artscapeレビュー
I.M.ペイ《東海大学路思義教堂》
2009年04月15日号
[台中(台湾)]
竣工:1963年
中国系アメリカ人建築家、I.M.ペイの初期作であるこの建築は、台湾の東海大学内に建つチャペルである。ペイは1917年生まれで、1913年生まれの丹下とともに、アジアの二大巨匠ともいわれる。17歳で渡米し、ハーバード大学を修了し、同大学の助教授を経て、デベロッパーのウェブ&ナップ社で企業内建築家として働き始める。自身の事務所を開いたのは1955年、その後も同社で働き続け、完全に独立するのは1960年のことだから、建築家としてはスロースターターであるともいえる。おそらく、その直後にこのプロジェクトははじまった。
チャペルは、4枚のHPシェル(双曲放物面形シェル Hyperbolic Paraboloid Shell)が2枚一組で支え合っており、柱はない。平面は変形六角形。手のひらをあわせたような、民家的とも、幾何学的ともいえる形態で、内部に入ると、向かい合う屋根の間の天窓から光が内部にこぼれ落ちてくる。全体的に、丹下健三の《東京カテドラル》からの影響かと思った。しかし同じHPシェルを用いているが、I.M.ペイのチャペルの方が一年早く完成していた。丹下の《東京カテドラル》は、8枚のHPシェルが十字に交差しているから、採光の仕方も似ているといえるが、建築的解法としては、ペイは2組をずらしてサイドからの光を取り入れようとしており、同じではない。また丹下の場合、構造より意匠がやや優先し、純粋にHPシェル構造ではなかったという。
メキシコの構造家、フェリックス・キャンデラが、HPシェル構造の建築で脚光を浴びたのが1951年だから、10年程度でその影響がアジアに現われたということだろう。ただし、キャンデラはコンピュータなしに、手計算だけで構造計算を行なっていたというからすごい。丹下の東京カテドラルが、日本的な形態を感じさせないのに対して、ペイのチャペルには、何かアジア的な形態を感じた。丹下が日本に、ペイがアメリカにいたことが反作用的に働いたのだろうか。
2009/03/27(金)(松田達)