artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

志村信裕「恵比寿幻灯祭 Dress」

会期:2012/02/10~2012/03/11

TRAUMARIS SPACE[東京都]

キラキラ光るリボンをのれんのように吊るし、そこにキラキラまぶしい映像を当てるとキラキラキラキラするインスタレーションがメインだが、それよりテーブルの隅に置かれた酒瓶に10センチくらいの小さなえびすさまの映像を映し出す作品がカワイくて、ついついお酒を飲みながら聞いてみたら、わざわざこのためにえびすさまにぴったりのモデルを探し出し、トラウマリスのオーナーが成人式に着た振り袖を引っぱり出して前後逆に着せ、大きなキンメダイ(マダイより赤くて映える)を買ってきて持たせるなどけっこう手が込んでいるのだが、しかしなぜえびすさまなのかと根源的な問いにぶつかってしまい、ここは恵比寿でいまは恵比寿映像祭の真っただなかであることに気づくのだった。

2012/02/24(金)(村田真)

戸島麻貴展──メタ・モルフォス

会期:2012/02/10~2012/02/26

MEM[東京都]

ボックス状の額縁のなかに、いや額縁状のボックスのなかにというべきか、蝶の絵が入ってる……と思ったら動いている。もちろん生きた蝶が入ってるわけではなく、CGによる合成画像だ。紫がかったメタリックブルーの羽はいわゆるモルフォ蝶ってやつだ。大きなボックスのなかでは10匹以上の蝶が標本箱よろしく整然と並んでいるが、やがて羽ばたき、雲散霧消していく。タイトルの「メタ・モルフォス」は、このモルフォ蝶とメタモルフォーゼ(変身・変態)をダブらせたもの。美しいし、よくできているけど、それだけになにかが足りない。

2012/02/24(金)(村田真)

南川史門「鏡、音楽、マルチメディア」とコーヒーパーティー

会期:2012/02/17~2012/04/01

ナディッフギャラリー[東京都]

ギャラリーには椅子、テーブル、自転車などが置かれ、壁には本人の絵やポスターや鏡などが掛かっている。なぜかデュシャンのレディ・メイドで知られる瓶乾燥器もある。一見雑然としているが、じつはよく考えて配置されてるようで、しばらくいたけど居心地がよかった。絵もさらっとしていて悪くない。こういうセンス、うらやましい。

2012/02/24(金)(村田真)

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行き

会期:2011/12/10~2012/02/26

府中市美術館[東京都]

美術評論家の石子順造(1928-1977)の展覧会。石子の批評活動を「美術」と「マンガ」と「キッチュ」に分けたうえで、それぞれの空間に作品を展示した。静岡時代の石子が主導したとされる「グループ幻触」の作品を紹介したほか、中原佑介とともに石子が企画に携わった「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(東京画廊・村松画廊、1968年)を部分的に再現するなど、展覧会としてはたいへんな労作である。図録も充実しているし、何よりつげ義春の代表作《ねじ式》の原画を一挙に展示したところに最大の見所がある。にもかかわらず展覧会を見終えたあと、えもいわれぬ違和感を拭えないのは、いったいどういうわけか。その要因は、おそらく最後の「キッチュ」にあると思われる。石子が蒐集していたという大漁旗やステッカー、造花、銭湯のペンキ絵など、通俗的で無名性に貫かれた造形物の数々は、たしかに「まがいもの」のようには見える。けれども、美術館の中に整然と展示されたそれらには、「キッチュ」ならではの卑俗な魅力がことごとく失われており、むしろ寒々しい印象すら覚えたほどだ。これが「墓場としての美術館」という空間の質に由来しているのか、あるいは石子が見ていた「キッチュ」を現代社会が軽く追い越してしまったという時間の質に起因しているのか、正確なところはわからない。とはいえ、少なくとも言えるのは、私たちが注いでいる「キッチュ」に対する偏愛の情がまったく感じられなかったということだ。美術館が「キッチュ」や「限界芸術」を取り上げるとき、おうおうにして、このような白々しさを感じることが多いが、それは企画者の趣向というより、もしかしたら石子順造に内蔵された限界だったのかもしれない。オタク前夜の時代を切り開いた美術評論家としては注目に値するが、オタクが黄昏を迎え、代わって「限界芸術」という地平が見え始めているいま、石子だけを手がかりとするのは、いかにも物足りない。大衆文化を盛んに論じた鶴見俊輔、林達夫、福田定良、あるいは今和次郎らによる思想を総合的に再検証する仕事が必要である。

2012/02/22(水)(福住廉)

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フェルメールからのラブレター展

会期:2011/12/23~2012/03/14

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

2度目のフェルちゃん、今回はニコンの単眼鏡(7倍)を携えての訪問。単眼鏡は画面を拡大して細部まで観察するために買ったのだが、拡大するだけでなく、画面を枠どり(丸いが)その部分に神経を集中させるという予想外の効果ももたらしてくれた。これによって判明したことその1、《手紙を読む青衣の女》はピントを合わそうにもボカシが絶妙なため合わせにくいこと。これは輪郭がはっきりした《手紙を書く女と召使い》と対照的で、もちろんほかの画家にも見られない特徴だ。このピンボケ感をフェルメールの独自性と考えると《手紙を読む青衣の女》はまさに画家の代表作といえるだろう。その2、手の描き方がヘンなこと。これは前々から疑問に感じていたことだが、たとえば《絵画芸術の寓意》の画家の右手が妙にぽってりしていたり、《ワイングラスを持つ女》《ヴァージナルの前に座る女》の左手が豚足みたいに不格好なのだ。今回の《手紙を書く女》も《手紙を書く女と召使い》も、テーブルの上に置いた左手がどうもおかしい。こんなふうに見えるか? ここになにかフェルメールの秘密が隠されているのではないかと勝手に思っている。

2012/02/22(水)(村田真)

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