artscapeレビュー

宇野常寛編『ゼロ年代のすべて』

2010年02月15日号

発行所:第二次惑星開発委員会

発行日:2009年12月31日

世代交代を印象づける編集方針になっており、なるほど90年代から活動している論客で、この本にも参加しているのは、宮台真司と東浩紀ぐらいである。あれほど80年代から90年代を席巻したニューアカデミズム、あるいは『へるめす』や『批評空間』的な布陣は皆無だ。サブカルチャーを中心にさまざまなジャンルを総括しているが、建築や都市と関連が深いのは、「〈アーキテクチャ〉再考──建築・デザイン・作家性」の鼎談と、「『郊外の現在』──ジモト・ヤンキー・グローバリゼーション」だろう。実はいずれも筆者の仕事が参照されており、前者ではスーパーフラットをめぐる建築論、後者では『ヤンキー文化論序説』に触れている。10年前の出来事がもう歴史化されていることに加え、そのまま伝わらないことを興味深く思った。少なくとも、スーパーフラットと建築論を接続するときに、筆者は繰り返し、ひとつはファサードの表層に対する操作、もうひとつはプログラムや組織におけるヒエラルキーの解体を指摘したはずだが、五十嵐は表面性しか触れていなかったことになっている。つまり、スーパーフラット論も表層的に読まれたと言えなくもないが、まあ、歴史とはそんなものだ。ショッピングセンターこそ考えるべきというきわめてゼロ年代的な主張が、10年後どのような成果をあげるかに期待したい。かつて森川嘉一郎が建築は終わるとうそぶいた議論は、それこそ建築界において定期的に登場するオオカミ少年的な言説だったのに対し、藤村龍至らの批判的工学主義ラインは新しい職能のあり方を具体的に想像しており、生産的である。ところで、60年代から70年代にかけても、建築家は都市計画、高層ビル、工業住宅など、幾つかのジャンルに接近しようと野心を燃やしたが、いずれも撤退した。敗北の歴史が続く。今度こそは成功して欲しい。お手並み拝見である。なお、ゼロ年代の「すべて」において、現代美術がごくわずかな記述しかないことも気になった。編集者サイドが興味をもっていなかったのかもしれない。ともあれ、短いテキストでは、外部と接続する村上隆がいなかったゼロ年代という総括がなされている。単純にアートの世界が不毛だったのか、それともアートの言説をサブカルチャー論壇に送り込む新しい論客が登場しなかったからなのか。どうも後者のような気がする。少なくとも、建築界は人文系にプラグ・インする藤村龍至を輩出した。

2010/01/31(日)(五十嵐太郎)

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