンジョバンニで終わる。イタリアにしかできない豊富な引き出しで、建築家の自己表現ではない場を創出していた(内容の理解には相当な予備知識を必要とするが)。またアルセナーレは、本来、直列に部屋をつないだ空間構成なのだが、これを縦に串刺しするように巨大なカーテンを用い、一直線の連続した空間が左(展示)右(映画)を分節したように感じさせつつ、左右を同じテーマでつなげ、全体をスキャンするイメージをよく出していた。また随所にダンスビエンナーレの舞台を挿入する仕掛けも斬新である。アルセナーレでは、2015年のミラノ万博を導入した、68年のミラノ・トリエンナーレなどの概要を含む、ミラノの建築と都市の歴史展示も興味深い。


アルセナーレ展示風景(記事左上の写真も)

結局、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展は、二日で合計15時間以上見たが、それでも全然足りないと感じるくらいの情報量は、さすがにいつもより濃い。パヴィリオンを持たない国は、より多くメイン会場に吸収され、その分、街なかの拠点が減ったように思うが、おおむね展示のレベルはかなり上がっている。一方、大学院生レベルでも気づきそうなミスがすぐに何ヶ所も見つかるような年表をメインで展示したり、単に本のプロジェクションのような国があって、良くも悪くも国際展の幅の広さを改めて感じさせる。

ヴェネツィア・ビエンナーレの会場外の展示では、すでに終了しているものもあり、いつになくポップに住宅の各部を建築キャラ化した台湾館、都市公園の開発を紹介するモスクワ館、人のネットワークをとりあげる中央ヨーロッパ、地域の建築をとりあげるカタロニア、香港などを見る。不穏な感じの外観のウクライナ館は時間があわず、結局、内部に入れなかった。

2014/09/17(水)(五十嵐太郎)

第14回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(1日目)

会期:2014/06/07~2014/11/23

ジャルディーニ地区[イタリア、ヴェネツィア]

ディレクターのレム・コールハースが強い指導体制を発揮したので、もっと徹底した100年のリサーチを全館、全会場でやるのかと思いきや、そうでもないエリアや守らない館も少なくない。やはりこれは研究書ではなく、モノを見せる「展覧会」である。なかには単調な年表だけの展示もあったが、切り口がない見せ方は辛い。伊東豊雄が改修を担当し、もとの姿に戻った日本館は、レムの言いつけを守りつつ、独自性をだし、コンセプト通りの日本建築の倉を実現していた。中谷礼仁の70年代ラブの方向性と、太田佳代子の「OMAスタイルわかってます」という展示手法を融合させながら、膨大な資料とモノを持ち込む。一部の作品は、「戦後日本住宅伝説」展ともかぶる。


日本館展示風景

ジャルディーニの各国パヴィリオンでは、オーストリア館がもっとも印象的だった。ジャン・ニコラ・ルイ・デュランの「比較」のごとく、1/500のスケールで世界196ヶ国の国会議事堂の模型を壁に張るというシンプルな手法である。個別の説明はなくとも、権力の場のサイズと形態の比較から、想像以上に様々なことを読みとれる。また金獅子賞となった韓国館は、境界線、北朝鮮の建築と都市、ユートピア像、戦後の歴史、金壽根など、盛りだくさんの内容である。一度訪れたことがあるので、平壌の建築は大体見ていたが、あれは貴重な経験だった。ここの国立美術博物館も想像を絶する内容で、この大ネタも、一度ビエンナーレの美術展で使えるのではないかと思う。その他、「ぼくの伯父さん」模型が楽しいフランス館、アフリカへの協力を紹介する北欧館、バケマの試みを展示するオランダ館、国外の仕事をとりあげるアメリカ館、いつもセンスがいいベルギー館、インテリアで切りとるスペイン館、見本市に見立てたロシア館、砂に図面を描くイスラエル館など、多様な展示が行われていた。


左:オーストリア館展示風景 右:韓国館展示風景


左:フランス館展示風景 右:ロシア館展示風景

部材ごとの部屋をもうけたイタリア館におけるエレメンツは、一部屋で一要素だと、すべてを網羅することは当然不可能で、視点が明快な展示が印象に残る。例えば、バルコニーと政治空間、あるいはスロープと二人の建築家などだ。また実物で展示されたモノそれ自体がとにかく面白いものは楽しい。イントロダクションとなる部屋では、クリスチャン・マークレーの「時計」のような映画から部材のシーンを編集した映像作品もあった。ただし、エレメンツのパートでは、展示でできることと、カタログでできることの距離というか、メディアの違いが気になる。ともあれ、妹島和世がディレクターをつとめた2010年が、空間体験型、一作家=一部屋でアート的だったのと、今回のコールハースのリサーチ型、すなわち反作家性は、ビエンナーレにおける展示手法の二極を示したと言えるだろう。


イタリア館展示風景(記事左上の写真も)

2014/09/16(火)(五十嵐太郎)