artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
イリヤ/エミリア・カバコフ『プロジェクト宮殿』
発行所:国書刊行会
発行日:2009年12月15日
ロシアのアーティストによる夢のアイデア集というべき本である。「プロジェクトを集積した宮殿を造る」というメタファーが述べられているように、建築的にも読めて興味深い。実際、建築家ならば、アンビルドやユートピア的な計画になるだろう。ちなみに、プロジェクト宮殿のインスタレーションは、バベルやタトリンによる第三インターナショナル記念塔など、文化史的な記憶を背負う螺旋の構造体になっている。もっとも、建築家がある種の社会性をおびた提案を行なうのに対し、アーティストはときには馬鹿馬鹿しい、あるいはほほえましいイノセントな発想を行なうことが重要だ。本書をめくると、さまざまな思いつきがスケッチ付きの仕様書として記述されている。例えば、「空飛ぶ部屋」「いちばん合理的な刑務所」「雲をあやつる」など、日常と夢のあいだを往復するためのウイットに富んだプロジェクトが続く。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
渡辺真弓『パラーディオの時代のヴェネツィア』
発行所:中央公論美術出版
発行日:2009年12月25日
本書は、もっとも繁栄していた16世紀のヴェネチアに焦点をあて、リアルト橋、都市改装、パラーディオの活動(住宅ではなく、主に教会を手がけていた)、そしてサンソヴィーノやサンミケーリなど、ほかの建築家や水利技師について詳細に論じている。サンソヴィーノやパラディオが工事に失敗したり、雨漏りをして、損害賠償をしたというエピソードも興味深い。建築のデザインを分析しつつ、それが都市にフィードバックしていく。ゆえに、本書はヴェネチアの都市史でもある。そして16世紀はまさに都市景観にとって重要な完成期だったという。単に水の都というだけではなく、重層的な時間を刻む都市を形成したからこそ、ヴェネチアは素晴らしい景観を獲得した。筆者が2008年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館のコミッショナーをつとめていたとき、著者の渡辺さんが会場に訪れたことを思い出しながら読んでいたら、あとがきでそのときのことについて触れていた。実際、彼女の視線は過去の話だけではなく、サンティアゴ・カラトラヴァや安藤忠雄のプロジェクトなど、現代のヴェネチアの状況についても向けられている。なお、本書には付録として、パオロ・グァルドによるパラーディオ伝の翻訳もつく。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
宇野常寛編『ゼロ年代のすべて』
発行所:第二次惑星開発委員会
発行日:2009年12月31日
世代交代を印象づける編集方針になっており、なるほど90年代から活動している論客で、この本にも参加しているのは、宮台真司と東浩紀ぐらいである。あれほど80年代から90年代を席巻したニューアカデミズム、あるいは『へるめす』や『批評空間』的な布陣は皆無だ。サブカルチャーを中心にさまざまなジャンルを総括しているが、建築や都市と関連が深いのは、「〈アーキテクチャ〉再考──建築・デザイン・作家性」の鼎談と、「『郊外の現在』──ジモト・ヤンキー・グローバリゼーション」だろう。実はいずれも筆者の仕事が参照されており、前者ではスーパーフラットをめぐる建築論、後者では『ヤンキー文化論序説』に触れている。10年前の出来事がもう歴史化されていることに加え、そのまま伝わらないことを興味深く思った。少なくとも、スーパーフラットと建築論を接続するときに、筆者は繰り返し、ひとつはファサードの表層に対する操作、もうひとつはプログラムや組織におけるヒエラルキーの解体を指摘したはずだが、五十嵐は表面性しか触れていなかったことになっている。つまり、スーパーフラット論も表層的に読まれたと言えなくもないが、まあ、歴史とはそんなものだ。ショッピングセンターこそ考えるべきというきわめてゼロ年代的な主張が、10年後どのような成果をあげるかに期待したい。かつて森川嘉一郎が建築は終わるとうそぶいた議論は、それこそ建築界において定期的に登場するオオカミ少年的な言説だったのに対し、藤村龍至らの批判的工学主義ラインは新しい職能のあり方を具体的に想像しており、生産的である。ところで、60年代から70年代にかけても、建築家は都市計画、高層ビル、工業住宅など、幾つかのジャンルに接近しようと野心を燃やしたが、いずれも撤退した。敗北の歴史が続く。今度こそは成功して欲しい。お手並み拝見である。なお、ゼロ年代の「すべて」において、現代美術がごくわずかな記述しかないことも気になった。編集者サイドが興味をもっていなかったのかもしれない。ともあれ、短いテキストでは、外部と接続する村上隆がいなかったゼロ年代という総括がなされている。単純にアートの世界が不毛だったのか、それともアートの言説をサブカルチャー論壇に送り込む新しい論客が登場しなかったからなのか。どうも後者のような気がする。少なくとも、建築界は人文系にプラグ・インする藤村龍至を輩出した。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
建築家の読書術
会期:2010/01/26~2010/02/06
ギャラリー・間[東京都]
中村拓志、中山英之、平田晃久、藤本壮介、吉村靖孝という5人の建築家がそれぞれ20冊の本を挙げ、読書術を披露するといういわば珍しいタイプの展覧会。統括は建築史家の倉方俊輔。3階の会場には一冊ずつ本が置かれた椅子が並べられる。まず展覧会のヴァリエーションを広げる試みとして面白い。そして、実際の建築物や模型を見る以上に、建築家の思考の裏側が見えてくるような試みでもある。統括の倉方氏に聞いたところ、10冊くらいだと流行りの本や名著でごまかすことができる、でも20冊だとその建築家の本質が見えてくるということだった。確かに20冊をもって何かを語るというのは結構難しい。いわば難問である。しかし、同時期に連続して開催された連続レクチャーにより、20冊のセレクト意図などが各建築家により明らかにされていったという。面白いのは、全体として本は2冊ほどしか重なっていなかったらしいが、いくつか共通のラインが見えてくるところである。例えば吉村はユクスキュルの『生物から見た世界』を挙げたが、中村はその訳者である動物行動学者の日高敏隆の『人間はどういう動物か』を挙げ、さらに平田は日高の弟子筋である小原嘉明の『モンシロチョウの結婚指輪』を挙げる。建築とまったく関係ないはずの分野で隠れた共通項が見えてくるのは面白い。そういえば以前、建築家がそれぞれ映画について語るという特集が『Detail Japan』でもあった。建築家に作品以外の部分から焦点が当てられた好展覧会だといえよう。
2010/01/26(火)(松田達)
「エレメント」構造デザイナー セシル・バルモンドの世界
会期:2010/01/16~2010/03/22
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
セシル・バルモンドは、世界中の建築家とともにプロジェクトを手がけ、自らもデザインも行ない、もはや単なる構造家とはいえない人物である。展示で興味深いのは、いわゆるプロジェクト紹介は最後にパネルでまとめて行なわれる形で、むしろコンセプチュアルな思考そのものが展示されていたことだった。特に印象的だったのが、二つ目の部屋の《ヘッジ》と題されたインスタレーションである。H型のアルミプレートがチェーンとともに多数立体的に浮かび、きらびやかな空間が構成されている。チェーンでプレートを釣っているわけではなく、チェーンへのプレストレスを利用することにより、単独では自立しないもの同士が、お互いに支え合う構造をつくりだしている。全体として、二次元でもない三次元でもない中間次元の存在であるという。バナーと呼ばれる第一の部屋の200本の垂れ幕による迷路状の空間や、いくつかの彼自身のプロジェクトともあわせて、フラクタル的な空間への志向が明確に現われていた(第一の部屋の自然の写真は、フラクタル幾何学を想起させよう)。バルモンドは、自然の形態を模倣するのではなく、その背後にある幾何学を抽出する。「ディープ・ストラクチュア」という彼の言葉が印象的だ。彼は自然界の構造の最深部に迫ろうとしているのであろう。ヨーロッパでは、建築家でも構造家でもあるエンジニアリング・アーキテクトが増えてきており、セシル・バルモンドはその代表格といえよう(ほかには例えばヴェルナー・ゾーベックなど)。デザインする構造家という、オルタナティブなアーキテクト像が生まれてきているのかもしれない。
展覧会URL:http://www.operacity.jp/ag/exh114/
2010/01/23(土)(松田達)