artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

オープンしなけん2019 vol.2

会期:2019/11/30

東京都品川区内の各地、大崎第一区民集会所(クロージングトークのみ)[東京都]

和田菜穂子らの東京建築アクセスポイントの企画により、品川区の建物公開を1日限りで行なうオープンしなけんのイヴェントに参加した。2019年の3月に始まり、今回で2回目だという。

ひとつは早朝、住宅街にたつ土浦亀城邸(1935)を見学した。考えてみると、学生の時以来なので、四半世紀以上ぶりの再訪となる。同じ住宅をこれだけ間をおいて再び足を運んだのは初めてかもしれない。やはり、だいぶ痛んでいるが、垂直方向に旋回していく空間の展開は十分に堪能できる。ミース・ファン・デル・ローエによるブルノの豪邸トゥーゲンハット邸(1930)と比べると、全然小さい建築だが、複雑な立体構成では決して引けをとらない。すなわち、狭い敷地内で展開される洗練されたデザインに、日本モダニズムの真骨頂を感じる。

もうひとつは、御殿山トラストシティの背後にひっそりとたつ磯崎新の茶室「有時庵(うじあん)」である(壁で隔てられているが、原美術館のすぐ近く)。外観は円と方形を組み合わせた磯崎らしい観念的な形態操作が目立つが、内部の空間は官能的なデザインだった。磯崎の両極のような特徴が、小さい茶室ゆえに凝縮して共存しているのが興味深い。



磯崎新が設計した茶室「有時庵」の外観。円と方形を組み合わせた観念的なデザイン。


「有時庵」の内部。茶道具を納める水屋の様子。


「有時庵」の内部。チタニウムの壁面が醸し出す官能的な空間デザイン。


「有時庵」の内部。貴人口から床の間を見た景色。

夕方からは、クロージングトーク「建築をひらく」のゲストとして登壇した。磯達雄、倉方俊輔の両氏からは、見学した建築の振り返りと同時に、イケフェス大阪の状況が語られた。また若原一貴からは、品川区の建物を悉皆調査し、様々な発見があったことも付け加えられた。

こうした建物公開は、ロンドンやシカゴなど世界各地で行なわれているが、筆者のレクチャーでは、日本のアートイヴェントを通じた建物公開や「open! architecture(オープン・アーキテクチャー)」の試みを取り上げた。前者では、主に筆者が芸術監督をつとめたあいちトリエンナーレ2013において、出品する建築家の住宅を公開したり、愛知県の建築ガイドを作成したことなどを報告した。そして後者では、建築史家の斉藤理が2008年から開始した「open! architecture」が、ときには音楽鑑賞などのプログラムを組み合わせていたことを紹介した。現在、公式サイト(http://open-a.org/)を見る限り、「open! architecture」の活動は停止中のようだが、その意志を継いださまざまな建物公開のイヴェントが日本各地で増えているのは頼もしい。

公式サイト:https://shinaken.jp/

2019/11/30(土)(五十嵐太郎)

第一回「山田幸司賞」授賞式

会期:2019/11/23

大同大学[愛知県]

10年前の2009年11月に不慮の事故で亡くなった名古屋の建築家、山田幸司(1969-2009)の名前を冠した第一回「山田幸司賞」の授賞式を、彼が勤めていた大同大学において開催した。彼は地方都市に拠点を構え、流行に迎合せず、いち早くCADを用いたディテールへの探求と、師‏・石井和紘が得意とするポストモダンと、ハイテクをアレンジしたデザインを武器にした建築家である。そこで筆者を含む建築系ラジオのメンバーが彼の功績を記念し、作品ではなく、人間に対して付与する賞を創設した。応募の文章から引用するならば、「この賞は、幅広い学歴や多様な経歴から未来を切り拓く建築人を応援するための賞です。つまり「山田風」のデザインを取り上げたいのではなく、彼の生き様と響きあう建築家に出会い、顕彰したいのです」。彼の存在がきっかけで始めたインターネットを活用する建築系ラジオの広告収入が残っていたことから、それを原資として立ち上げた。残額から計算すると、2年に一度開催し、5回は継続できる計算だ。

さて、賞の審査では、履歴書に大学院に落ちたことや事務所をクビになったことなど、通常はわざわざ触れない情報も、むしろ積極的に記されていたことが、山田賞の独特な性格を示していたように思う。議論の結果、倉敷で民家的な現代住宅や民家の再生などの設計のほか、地域のアート活動を支援する山口晋作が、第一回の山田賞に選ばれた。彼は土木を学んだ後、豊橋技術科学大学の大学院で建築を専攻し、建築史を研究してから、地元に戻った建築家である。かつて建築系ラジオのリスナーだったという。



山口晋作、倉敷建築工房山口晋作設計室(2008再生)




山口晋作、瀬戸内の現代擬洋風(2013新築)




山口晋作、茅葺き屋根の記憶(2012新築)


また本賞に加えて、海外旅行での屋台経験から仮設建築の可能性を探求する大阪の今村謙人も、特別賞として選ばれることになった。彼は新婚旅行を兼ねた世界一周旅行の途中、メキシコで自ら屋台を出したことがきっかけで、地元や日本の各地域で実験的な屋台を展開し、街づくりにも取り組んでいる。授賞式の後に行なわれた2人のレクチャーでは、やはりともにユニークな建築人であることが確認された。また建築系ラジオが大同大で行なっていたスーパークリティックも開催され、受賞者が学生の作品講評に参加した。


今村謙人、mini屋台



今村謙人、momonoマルシェ@泉北ニュータウン(©︎堀越)



今村謙人、おとずれリバーフェスタ@山口県長門湯本温泉(©︎fantas)

五十嵐太郎研究室 関連ページ:https://igarashi-lab.tumblr.com/post/山田幸司賞の結果

2019/11/23(土)(五十嵐太郎)

辰野金吾と日本銀行、辰野金吾と美術のはなし

日本銀行金融研究所貨幣博物館、東京ステーションギャラリー[東京都]

今年は辰野金吾(1854~1919)に関する展覧会が2つ開催された。今年が彼の没後100年にあたることが、その理由である。藤森照信の解説によれば、辰野はいずれも東京の顔となる国家的な建築、東京駅、日本銀行、国会議事堂を手がけたかったらしいが、よく知られているように最初の2つは実現しており、これらに関連した会場で展覧会が企画されたことになる。

ひとつは貨幣博物館の常設展示エリアにおける小企画「辰野金吾と日本銀行」展である。旅のスケッチ、トランク、手紙、竣工当時の図面、日本銀行が描かれた錦絵、彼が手がけた他の日本銀行(大阪、京都、小樽)の写真などが紹介されていた。ちなみに、日本銀行旧小樽支店金融資料館でも「辰野金吾と日本銀行建築」展が開催されている(2019年11月15日~2020年2月18日)。国内で同時に展示が行なわれるとは、さすがである。

ところで、貨幣博物館の向かいに、本物の日本銀行がたっているのだから、細部の見方を解説するハンドアウトを配布すれば、会場を出てから、それを手にしてじっくり建築を観察できるのに、そうした工夫がないのが惜しい。実物の立地を生かしきれていないのだ。また展示にあわせて新規のカタログを制作しているのに、全然それ(本物の日本銀行の所在)を見せないのももったいない。たぶん来場者はわからないだろう。

もうひとつが東京ステーションギャラリーの「辰野金吾と美術のはなし」である。ここは以前、大きな辰野展を開催していたので、どうするのかと思ったら、ワンフロアのみを使う小企画だった。洋行の資料や東京駅の図面を紹介するのはお約束だが、イギリスの留学先で出会った洋画家の松岡壽との関係から辰野を探る切り口を設定したことが、今回の新機軸だろう。また各部屋の内装計画や有名画家による室内画にも触れていた。そして筆者が東京大学の建築学科の学部生だったときにデッサンしたのと同じアリアス胸像が思いがけず展示されており、懐かしい気持ちになった。松岡が用いた石膏像で、その保存に辰野が尽力したらしい。

冒頭では、後藤慶二による辰野建築を集合させた絵画を紹介していたが、改めて見ると、おそらくネタ元であるジョン・ソーン/ジョセフ・マイケル・ガンディーの作品に比べて、表現が拙い感じがする。ちなみに、辰野の100種類以上のスケッチを自由に組み合わせて、オリジナルのトートバッグやTシャツを制作できるコラボレーション企画は良かった。

□ 辰野金吾と日本銀行
会期:2019/9/21〜2019/12/8
会場:日本銀行金融研究所貨幣博物館


□ 辰野金吾と美術のはなし
会期:2019/11/2〜2019/11/24
会場:東京ステーションギャラリー

2019/11/15(日)(五十嵐太郎)

辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展

会期:2019/11/02~2019/11/24

東京ステーションギャラリー[東京都]

辰野金吾は「建築家になったからには、日本銀行本店と中央停車場(東京駅)と帝国議会議事堂(国会議事堂)を設計したい」と語っていたそうだ。藤森照信による、そんなエピソードから本展は始まる。結構な野心家だったんだなという印象を抱くが、実際のところ、そうでなければ壮大な夢を叶えられなかったに違いない。おそらく野心があったおかげで人一倍勉学に励み、工部大学校(現・東京大学工学部)を首席で卒業し、英国へ官費留学ができた。帰国後は恩師ジョサイア・コンドルの後を継いで同校の教授となり、その後、自身の事務所を立ち上げて本格的に建築設計の道を歩んでいく。そして日本銀行本店と中央停車場を設計する夢は叶えた。帝国議会議事堂の設計については、自ら設計競技を提案し審査に携わる途中で、スペイン風邪に罹り逝去してしまう。残るひとつは夢半ばであったが、最期まで野心を燃やし続けた人なのだ。

辰野が没して100年を迎えた今年、彼が設計した日本銀行本店本館(日本銀行金融研究所貨幣博物館)、旧・日本銀行京都支店(京都文化博物館)、そして東京駅丸の内駅舎(東京ステーションギャラリー)の3館でそれぞれに企画展が開催された。東京ステーションギャラリーでは、学生時代に出会った洋画家、松岡壽との交友関係を軸に美術との関わりを紹介しつつ、中央停車場の貴重な図面を展示している。当初、ドイツ人鉄道技師のフランツ・バルツァーが瓦屋根を冠した複数棟から成る和洋折衷の中央停車場設計案を出すが、それを辰野が引き取り、華やかなヴィクトリアン様式に変えたといったエピソードも紹介される。脱亜入欧が国是であった明治時代、産業革命以後の英国の都市景観から生まれたこの様式を採用することは必至だったのだろう。青図(青焼き)の平面図や立面図、断面図などがいくつも展示されていて、それらを眺めると待合室の多さに驚くが、それが当時の駅に求められた機能だったことがわかってくる。日本の近代建築の第一世代が辿った足跡に触れられる展覧会である。

辰野・葛西建築事務所《中央停車場建物建築図 北立面図》1910頃[鉄道博物館蔵]

辰野・葛西建築事務所《中央停車場建物展覧図》1911頃[鉄道博物館蔵]

現在の東京駅丸の内駅舎(北口)[©Yanagi Shinobu]


公式サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201911_tatsuno.html

2019/11/02(杉江あこ)

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金峯神社、沢田マンション

高知で2つのセルフビルド建築を訪れた。ひとつは高知工科大学で教鞭をとる建築家の渡辺菊眞さんの分割造替・金峯神社、もうひとつは有名な沢田マンションである。


前者は地方の過疎化と高齢化する山間地において長い間、補修する費用がなく、ほとんど崩れかけていた神社を復活させるプロジェクトだ。興味深いのは、「分割造替」と命名したように、その際、拝殿と本殿に分割し、前者を地域住民が集まりやすい低い場所に移動させ、おかげで途絶えていた祭りが再開されたことである。一方、後者は江戸時代にさかのぼる小さい本殿だけを残し、老朽化していた覆屋は解体し、もとの敷地の隣に再建した。


そして驚くべきなのは、いずれも単管やポリカーボネートなどを用いた超ローコストのセルフビルドであること。したがって、見たことがない造形であり、簡素なデザインだ。一般的に寺院は建築家による新しいデザインが登場しやすいが、保守的な神社ではそれが難しい。だがここは、厳しい状況ゆえにラディカルな新しい神社モデルが成立した。もっとも、日本各地の限界集落の神社では、おそらく似たような状況を迎えているはずである。



金峯神社の拝殿



金峯神社の本殿に続く、壊れた鳥居と階段



金峯神社の本殿


念願の沢田マンションは、大きなショッピングセンターの近くにたつ。これは1971年から夫婦がセルフビルドで建設した5階建て集合住宅である(本来はもっと高い階数をめざしていたらしいが)。よくここまで許されたと思う凄まじいプロジェクトであり、世知辛くなってしまった現代日本ではもうできないだろう。

興味深いのは、シュヴァルの理想宮のように、この手の建築は装飾的になりがちだが、沢田マンションはそれがなく(住人が後から加えたと思われる装飾はあるが)、基本的にはコンクリートのヴォリュームが強調されたモダニズム系の造形だ。もっとも、合理的なプランというよりも、コンクリートの迷宮のような空間体験を味わう。また広い通路(植栽などが置かれ、コミュニティ・スペースになっている)、両サイドを貫通するヴォイド、多様な間取りなど、いかにも現代の建築家がやりそうなデザインも散見されて興味深い。


沢田マンションの外観



沢田マンションのスロープと階段



沢田マンションの通路



沢田マンションの屋上庭園


2019/10/30(水)(五十嵐太郎)