artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

被災地めぐり

会期:2014/09/28

[宮城県]

久しぶりに仙台を起点に、雄勝、女川、石巻エリアをまわる。雄勝の中心部は被災建物を除去したため、街の痕跡が完全に消えていた。一方、ゆっくりと各浜の復興が動く。以前の津波災害後につくられた復興住宅も、とり壊されるらしいのだが、これは歴史の証言者として残していいのではかと思う。


左:雄勝の復興住宅
右:雄勝風景

女川では、女川サプリメントの建物がすでに解体され、江島共済会館も壊される見込みである。結局、震災遺構としては交番だけが残る予定だ。震災20日後にここに訪れたときは、横倒しになった江島共済会館を探すのに、30分以上かかるほど、街が破壊され尽くされており、カオスの状態だった。しかし、今やこれくらいしか破壊の記憶を伝える目立つものが残っていないのは皮肉である。女川のかさ上げは相当な高さだった。一方、ここは海沿いに新しい水産関係の施設がどんどん作られ、運動公園にも復興住宅群が完成していた。また坂茂の設計による新しい駅舎もだいぶできており、他の被災地に比べてスピードが早い。そして石巻では、被災した自由の女神や木造教会(移築予定)がなくなっていた。


女川 江島共済会館

記事左上:坂茂設計の女川駅駅舎模型

2014/09/28(日)(五十嵐太郎)

鎌田友介「ヴェネチアビエンナーレ2014のいくつかの飛躍と帰結」

会期:2014/09/27

blanClass[神奈川県]

blanClassにて、鎌田友介の展覧会/イベント「ヴェネツィア・ビエンナーレ2014のいくつかの飛躍と帰結」を見る。本人が以前から継続する戦争と建築のリサーチ・プロジェクトを、今回はヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2014の内容(1914年という起点やエレメンツなど)に絡める。とりわけ、今回はアントニン・レーモンドが関わった米軍の焼夷弾実験のためにつくられた家屋を題材に、その模型の破壊と記録のズレをライブ的に行う。


展示風景

2014/09/27(土)(五十嵐太郎)

日本建築学会建築文化週間2014カルチベートトーク

会期:2014/09/26

建築書店[東京都]

建築会館の書店にて、濃厚な資料集でもある『日本の名建築167日本建築学会賞受賞建築作品集1950-2013』本について、監修した古谷誠章、寄稿した倉方俊輔と五十嵐、編集の大森晃彦が、トークイベント「学会賞とはなにか─日本建築学会賞受賞建築作品集1950-2013の刊行記念」を行う。日本建築学会賞(作品)は戦後すぐに創設され、これまでに多くの作品が受賞し、その審査経緯、選評、受賞の言葉などが60年以上にわたって蓄積されているが、それらを総覧できる初の書籍である。各執筆者は時代の変遷やテーマ別の切り口から、学会賞を読みとくが、アーカイブゆえに、ここから議論できる内容は将来さらに発掘可能だろう。建築会館の書店は親密なスケール感で、よい雰囲気だった。やはり学会賞(作品)の審査を通じた膨大かつ多角的な議論が、非公開なのはもったいない。公開審査がすぐに無理だとしても、数十年後に全内容が公開されるなどの措置はできないものか。後世の歴史家に委ねて。

2014/09/26(金)(五十嵐太郎)

フィンランディア・ホール

[フィンランド、ヘルシンキ]

市内に戻り、《フィンランディア・ホール》(アルヴァ・アアルト/1971)の室内を見学できるガイドツアーに参加した。ガイドは褒めるだけではなく、施工や実用の問題点にも言及するが、全体としてはアアルト、すなわち建築家へのリスペクトを感じる内容だった。日本だと、少しでもミスがあると、だから建築家はダメみたいな風潮になりがちだが、文化的な背景が違う。
続いて、ティモ&トゥオモ・スオマライネンによる《テンペリアウキオ教会》(1969)へ。1930年代からコンペを繰り返し、ようやく1969年に完成したものである。細かいデザインがどうのこのではなく、とにかく岩盤をくり抜き、中央に浅い大きなドームを架ける空間操作によって、他にはない圧倒的にユニークな建築が実現した。


左:アルヴァ・アアルト《フィンランディア・ホール》(記事左上も)
右:ティモ&トゥオモ・スオマライネン《テンペリアウキオ教会》

アアルトがヘルシンキで初めて依頼された仕事、《サヴォイ・レストラン》のインテリアを見るべく、そこで夕食をとる。かなりいいお値段のメニューだが、なるほど味もそれに見合うレベルだった。このレストランはビルの最上階に位置しており、屋上のテラス席を眺めると、船内にいるような雰囲気もある。1937年の内装を現在に残していることに感心させられた。


アルヴァ・アアルト《サヴォイ・レストラン》

2014/09/22(月)(五十嵐太郎)

アアルト大学(旧ヘルシンキ工科大学)

[フィンランド、ヘルシンキ]

途中、ノキア本社を横目で眺めながら、オタニミエの《旧ヘルシンキ工科大学》(アルヴァ・アアルト/1958)を訪れた。現在はアアルト大学と改名されており、彼の手がけた建築群がキャンパスに点在する。世界中から見学者が訪れ、自由に入れることができる図書館、オーディトリアムなど、隅々までデザインが行き届き、うらやましい大学の空間環境だ。また大学内のライリ&レイマ・ピエティラによるディポリセンターは、岩に囲まれる、また岩から立ち上がるだけでなく、インテリアにも岩が浸食する洞窟のような建築である。アアルトの不規則かつ有機的な造形を過剰にバロック化させたとでもいうべきか。アアルトの建築でも、外構では岩の存在が目立つが、岩はフィンランド的な要素なのだろう。キャンパスの奥には学生寮が続くが、さらに進むと、カイヤ&へイッキ・シレンによる《オタニエミ礼拝堂》(1957)がひっそりとたつ。1957年のモダン・デザインである。だが、シンプルな構造とミニマルな空間は、今見ても瑞々しい傑作だ。奥の大きなガラスの向こう、森の中に十字が見え、安藤忠雄の教会のデザインにも影響を与えていると思われる。

記事左上:アルヴァ・アアルト《旧ヘルシンキ工科大学》


左:アルヴァ・アアルト《旧ヘルシンキ工科大学》講堂
右:カイヤ&へイッキ・シレン《オタニエミ礼拝堂》

2014/09/22(月)(五十嵐太郎)