artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

五十嵐太郎編『建築・都市ブックガイド21世紀』

発行所:彰国社

発行日:2009年4月10日

主に90年代以降に出版された、建築・都市に関する主要な本を紹介するブックガイド。編者の五十嵐太郎によれば、20世紀の建築・都市関連書物を100冊集めた『READING:1 建築の書物/都市の書物』(INAX出版、1999)と対になる本であるという。本書は20人の執筆者がおり、筆者もそのひとりに加えていただいているが、その2/3以上を五十嵐が書いている。おそらく単著としても出すことができたのであろうが、それでも足りない部分を原稿依頼したというので、本書の充実度は想像できよう。ところで、五十嵐太郎編によるこの種のアンソロジー系総括本は(過去の『20世紀建築研究』など多数)、決してある水準以上のものを取り上げるというような形式で網羅しているわけではない。何故この本がここに、何故この作品がここに入っているの? という驚きが、必ずいくつか散りばめられている。それが完璧にまとめ上げた教科書的な本との決定的な違いを生み出しているのではないか。例えば、高祖岩三郎の『流体都市を構築せよ!』、またその道では有名な森博嗣の推理小説など、一見、ほかとカテゴリーが違いそうなものも、五十嵐はフラットに取り上げる。しかし、それこそが編者としての五十嵐のオリジナリティを生み出している。だからこの本は、じっくり読んだ後に、もう一度、そういえばこの本はどうして取り上げられたのか、と考えてみる面白さも残っているのだ。

2010/03/31(水)(松田達)

内田青蔵『「間取り」で楽しむ住宅読本』

発行所:光文社

発行日:2005年1月

建築史家が、間取りを切り口として近現代の住宅史をたどる。興味深いのは、玄関、居間(この言葉が、「リビング」の訳語として初めて訳されたのは、大正時代の雑誌だった)、寝室、子供部屋、台所、便所など、住宅を構成する基本的な部位ごとに、その変遷を分析していること。言うまでもなく、それは近代社会において、いかに家族の概念が形成されたかを検証することにもつながる。われわれが当たり前だと思っている住宅=家族の姿は、せいぜい100年以内につくられたものであり、すでに大きく変容してしまった。例えば、大正時代に接客中心の客間から家族中心の居間への転換が起きたが、20世紀の半ばにテレビが侵入し、いまや居間には誰もいなくなっている。こうした歴史的なパースペクティブのなかで、山本理顕や難波和彦の住宅などが位置づけられているのも興味深い。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

中川道夫『上海双世紀 1979-2009』

発行所:岩波書店

発行日:2010年2月

中川道夫の写真集は、世紀をまたぐ約30年の上海の変貌を浮かびあがらせる。最初の二枚は、いずれも外灘から浦東を眺める写真だが、四半世紀の時間の流れは対岸をまったく違う世界に変えてしまった。いわゆる建築写真ではない。むしろ、それぞれの時代のまちの人々がとらえられている。匂いと音が聴こえてきそうな写真だ。ちなみに、冒頭に数枚ある21世紀はカラー、残りの前世紀の写真は白黒である。筆者がはじめて上海を訪れのは約20年前であり、当時はまだ昔の日本の映像を見るかのようなセピア色のイメージだったことをよく覚えている。だが、その後の上海はすさまじい勢いで未来都市に変貌した。今年は上海万博も開催される。もしかすると、将来は、日本が昔の中国のようだと思われるのかもしれない。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

『建築雑誌3月号』

発行所:日本建築学会

発行日:2010年3月

特集の「ナイーブアーキテクチャー」が目を引く。現在、もっとも注目されている現象、すなわち繊細な空間のデザインにスポットを当てているからだ。本来、こうした企画は『10+1』や『建築文化』など、民間の雑誌が組んでいたが、いまや両者ともに存在せず、一方で老舗の『新建築』は特集主義をとらないので、結果的に『建築雑誌』がその役割を引き受けているのも興味深い。「ナイーブアーキテクチャー」は、真壁智治が提唱し、議論を巻き起こした「カワイイ」のコンセプトを発展させたかたちになっている。使い手の共感を得るためのナイーブさも、カワイイのときに提出されていた考え方だ。また、これをはっきりと日本発と打ち出しているのも、この企画の特徴だろう。日本の現代建築の動向は、ある種のマニエリスム、あるいはガラパゴス島化ともとられかねない側面をもつのだが、それを新しい建築のパラダイムとして肯定的にとらえようとしている。また私性、女性性、身体性といったキーワードも散見され、SANAA、青木淳、アトリエ・ワン、石上純也、中山英之らの(すでに)人気建築家をバックアップする特集だ。個人的に気になっているのは、カワイイの議論のとき、真壁は良い「カワイイ」(SANAA的なもの)と悪い「カワイイ」(キッチュなもの)を峻別し、前者のみを擁護していたが、こちらの方を今回、ナイーブアーキテクチャーとしてラベルを貼りかえたものと理解すれば、よいのか、ということである。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)

中山英之『中山英之 スケッチング』

発行所:新宿書房

発行日:2010年3月

神戸芸術工科大学デザイン教育研究センターの特別講義をもとに制作された本である。個人的に、なんとも形容しがたいかたちをもつ京都の《0邸》を見学した直後、これを手にしたこともあって、中山英之が空間のイメージを練りあげる際、スケッチが大きな役割を果たしていることを痛感させられた。ハードなラインによる建築的なドローイングではない。むろん、古典的な透視図法でもないし、コンピューターのCGでもなく、手描きのスケッチ群。繊細でデリケートな手の技を見せる「エモーショナル・ドローイング」展(国立近代美術館)などにも通じる、きわめて主観的なイメージである。そこから建築が立ちあがっていることは、スケッチ群が模型や実際の写真と等価に並べられていることからもうかがえるだろう。

2010/03/31(水)(五十嵐太郎)