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建築に関するレビュー/プレビュー

山形県寒河江市

[山形県]

仙台から山形に向かい、寒河江へ。黒川紀章の初期の傑作、寒河江市役所は、大きく張り出す執務のヴォリュームを4本のコアから吊る、ハイテクのごときダイナミックな構成と、岡本太郎や天童木工がコラボレーションした密度の高い屋内の空間をもつ。メタボリズムの思想を表現しつつ、30代前半でこれを成し遂げたのは見事である。市役所はいまも現役で使われているが、免震工事を行い、将来も残りそうだ。また郷土館では、明治建築の旧西村山郡役所と旧西村山郡会議事堂が移築されている。近代から1960年代まで、地方都市がこれらの前衛的な建築を実現させていたのが興味深い。

写真=黒川紀章《寒河江市庁舎》

2013/04/30(火)(五十嵐太郎)

七ヶ浜町遠山保育所

[宮城県]

3.11以降の被災地における公共建築のコンペで最初に竣工し、すでに使われ始めた、高橋一平による七ヶ浜の保育所を訪れる。自然をとり込む矩形の中庭という建築的なアイデンティティを維持しつつ、ワークショップや諸条件から外の輪郭や部屋の配置を決めていく。それによって背の低い回廊に、さまざまな場や空間をつくる。銀色のステンレスシートの外壁に一瞬驚くが、まわりの風景を写し、溶け込んでいた。

2013/04/29(月)(五十嵐太郎)

女川、牡鹿半島ほか

[宮城県]

女川の坂茂による仮設住宅、牡鹿半島のアトリエ・ワンによるコアハウス(将来の増築をみすえた木造最小限住宅のモデル)、再開した石ノ森萬画館、大西麻貴による東松島のみんなの家(童話的な外観とスケールの操作が興味深い)、MITが関わったババドール五丁目、宮戸のSANAAによるみんなの家(幾何学的な操作によるデザインが美しい)などを訪れた。南三陸町、陸前高田、石巻など、震災遺構の見物も含めて人でにぎわう被災地がある一方、野蒜のように、ほとんど忘れ去られている被災地がある。

写真:左上=坂茂《女川町コンテナ仮設住宅》、左中上=アトリエ・ワン《コアハウス》、左中下=MIT JAPAN《バーバドール五丁目》、左下=大西麻貴《東松島こどものみんなの家》、右上=女川の被災建物、右中上=《石ノ森萬画館》、右中下=SANAA《みんなの家》、右下=野蒜

2013/04/29(月)(五十嵐太郎)

《星めぐりひろば》《KAMAISHIの箱》《みんなの家・かだって》ほか

[岩手県、宮城県]

鵜住居では、宝来館の宮本佳明による星めぐりひろば、釜石では難波和彦の2つのKAMAISHIの箱、伊東豊雄によるみんなの家・かだってを見る。限られた要素でつくられた、シンプルで清々しい建築だ。平田公園では、東京大学が関わった路地デッキやアーケード屋根が付いたコミュニティ型の仮設住宅と、山本理顕によるみんなの家のコンビネーションが相乗効果をもたらしている。その後、大船渡、陸前高田(ビエンナーレの金獅子賞に輝いた伊東、藤本壮介、平田晃久、乾久美子によるみんなの家、セルフビルドでつくられた徳田光弘らによる積み木の家)、そして気仙沼の日本建築大賞となった陶器浩一による竹の会所・復興の方舟、南三陸の宮城大学による番屋などをめぐる。建築家がそれぞれの持ち味を生かしながら、人々が集う新しい場をつくっている。

写真:左上から、宮本佳明《宝来館「星めぐりひろば」》、難波和彦《KAMAISHIの箱》、伊東豊雄《みんなの家 かだって》、平田公園の仮設住宅、山本理顕《みんなの家》、右上から、帰心の会《陸前高田の「みんなの家」》、徳田光弘《小さな積み木の家》、陶器浩一+高橋工業《竹の会所 ─復興の方舟─》、宮城大学竹内研究室《志津川本浜番屋》

2013/04/28(日)(五十嵐太郎)

オオサカがとんがっていた時代─戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで─

会期:2013/04/27~2013/07/06

大阪大学総合学術博物館[大阪府]

戦後から1970年大阪万博前夜までの大阪の文化状況を、美術、建築、音楽を中心に振り返る企画展。出品物のうち、資料類は約70件。具体美術協会のものが大半を占めたが、パンリアル美術協会、デモクラート美術家協会、生活美術連盟の資料も少数ながら見ることができた。作品は約40点で、前田藤四郎、池田遊子、早川良雄、瑛久、泉茂、白髪一雄、嶋本昭三、元永定正、村上三郎、田中敦子、ジョルジュ・マチウ、サム・フランシスなどがラインアップされていた。具体美術協会に比して他の団体の割合が少ないのは、現存する資料の豊富さが如実に関係している。このことから、活動記録を残すことの重要性を痛感した。また、本展は大学の博物館で行なわれたが、本来ならこのような企画は地元の美術館がとっくの昔に行なっておくべきものだ。その背景には、美術館の活動が思うに任せない1990年代以降の状況があると思われるが、必要なことが行なわれない現状を嘆かわしく思う。

2013/04/27(土)(小吹隆文)