artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

I.M.ペイ《東海大学路思義教堂》

[台中(台湾)]

竣工:1963年

中国系アメリカ人建築家、I.M.ペイの初期作であるこの建築は、台湾の東海大学内に建つチャペルである。ペイは1917年生まれで、1913年生まれの丹下とともに、アジアの二大巨匠ともいわれる。17歳で渡米し、ハーバード大学を修了し、同大学の助教授を経て、デベロッパーのウェブ&ナップ社で企業内建築家として働き始める。自身の事務所を開いたのは1955年、その後も同社で働き続け、完全に独立するのは1960年のことだから、建築家としてはスロースターターであるともいえる。おそらく、その直後にこのプロジェクトははじまった。
チャペルは、4枚のHPシェル(双曲放物面形シェル Hyperbolic Paraboloid Shell)が2枚一組で支え合っており、柱はない。平面は変形六角形。手のひらをあわせたような、民家的とも、幾何学的ともいえる形態で、内部に入ると、向かい合う屋根の間の天窓から光が内部にこぼれ落ちてくる。全体的に、丹下健三の《東京カテドラル》からの影響かと思った。しかし同じHPシェルを用いているが、I.M.ペイのチャペルの方が一年早く完成していた。丹下の《東京カテドラル》は、8枚のHPシェルが十字に交差しているから、採光の仕方も似ているといえるが、建築的解法としては、ペイは2組をずらしてサイドからの光を取り入れようとしており、同じではない。また丹下の場合、構造より意匠がやや優先し、純粋にHPシェル構造ではなかったという。
メキシコの構造家、フェリックス・キャンデラが、HPシェル構造の建築で脚光を浴びたのが1951年だから、10年程度でその影響がアジアに現われたということだろう。ただし、キャンデラはコンピュータなしに、手計算だけで構造計算を行なっていたというからすごい。丹下の東京カテドラルが、日本的な形態を感じさせないのに対して、ペイのチャペルには、何かアジア的な形態を感じた。丹下が日本に、ペイがアメリカにいたことが反作用的に働いたのだろうか。

2009/03/27(金)(松田達)

『dA(Document on Architecture)』issue_006 流動性

発行所:田園城市文化事業有限公司(Garden City Publishers)

発行日:2006年

台湾の建築雑誌。創刊は2003年で、テキストは繁体字中国語。本号の特集タイトルは「流動性 Fluidity」で、伊東豊雄を中心として、妹島和世+西沢立衛、小嶋一浩+赤松佳珠子らの建築が取り上げられている。この号は、東海大学(台湾)の曽成徳氏(Chuntei David Tseng)、亜洲大学の謝宗哲氏(Hsieh Tusng-Che)らが全面的に編集に携わったという。
まず出版社について触れておきたい。名前からも伺えるように(日本語であれば、田園都市)、建築・都市関連を中心に、デザイン、ファッション、アート、写真関連の書籍を多く出版している。ル・コルビュジエの『ユルバニスム』が訳されているなど翻訳も多彩だ。日本の建築書の翻訳も多い。『dA』はこの田園城市出版が出す現在唯一の建築雑誌である。
この6号を、台中の東海大学にて謝宗哲さんから頂いた。編集への力の入れ方がすごい。表紙は台中オペラハウスの形態を模して開口部も空けたもの。特集の内容は、日本だと数冊分になりそうなくらい、いわば美味しいとこ取りの作品が詰め込まれている。写真の使い方にも、編集へのこだわりが感じられる。日本の建築学生は、「この本、翻訳されないんですか?」と訊いていたが、逆輸入したくなるくらいの内容だったともいえる。個人的には、妹島和世+西沢立衛に「白色的曖昧」、小嶋一浩+赤松佳珠子に「越境的理由」というサブタイトルが付けられていたのをみて、漢字文化圏の可能性を感じた。理解が出来る。そして日本語と中国語の中間的な不思議な響きを感じた。

2009/03/27(金)(松田達)

都市再考会議

2007年初頭から連続的に開催されている、都市に関する勉強会。2009年3月13日のミリメーター/mi-ri meterによる講演「触れる都市計画」で第12回を数え、活動は3年目に入る。主宰の武田重昭氏は、都市に関わるさまざまな若手が、現代都市のもつさまざまな課題について話し合う会議となることを企図している。毎回の講演者が幹事となって、30代を中心とした建築家、都市計画家、ランドスケープ・アーキテクト、デザイナー、編集者、広告関係プランナーといった多彩なメンバーを集めており、かなり領域横断的である。筆者自身も、途中から幹事として加わらせて頂いている。このような形で都市を議論する場が生まれていることは、興味深い。少なくとも、建築、都市、ランドスケープの分野に限っても、合同でディスカッションする場所は、多くはなかったからだ。もう一つ興味深いのは、いくつかの勉強会や研究会のプラットフォームとしても機能しているところで、全体をまとめるというより、多重な構造を包含しながら発展しようとしているところだ。それ自体が都市的なネットワーク構造でもある。都市を語るプラットフォームとして、発展していってほしい。

関連URL:http://toshi-saikou.org/

2009/03/01(日)(松田達)

新潟三大学合同卒業設計展「Session!」

会期:2009/02/27~2009/03/01

NST新潟総合テレビ社屋 ゆめホール[新潟県]

新潟大学、長岡造形大学、新潟工科大学の三大学が合同で行なった卒業設計展。大規模にして、本格的にはじめたのは今年が初めてだという。1日目に展示、2日目に講評会「建築のこれから」、3日目にシンポジウム「地方都市/新潟のこれから」が開かれた。コーディネーターは新潟大学の岩佐明彦准教授であるが、学生の実行委員会が主体となった自主企画である。講評会は中谷正人氏、アニリール・セルカン氏とともにクリティークし、シンポジウムではセルカン氏、新潟の建築家である小川峰夫氏、東海林健氏とともに地方都市の可能性について語った。せんだいデザインリーグ・卒業設計日本一決定戦に向けて各地でこのようなイベントが行なわれたであろうが、おそらくそのなかではもっとも知名度が低いだろうし、歴史も浅い。ただし実際に参加してみて、示唆的なことが多く、とても面白かった。まず卒業設計展自体が次第にメディア化しており、規模が拡大したからか、「せんだい日本一」がイベントとして話題を呼ぶからか、その注目の度合いが数年前より格段に上がっていること。「日本一」を一種の頂点として、大学選抜、複数大学選抜、そして日本一へという流れが生まれている。しかし一方で、「卒業設計のグローバリズム」ともいうべき別の問題も発生しているように思われた。「日本一」へと流れる波は逆流して、前年の上位入賞者の作品が、次年度の作品に影響を与えるだろう。実際、最近の「日本一」において、それはすでに起こっているように感じた。メディア化したイベントの影響力によって、全国の卒業設計に一種のモードが与えられる。ところで、この合同卒業設計展「Session!」が新潟で行なわれ、また「地方都市」をテーマとしたシンポジウムが開かれたことは、その点からも興味深い。「地方都市」がとるべき方向性が、「グローバル」な情報を受け取ることなのか、「ローカル」な情報を発信すべきなのか、あるいは第三の道があるのか? 卒業設計の問題であるが、都市間競争が進んだときの、都市のとるべき道といった問題にも通じるところがある。さらには「地方都市」にもあたらないさらに小規模の「まち」はどうするのかという問題もある。合同卒業設計展もなく、情報の孤島となっている大学は少なくないかもしれない。現に、この合同卒業設計展は、これまでほとんどなかった大学間の交流を生み出すためにも機能し始めたようである。シンポジウムでいくらか共感を生んだようだったのは「地方をつなぐ」という方向性だった。日本海一決定戦をやりたいという話も学生からあがった。道州制ともパラレルな問題系であり、今後の展開が興味深い。

2009/02/28(土)(松田達)

長谷川豪《狛江の住宅》

[東京都]

竣工:2009年
プロデュース:大島滋(Aプロジェクト)

長谷川豪の第4作目。住宅地の角地に建つ。地上に現われた天井高の高い一室と、地下に埋め込まれたヴォリュームが、断面で見ると斜めに配置。そして地下からの階段を上がった先の庭という三つの空間がこの住宅の主要な要素である。延床面積は86.70平米。決して大きくはないが、何か不思議な奥行きを感じさせる住宅で、その感覚に新しさを感じた。建ぺい率40%、容積率80%という条件だというので、通常なら総二階に近い2階建てとしそうなところ、長谷川の選んだ配置は地上と地下に斜めにヴォリュームを配置するというものだった。庭も含めて三つの空間が相互に繋がっており、円環状に空間の場面が転換していく。特徴的なのは、地下の居室の天井にあけられた4つの天窓。長谷川によればこれは空間同士をつなぐもので、開口部というより階段に近いものなのだという。実はこのことがこの住宅の建ち方を示す鍵になっている。本人の説明によれば、この住宅では「まち」と「にわ」と「地上」と「地下」の4つの空間が隣接関係を持ちながらつながっているのだという。そして、この天窓は、階段がそうであるように上下の空間をつなぐ「導管」的な役目を果たしている。一階に戻ろう。天井高が高く、周囲の環境に応じて5つの大きな開口部のあけられた1階のLDK。開放的なこの空間には、ヴォリュームから飛び出した曲線部分を持つエントランスで、まるでストローがささっているかのようにも見える。この一階と開口部の外(=「まち」)がつながれている関係は、一階と地下が階段によってつながれている関係と同形である。つまり、「エントランス」は一階と地下をつなぐ「階段」にほかならない。そして一階の5つの「開口部」は、地下空間の「天窓」に該当する。同様に、「庭」と「まち」もつながれている。「庭」に家具が置かれることが想定されており、そこが一種の居室として考えられていることを示している。「地下」と「まち」も、地下の壁面上部に空けられた5つの「換気窓」によってつながれている。それぞれの「空間」をつなぐ複数の「導管的開口部」は、時に「階段」であったり「エントランス」であったり「トップライト」であったり、または「庭」と「まち」をつなぐ「見えない開口部」であったりする。このことによって、この住宅は、「まち」とも手を結び、その中に隣接関係を持って位置づけられることになる。地上のヴォリュームは敷地外部の複数のヴォリュームとほぼ等距離に当たる位置に置かれている。角地であることによって「まち」との、つかず離れずの関係性がより高められる。駅からこの住宅に至る経路を歩きながら、住宅地の奥深くに入り込んでいく感覚があった。おそらく長谷川もそのことを感じたのであろう。住宅地の奥地にあって、建築家がつくる住宅を突出させるわけではなく、周囲の住宅地がもつ位置と力関係のなかで、微妙なバランスをとった場所に配置させ、その関係を結んでいる。「周りの住宅地と同じ土俵に乗らなければ」と長谷川は言う。住宅を住宅地に位置づけること。建築家がそのような住宅を建てたことは特筆に値するのではないだろうか。この考え方は、例えばスイスのディーナー&ディーナーの手法にも近いと感じた。このような「つかず離れず」的な関係性から生まれる関係は、住宅内部の作り方にも浸透していたように思われる。椅子の中に隠され天板を開いて受け取る郵便受け、バスルームから出たところに位置し、対角線状に大小二つの水栓を持つ洗面台など、細部までが「まち」とつながって決められているような感覚を受けた。「まち住宅」ともいえそうな、この住宅の原型として、建ち方を重要視していたアトリエ・ワンの《アニ・ハウス》や《ミニ・ハウス》を思い出したのだが、長谷川は塚本由晴の研究室出身であり、方法論として共通する部分もあるのかもしれない。一軒の小さな住宅が「まち」と「住宅」の関係を示しているという意味で、秀逸な作品だと思った。

写真提供:長谷川豪建築設計事務所

2009/02/26(木)(松田達)