artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
ロンドン建築フェスティバル(LFA)」とその周辺
会期:2019/06/01~2019/06/30
6月1日から30日は「ロンドン建築フェスティバル(LFA: London Festival of Architecture)」の期間であり、さまざまな場所で同時多発的に建築系のイヴェントや展覧会が開催されている。今年のテーマは「境界」である。滞在中にいくつか遭遇したので、ここで紹介しよう。
ヴィクトリア&アルバート博物館の建築セクションでは、常設展示とのコラボレーション企画がなされていた。常設は三列の構成(構造、プログラム、歴史・地域)によって異なる視点から建築を切りとるが、中央の列の模型ケースの上部にそれぞれ触発され、建築家が構想した紙の模型をのせている。
企画展の「A Home for All: Six Experiments in Social Housing」は、テクトン、ニーブ・ブラウン、ラルフ・アースキンほか、ロンドンにおける社会実験を伴う戦後の6つの集合住宅を振り返る好企画だった。またセントポール寺院やザ・バンクに近い中心部では、ベンチを街中に置くプロジェクト、屋外の空間インスタレーション、ギルドホールのギャラリーでは絵画に描かれた建築展、また倉庫をリノベーションしたヘイズ・ギャレリアでは、建築の環境を解説するパネルを展示していた。
短い日数ではとてもすべてをまわりきることができないほど、総数は多いのだが、それぞれは小さな規模であり、ものすごく目立つというわけではない。なお、LFAのプログラムに含まれるかどうかは判然としなかったが、以下のような展示も行われていた。ひとつはAAスクールで教鞭をとる建築家・江頭慎の展覧会「BEAUTIFULLY INCOMPLETE」である。今の流行と関係なく、レオナルド・ダ・ヴィンチのような美しいスケッチ、ドローイング、模型によって、人と密接に関わる建築的な機械をデザインしていた。また今年の「サーペンタイン・パヴィリオン」は、石上純也による浮かぶ石の屋根が話題になっている。まわりのランドスケープを読み込み、そこから生まれる屋根のラインが美しい。日本の公園ではおそらく実現できないカフェ建築として活用されていたのもよかった。
2019/06/27(木)〜29(土)(五十嵐太郎)
淡江大学建築学科卒計展
松山文化創園地区[台湾、台北市]
ほぼ3ヶ月連続で台北を訪れることになったが、今回はアドバイザーとして関わった忠泰美術館の「人間自然─平田晃久個展」が目的ではなく、淡江大学の建築学科の卒業設計展に関連したレクチャーで招待された。会場は日本統治時代に建てられた旧煙草工場をリノベーションし、さまざまなデザイン関係の展示やイベントを行なう「松山文化創園区」であり、伊東豊雄によるホテルも建つ。ここでは《台湾デザインセンター》が拠点を置き、プロダクト、ファッション、グラフィックなどの企画展を行なう《台湾デザインミュージアム》も入っている。なお、「松山文化創園地区」の背後には、1930年代の巨大な鉄道施設の再生計画の敷地が隣接し、将来も変化が続きそうなエリアだ。
淡江大学で教鞭をとる平原英樹、柯純融、鄭晃二先生と会食し、たずねたところ、毎年、学生の自主企画で卒計展や講演会を行なっているらしい。通常は建築家を呼ぶみたいだが、筆者の著作がすでに台湾で何冊か翻訳されていることで、今回声がかかったようだ。もっとも、2051年までの未来のどこかに自らのプロジェクトを位置づける全体テーマを設けたり、各作品をトランプの図柄にしたグッズも制作するなど、さまざまな仕掛けを施し、ただ単に模型や図面を並べるだけの展覧会にはなっていない。
こぢんまりとした提案になりがちな日本の学生に比べると、未来志向のデザインが多く、こなれた空間の操作をみると、設計のレヴェルもかなり高い。今後の活躍が期待される。また会場が広いこともあり、十分なスペースをとりながら、1/1のモックアップやデジタル・ファブリケーションのインスタレーションを展示し、しかもゴーグルを使って仮想空間を体験する作品まで楽しむことができた。
さて、講演では「窓から建築を考える──歴史、美術、漫画、そして映画」と題し、10年間におよぶ東北大学五十嵐太郎研究室による窓学リサーチ・プロジェクトの研究成果を語った。その後、日本の卒計との違い、窓に関連するプロジェクト、すぐれた造形のデザインなどに触れながら、学生のいくつかの作品を講評した。
2019/06/15(土)(五十嵐太郎)
古澤邸
[東京都]
研究室のゼミ旅行という機会を使い、気になっていた古澤大輔さんの自邸を見学した。道を曲がって住宅が視界に入ると一瞬、とても大きく感じる。これは『住宅特集』2019年5月号の表紙も飾っているが、とくに梁がズレており、スラブの数が実際よりも多いと錯覚することによって、住宅というよりはビルのように見えてしまう。塔の家ならぬ、スキップ・フロア風のビルの家なのか? あるいは、ビルをリノベーションした住宅なのか?
上下の水平ラインに挟まれた横長のプロポーションはビルを想起させるのだが、そこに人が立つと大きさの感覚が狂い、スケール感がずらされる。また両側の建物と比較すると、ビルのミニチュアのようだ。なぜ、こうした現象が起きるのか。古澤は十字に配置された4本の柱を中央に据え、床のスラブと梁を遊離させるという実験を試みており、透明性が高く、そのデザインが外からも確認できるために、階数が実際よりも多く見えるからだ。つまり、基本的には四層であり、しかも室内は階高を少し抑え、スケールを調整している。
室内に入ると、二階から上は基本的に壁がなく、また中央の階段まわりに吹き抜けが随所に発生しており(とくに斜めの抜けが多い)、全体がゆるやかにつながっている。印象的なのは、いわゆる壁と違う空間の分節が未曾有の体験をもたらすこと。すなわち、頭上ではなく、目線の高さを浮遊している太い梁が、完全に空間を切り分けず、上下をかき取られた壁、もしくは大きな手すりのように存在している。つまり、梁の向こうがよく見えるが、そこへのアクセスはおしとどめる。また梁の上がちょっとしたモノを置く場所としても使われていた。建築の基本的な構成を変えることで、新しい空間の可能性を切り開くことに成功している。
もちろん、自邸ゆえの思い切りのよさはあるが、これは住宅に限定された手法ではないだろう。建物の前面で目立つバルコニーは、すべてを揃えず、それぞれに異なる表情をもち、躯体に対し、リノベーション的に付加したかのようだ。古澤は設計にあたっては、当初案を転用するイメージでのぞんだらしいが、新築でありながらリノベーション的な性格を備え、ビルのように感じられたのも、そのせいかもしれない。
2019/06/08(土)(五十嵐太郎)
中山英之展「, and then」
会期:2019/05/23~2019/08/04
TOTOギャラリー・間[東京都]
ギャラリー間では、ベスト級の展覧会だった。個人的に良い展覧会のポイントは、以下の3つである。第一に素晴らしい作品、もしくは貴重な資料があること。第二に、ここでしか体験できないこと(すなわち、書物に置き換えにくい内容)。そして第三に、展覧会の枠組を改めて問うこと。とくに映像との関係で建築展をひっくり返すことに成功している。どういうことか。通常、建築展において映像は付属物として扱われる。だが、本展のメインとなる4階を、むしろ彼の作品について制作された6編のショート・ムービーを上映する映画館=「シネ間」とし、3階を映像に関する資料、ドローイング、模型などの展示場とした。つまり、建築家の手を離れた後、現在、どのように住宅が使われているかを伝える、ドキュメンタリー映画の方が主役である。また『家と道』以外は上映時間10分以内に抑えられ(あまり長過ぎないことも好感がもてる)、休憩・CMを含めて、ちょうど1時間のタイムテーブルが組まれている。
過去にも千葉学が数名の施主に使い捨てカメラを送り、住宅の現状を撮影したものを活用する展覧会があったが(建築家に依頼するだけに、写真のセンスが良いことにも感心)、今回は施主だけでなく、さまざまなアーティストが撮影しており、建築の特徴を引きだしつつ、それぞれの強い個性が反映されている。とくに実見したことがある「O邸」は、訪問したときに比べて、かなり使い倒されている雰囲気がよくわかった。『Mitosaya薬草園蒸留所』はライブ感あふれる商品の製造過程をとらえ、「弦と孤」は上下と回転運動のみによるカメラが1日の様子を撮影し、ギャラリー間としては破格に横長の三面スクリーンに映しだされる。『2004』はかわいらしいアニメーションと写真のスライドショーであり、「家と道」は入念に演出された人々の動きをカメラのアングルを変えながら紹介する(もっとも面白い作品だったが、5回目のループはなくてもよかったかもしれない)。
2019/05/31(金)(五十嵐太郎)
仙台沿岸部の震災遺構をまわる
[宮城県]
せんだいメディアテークが推進するアートノード・プロジェクトのアドバイザー会議にあわせて、被災した仙台の沿岸部を視察した。熊本県から贈られ、公園の仮設住宅地につくられた伊東豊雄による第1号の《みんなの家》は、その後移築され、現在は《新浜 みんなの家》として活用されている。ただし、色が黒く塗られて、外観の雰囲気は変わっていた。そのすぐ近くが、アートノードの一環として、川俣正がフランスや日本の学生らとともに、家型が並ぶシルエットをもつ「みんなの橋」を設置する貞山運河の予定地だった。これは数年かかる事業になるだろう。
続いて荒浜に移動し、津波で破壊された住宅の跡をセルフビルドとリサイクルによってスケートパークに改造したラディカルな《CDP》(カルペ・ディエム・パーク)や、家が流され、複数の住宅の基礎だけが残る震災遺構の整備現場、自主的に運営されている海辺の図書館などをまわった(ちなみに石巻でも、被災した大きな倉庫がスケートパークに改造されていた)。
2017年にオープンした《震災遺構 荒浜小学校》も立ち寄った。周囲の家屋は流失したが、小学校は頑丈な躯体ゆえに大破しなかった。建物の手前はアスファルトの駐車場が整備され、観光バスを含めて、多くの来場者が訪れている。筆者が2011年の春に訪れたときは瓦礫や自動車が教室に押し込まれ、当然上階には行けなかったが、いまはすべて除去され、当時、320人が避難した屋上まで登ることが可能である。
ここから周囲を見渡すと、復興の様子も一望できる。瓦礫はなくなったものの、1階の教室やバルコニーには破壊の傷跡が残り、2階は廊下の壁に津波の到達線が記されているほか、建築家の槻橋修が始めた失われた街を復元する白模型の荒浜バージョンなどが展示されていた。そして4階は、発災直後の出来事を空撮の映像や回想するインタビューなどによって伝えるドキュメントを流している。復興を勇ましく紹介する中国の四川大地震の震災メモリアルに比べると、全体としては静謐なイメージの施設だった。
2019/05/25(土)(五十嵐太郎)