artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

新道牧人 展「medium ミディアム」

会期:2012/09/25~2012/10/07

アートスペース虹[京都府]

新道牧人の久しぶりの個展。黄色く光るネオン管と、緩やかにねじれ絡まった状態の紐のオブジェが空中に浮かんでいるようなインスタレーション。会場は、黒いネットで仕切られていて、ネットの格子越しに見ると、そのネオン管や絡まる紐がわずかにゆらりゆらりと揺れている。壁面に映る影のせいもあるだろうか、ネットを隔てそれらを見ると、近くで見たときの質感や重量感のイメージとはうらはらに、心もとない不安定なものにも感じられるから不思議だ。柔らかいネットの間仕切りが全体に緊張感を与え、向こう側の空間との距離も意識させられる。日頃、われわれが頭のなかで考えたり思い描くもののイメージと、実際につくりだしたり体験しているものごととのあいだにあるギャップ、ねじれやズレのようなものに目を向ける新道の新作はシンプルでスマートな表現だが味わい深いものだった。


会場風景

2012/10/02(火)(酒井千穂)

館長 庵野秀明 特撮博物館

会期:2012/07/10~2012/10/08

東京都現代美術館[東京都]

毎夏恒例のアニメ展、10回目の今年は「エヴァンゲリオン」シリーズで知られる庵野監督が「館長」となり、日本固有の発展を遂げてきた「特撮」に焦点を当てる。怪獣やウルトラマンよりも、彼らが壊すミニチュアセットに異常な興味を抱いていた小学生の私だったら狂喜したであろうこの展覧会を、40年以上たったいま小学生の息子と見に行くことになった。怪獣やウルトラマンの着ぐるみやマスク、海底軍艦のミニチュアや設計図、特撮用の道具や機材がところ狭しと並ぶ美術倉庫の再現など、約500点の展示。ああもっと早く見たかった。最後は東京タワーを中心とする昭和の東京のジオラマセットと、それを背景に特撮したスタジオジブリ短編映画『巨神兵東京に現わる』の上映。おまけのメイキング映画では、限られた予算のなかでCGに頼らず、いかに知恵を絞って最大の効果を発揮させるかが描かれていておもしろい。大の大人があーでもないこーでもないといいながら嬉々として特撮に講じる姿に、日本のお家芸の秘密をかいま見た気がする。

2012/10/01(月)(村田真)

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沈崇道個展「毛沢東肖像画」

会期:2012/09/08~2012/09/29

東京画廊+BTAP[東京都]

沈は60年代から上海美術設計公司で中国共産党幹部の肖像画制作にたずさわり、なかでも最高機密の国家主席・毛沢東の公式肖像画を手がけた数少ない画家のひとりだという。しかし改革開放が進むにつれ肖像画の需要が減り、上海美術設計公司も退社。同展は沈が退社後に描いた毛沢東の肖像画10点を展示するもの。もはや公的な肖像画ではないのだから自由に描いてもいいはずなのに、どれもキチンと描いているのは長年のあいだに身に染みついてしまった習性ゆえか、それとも彼自身の律儀な性格ゆえか。おかしさと哀しみを誘う展覧会。

2012/09月28日(金)(村田真)

『ニッポンの、みせものやさん』試写

会期:2012/09/28

TCC試写室(2012年12月から新宿K's cinemaにて上映)[東京都]

江戸後期には300軒、昭和なかばにも48軒残っていた見世物小屋もいまや1軒を残すのみとなった。その1軒、大寅興行社を奥谷洋一郎監督が10年にわたり追いかけたドキュメンタリー。情報社会の発達とともに身体性が希薄になり、不気味さやうさん臭さの消えていくこの世の中では(別の不気味さやうさん臭さは生まれるが)、たしかに見世物小屋の生き残る余地は少ない。でも逆に、だからこそヘビを食ったり火を吐いたりする人間のナマの身体性を再確認する必要があるだろう。似たようなことは美術にもいえるはずだ。高齢化が進み絶滅寸前となった悲哀感漂う見世物小屋の芸人たちと、まるで緊迫感のない監督のユルい語りが残酷なまでに時代のギャップを浮き彫りにする。

映画『ニッポンの、みせものやさん』特報

2012/09月28日(金)(村田真)

ボディーズ・イン・アーバン・スペーシズ・イン・ヨコハマ

会期:2012/09/29~2012/09/30

関内[神奈川県]

午後4時半、神奈川芸術劇場のアトリウムに集合。事前情報はそれだけ。時間をすぎると旗を持ったスタッフの先導で外へ。見ると、劇場の外壁の出っ張った軒にカラフルな服を着た数人のパフォーマーがよこたわっている。これはおかしい。観客が中華街のほうへ移動し始めると、いまのパフォーマーたちが走って抜いていく。つねに先回りして準備しとかなければならないのだ。駐車メーターに絡んだり、ビルとビルの隙間に上下に並んだり、階段にびっしりとはいつくばったり、中華街から元町をすぎ、港の見える丘公園まで10カ所以上でやっただろうか。パフォーマンスそのものはなんの意味もなくバカバカしくて笑えるが、それ以上におかしいのは、旗を持った先導者に付き従ってパフォーマンスの写真を撮る100人近い観客たちと、行儀正しく交通整理するスタッフたちだ。本来こうしたストリート・パフォーマンスは予告も許可もなくゲリラ的に行なわれるものだが、それを「芸術」としてありがたく「鑑賞」する光景もメタ・パフォーマンスとして成立するんじゃないか。

2012/09/29(金)(村田真)