artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

篠山紀信「写真力」

会期:2012/10/03~2012/12/24

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

篠山紀信の写真展に「写真力」という言葉はぴったりしている。まさに彼こそ1960年代から半世紀にわたって、写真の荒ぶるパワーを十全に統御しつつ、打ち出し続けてきた写真家だからだ。
篠山の「写真力」は、主に固有名詞化された被写体に対して発揮される。しかも、その彼あるいは彼女の名前や顔やキャラクターが社会全体に広く行き渡り、輝きを発していればいるほど、その存在を全身で受け止め、投げ返す力業は神がかったものになる。今回の東京オペラシティアートギャラリーでの展示は「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」「ACCIDENTS」の5つのパートに分かれており、東日本大震災の被災者たちを撮影した「ACCIDENTS」以外の部屋は、著名なキャラクターのオンパレードだ。その絢爛豪華ぶりは、美空ひばり、三島由紀夫、バルテュス、武満徹、ジョン・レノン、夏目雅子、大原麗子、勝新太郎、きんさん・ぎんさん、渥美清の巨大な「遺影」がずらりと並んだ「GOD」の部屋を見るだけでもよくわかる。
篠山はそれらのスターたちを、視覚的な記号として社会に流通させていく術に長けている。彼は大衆があらかじめ抱いているイコンとしての像におおむね沿う形で、だがそれらを少しだけずらしたり、増幅させたりして写真化していく。時代の気分をすくい取りつつ、その半歩先のテイストを的確に打ち出していく勘所のよさを、篠山は1960年代のデビュー時から現在までずっと保ち続けてきた。それだけでも特筆すべきものと言えるだろう。
だが、その記号化のプロセスは、主に雑誌や写真集などの印刷媒体で威力を発揮するものであり、美術館のような会場での展示には馴染まないのではないか。観客はジョン・レノンや山口百恵や宮沢りえやミッキーマウスが「そこにいる(いた)」ことを確認すれば、それだけで満足してしまう。ゆえにギャラリーや美術館のスペースで味わうべき視覚的体験としては、やや物足りないものになる。気づいたら、広い会場をあっという間に巡り終えてしまっていた。

2012/10/11(木)(飯沢耕太郎)

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牛島光太郎 展 意図的な偶然

会期:2012/10/03~2012/10/27

LIXILギャラリー[東京都]

アーティストを知らずに個展を訪れたとき、展示された作品を見ていくなかでアーティストの性別や年齢を無意識に判別していることが、よくある。彼ないしは彼女の作品が、おのずとその属性を物語っている(ように感じられる)のだ。どういうわけか、その判定を誤ることは滅多にない。
今回の個展でも、若い女性の作品だと勝手に思い込んでいたが、じっさいはそれほど若くもない男性だったので、驚いた。なぜそのような早合点をしてしまったかというと、展示が日常的なモノと文字を刺繍した布で構成されていたからだ。ティーカップ、靴紐、窓、ドア、レースのカーテン、そして黒耀石。いずれも繊細で、ひそやかな感性を物語るアイテムばかりだ。どうやらモノと言葉が正確に照応していることは、布の表面に描かれた文章を読めば一目瞭然だったが、特筆すべきは、そのテキストが子どもの頃の出来事を克明に綴り、しかもそこで当時の心情を深く再現していたことだった。
個人的で繊細な記憶をもとにした世界の構築の仕方が、女性的だと判断した大きな理由である。むろん、そのような記憶の語り方や記憶そのものも作者の想像の産物なのかもしれない。けれども、そのことを差し引いたとしても、こうした論理で構成されるアートが今日的であることもまた事実である。

2012/10/11(木)(福住廉)

中国──王朝の至宝

会期:2012/10/10~2012/12/24

東京国立博物館[東京都]

「日中国交正常化40周年」を記念するこの展覧会が、中国で反日運動が盛り上がるこの時期に開かれるというのはどうなのよ。今日の内覧会にはアグネス・チャンも来ていたが、記者から「中国の反日活動をどう思います?」とイジワルな質問をされていた。展覧会は、中国美術に関してほとんど知識も興味もない私にとってもかなりおもしろいものだった。なにがおもしろいかって、蜀とか楚とか秦とか唐とか宋とか王朝が代わるごとに美術の様式もゴロッと変わること。もちろんつながりのある時代もあるけど、西洋美術史みたいに継承・発展していかないで、前の時代の様式がまるでなかったかのようにまったく別の様式を打ち立て、またそれをチャラにして……というシジフォスの神話みたいなことを何千年も繰り返してきた。このムダなエネルギーの消費こそ大河中国の足を引っぱってきた要因なんだなと、あらためて気づいたのでした。やはり中国は奥が深い。

2012/10/09(火)(村田真)

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森山大道「LABYRINTH」

会期:2012/09/28~2012/11/11

BLD GALLERY[東京都]

「これは反則ではないのか」と言いたくなるような、面白い展示だった。フィルムのコマをそのまま焼き付けたコンタクト・プリント(密着印画)を見せることは、写真家にとっては勇気がいることだと思う。彼がどんな対象に向けて、どんなふうにシャッターを切っているのかが、一目瞭然になるからだ。それでも森山大道ぐらいになると、コンタクト・プリントを人目にさらすことになんの躊躇もなく、むしろそのことを愉しんでいるようでもある。
今回展示されたのは104×144.4�Bのサイズに大きく引き伸ばされたコンタクト・プリント(写真弘社によるバライタアートプリント)で、そこにぎっしりと森山の旧作が詰まっている。しかも、そこでは1960年代から2000年代までの写真が、年代を飛び越えて、アトランダムにコラージュされて並んでいるのだ。『にっぽん劇場写真帖』(1968)、『狩人』(1972)、『写真よさようなら』(同)から『光と影』(1982)、『サン・ルゥへの旅』(1990)を経て『新宿』(2002)、『Buenos Aires』(2005)まで、つい写真集で見慣れたイメージを探してしまうのだが、それが目に入ってきたとき、軽いショックに襲われてしまう。前後の画像とのかかわりによって、そのたたずまいが相当に違っているのだ。さらにトリミングや焼き込みのような暗室技術を駆使することによって、森山がいかに魔術的な画像操作を行なっているのかが、まざまざと見えてくる。コンタクト・プリントをあらためて確認することで、森山の写真を形づくっている地層のような構造が浮かび上がってくるのだ。まさにスリリングな展示と言えるだろう。
なお、展覧会にあわせて写真集『LABYRINTH』(AKIO NAGASAWA PUBLISHING)も刊行された。300ページを超えるイメージの迷宮。これまた、ページをめくる手が止まらなくなるほどの異様な面白さだ。

2012/10/08(月)(飯沢耕太郎)

Melting Core──支持体に関する5つの考察

会期:2012/09/07~2012/10/07

Gallery OUT of PLACE[奈良県]

造形表現における「支持体」に注目した展覧会。といっても今展は、さまざまな表現に見られる支自体の多様性を提示するというものではなく、作品そのものが支持体と密接に関わりながら成立する表現をとおして、それぞれの作品における支持体の在り方、作家や作品との関係を探っるというもの。木製パネルに幾重にも塗った分厚い絵の具(の層)を、彫刻刀で彫ったり削ったりして再構成した蛇目という作家の絵画作品、キャンバスに孔を穿ち、裏側からその孔を通して絵の具をスクィーズした(絞り出した)関智生の作品なども興味深かったが、ここでは特に、原稿用紙やノートなどを大量に揃えてカットし束ねたものを色のついた液体に浸して乾燥させた百合一晶の一連の作品《水平線》に惹かれた。百合の作品には、紙の膨張や木枠の変形など、どれにも制作の過程で起こった自然現象による影響、変化の様子が現われている。たんに液体の色が紙に染み込む時間の予想だにしない偶然性や自然の驚異といったことではなく、紙という「支持体」に「自己」としての表現(という行為)と「他者」である自然(の現象)との出会いの瞬間が顕現したそれらが、新たなものを発生させる、そんな未来の期待や可能性のイメージを喚起していくのが素敵だ。自然風や光などを制作工程に取り入れ、時の経過やその移ろいを美しく見せるアーティストや作品はほかにもあるが、百合の表現は創作行為の根源そのものにもアプローチしていて深い。今回は久しぶりの発表であったが、長いあいだ温めていたものの成果を見せてもらった気分で嬉しかった。次は個展を見たい。


百合一晶の作品

2012/10/07(日)(酒井千穂)