artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
隈研吾建築都市設計事務所《浅草文化観光センター》
[東京都]
竣工:2012/04
オープンしたばかりの浅草文化観光センターを見学するために、久しぶりに雷門の前を訪れた。隈研吾のフォトジェニックなデザインといまや必勝パターンとなったルーバーの使用は健在である。効果的に見栄えがするのだ。もっとも、東京スカイツリー、スーパードライホール、浅草寺などの強いモニュメントに囲まれるなかで、最上階からこれらを眺めるための視点を提供しつつ、伝統を意識した家型の記号を積層しつつ、透明なランドマークを狙う。
2012/04/21(土)(五十嵐太郎)
「復興─まちを再建するつながりの力─」展
会期:2012/03/20~2012/05/06
東日本大震災から1年後ということで企画されたもの。展示のヴォリュームや資料的な価値もあって、意欲的かつ大事な企画だが、展示のデザインがないのは残念だった。パネルによる研究発表のようになっている。むろん、ジャーナリスティックなものだけならそれでもよいかもしれないが、アート的な性格を伴う3.11メモリアルプロジェクトの瓦礫オブジェやアーキエイドの巡回も、この見せ方ではカッコ悪いし、あまり伝わらない。
2012/04/20(金)(五十嵐太郎)
国立西洋美術館「ユベール・ロベール─時間の庭」展関連シンポジウム「時の作用と美学」2日目
会期:2012/04/15
東京日仏学院 エスパス・イマージュ[東京都]
ユベール・ロベールの展覧会にあわせて開催されたシンポジウムである。ミュリエル・ラディック、稲賀繁美、北川フラム、宇野邦一の発表後、セッション2「建築と自然 新たなる対話へ」の司会を担当しつつ、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2008の温室をめぐって「建築と植物」についても発表した。隈研吾は東北地方にある自作について語り、パトリック・ブランはこれまでの作品の軌跡を紹介しながら、パワフルな発表を行なう。ブランの視点は植物学者らしく、完全に人間側ではないところが新鮮だった。地面に生えない植物はいっぱいあって、植物自体が高性能のアーキテクチャーなのだ、という。また建築VS植物の廃墟にならずとも、両者は共存できる。そして時間の尺度が壮大だった。数十年や数百年ではなく、もっと長い単位で世界を見ている。
2012/04/15(日)(五十嵐太郎)
「にほんのいえ」展
会期:2012/03/24~2012/04/08
おなじみの藤村組に、U-30組が合流したような若手建築家のセレクションである。模型を整然と並べていくオーソドックスな住宅の展覧会だ。知らないプロジェクトは情報として勉強になった。ただし、実作と計画案が混ざっていること、展覧会タイトルとセレクションの関係がほとんど説明されていないことなどは気になった。
2012/04/08(日)(五十嵐太郎)
都市から郊外へ──1930年代の東京
会期:2012/02/11~2012/04/08
世田谷文学館[東京都]
昨年の大規模な計画停電は記憶に新しい。繁華街のまばゆい照明はいっせいに落とされ、代わって静寂と暗闇が街を支配した。数多くの画廊が集まる銀座も、このときばかりは人気もまばらだったが、暗がりのなかに広がる街並みは逆に新鮮で、モボ・モガたちが闊歩した銀座とは、もしかしたらこのような陰影に富んだ街だったのではないかと思えてならなかった。
本展は、1930年代の東京を、美術・文学・映画・写真・版画・音楽・住宅・広告から浮き彫りにしたもの。絵画や彫刻、写真、レコード、ポスターなど約300点の作品や資料をていねいに見ていくと、鉄道網の拡充とともに郊外を広げていった都市の増殖力を目の当たりすることができる。現在の東京の輪郭は、このときほぼ整えられたのだ。
例えば、伊勢丹新宿店。1923年の関東大震災後、伊勢丹は神田から新宿に本店を移すが、これは郊外への人口移動により交通拠点としての新宿が急成長していたことに由来しているという。いまも現存するゴシック風の店舗は、外縁を押し広げる都市のダイナミズムのなかで生まれた建築だったのだ。
建築にかぎらず、当時の新しい文化や芸術は「モダニズム」として知られている。企画者が言うように、これが関東大震災の復興と連動としていたとすれば、本展は東日本大震災の復興から新たな美学が生まれる可能性を暗示していたとも考えられる。その名称や内実はいまのところわからない。ただ、それがすべてを明るく照らし出そうとする下品な思想ではないことだけはたしかだろう。暗がりのある銀座を美しいと見る感性を頼りにすれば、その思想をていねいに育むことができるのではないか。
2012/04/06(金)(福住廉)