artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

万博──新しく、つながる。(2011年度 京都造形芸術大学 卒業制作展・論文発表会、京都造形芸術大学大学院 修了制作展・論文発表会)

会期:2012/02/25~2012/03/04

京都造形芸術大学構内[京都府]

京都造形芸術大学は卒業制作展の展示を昨年から大学キャンパスで行なっている。瓜生山の斜面に沿って建物が点在しているため、各コースごとの展示は構内のあちこちの建物を巡らねばならず、見る側にしてみれば時間と体力が必要だが、学生たちにとってはホームグラウンド。のびのびとした自由な雰囲気と活気が全体に感じられ、会場には制作者本人がその場に居合わせることも多いので、作品のコンセプトについて聞くことができるなど交流もしやすく美術館での展示の場合とは異なる良さがある。また、展示作品にはプライスカードがついているものもあり、学生たちがこの卒業制作展で作品を売買する機会になっている点もユニークだ。発表作品にはデザインや美術の学科のものだけでなく、保育と芸術を両方学ぶこども芸術学科や、文芸表現学科、アート・プロデュース学科などのものもある。なかでも、こども芸術学科の大田浩加の木製パズル《すてきな言葉のある国の物語》は秀逸。かるたのように、短い物語を読んでから言葉と図形のイメージを組み合わせ、完成させるものなのだが、色や形、言葉の響きなどのイメージも綺麗だ。熱心にこれを楽しんでいる鑑賞者(大人)の姿もあり印象に残った。もうひとつ、学内での発表の良さが発揮されていると感じたのは美術工芸学科染織テキスタイルコースの展示。学生たちの作品の多くが美しく見えた。展示の制限や制約というものがいかに作品に影響を与えているかを思い知る機会でもあった。


1──こども芸術学科こども芸術コース:大田浩加《すてきな言葉のある国の物語》
2──屋外の作品展示


3──美術工芸学染織テキスタイルコース:阿部愛友美《未確認いきもの 2011》部分
4──会場風景

2012/03/04(日)(酒井千穂)

森まき「IN MY NATURE」

会期:2012/02/27~2012/03/03

森岡書店[東京都]

森まきは、昨年横浜のBankARTで開催した「ポートフォリオを作る」というワークショップの受講生のひとり。その頃から写真の撮影、プリントのセンスのよさと、手づくりの写真集にまとめていくグラフィック的な処理の能力は際立っていた。彼女のように、意欲的に個展を開催していく受講生が出てくるのはとても嬉しい(3月30日~4月16日にはUPフィールドギャラリーで個展「凛として迷子」を開催)。
森岡書店での個展に出品された作品は、街で折りに触れて目についた光景を切りとったものだが、そこには「これを撮りたい」「これをプリントして残すべきだ」という意志がきちんと表われていて、一枚一枚の写真が気持ちよく目に飛び込んでくる。会期の最終日に森とギャラリー・トークをすることになって、そのために送られてきた自伝的な文章を読み、彼女の生い立ちが写真を撮ったり発表したりするときの「確信」につながっているのではないかと思った。森は幼少期に両親と離れて広島の祖父母と一緒に暮らしていた。祖父は画家であり、その制作過程を目にしているうちに「何も無いところに形ある世界を創れることを知った」のだという。6歳で広島を出て両親の元に戻ると、今度はピアノを習い始める。ピアノの腕前は相当のもので、周囲は誰もが音大に進むと思っていたのだという。
こういう幼少期の原体験は、写真に限らず制作行為を続けるにあたってとても大事になる。ものをどんなふうにつくり上げていくのかという基本的なプロセスを、身体的に理解しているということだからだ。それほどキャリアを積んでいないにもかかわらず、森の写真が「MY NATURE」の表現としてきちんと成立しているのはそのためだろう。ただ、これから先が難しい。センスのよさだけではすぐに壁にぶつかってしまう。次はより深い覚悟と思考力(哲学)が問われてくるはずだ。

2012/03/03(土)(飯沢耕太郎)

新鋭各賞受賞作家展「New Contemporaries」

会期:2012/03/03~2012/03/25

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

京都市立芸術大学出身の若手画家のなかから、著名な公募展で受賞経験のある10作家をピックアップした企画展。彼ら彼女らの表現を通して、次代の絵画の在り方を問うている。本展のベースにあるのは、1990年代以降に流行した具象的傾向の絵画に対する失望である。では、次代の絵画とはどんなものなのか。本展では“イメージと表現素材が相互に、それらの在り方を問い直すようなかたちで、新しい表現を生み出している”ことをひとつの突破口と見なしていた。でも、それは絵画が普遍的に行なってきたことじゃないのか。自分なりに納得できる解答が得られるまで、この案件は宿題とさせてもらおう。

2012/03/03(土)(小吹隆文)

生誕100年 ジャクソン・ポロック展

会期:2012/02/10~2012/05/06

東京国立近代美術館[東京都]

日本では初の本格的なポロックの回顧展。20歳前後の表現主義的な人物像から次第に形態が崩れ、色彩と線による抽象を経て、いわゆるポロックらしいポーリング(絵具を注ぎ込む技法)を含む「アクション・ペインティング」にいたるまで、相当数の作品が展示されている。なぜ、いかにしてこのような作品にいたったかがよくわかる構成だ。これは期待以上にいい展覧会だ……と思ったとたん、肩すかしを食う。最盛期の視界を覆うようなポーリングの大作がわずかしか来ておらず、すぐに具象的形態が復活し、叙情的ともいえる晩年のスタイルに移行していくからだ。あれれ? って感じ。やはりポロックといえば、MoMAにあるような幅5メートルを超す大作を1点でもいいから見たかったなあ。しかも今回唯一の大作と呼べる《インディアンレッドの地の壁画》はなんと、アメリカの天敵イランのテヘラン現代美術館からの出品だという。同展の「評価額200億円!! 門外不出、伝説の大作」の惹句はこの作品を指す(たしかにすばらしい作品だと思うが、イラン人はこの“アメリカの英雄”の絵をどう評価しているのだろう? もういらんとか)。ともあれポロックの作品は評価額が高騰しすぎたため、もはや大作は借りられなくなってしまったということだ。今回はそんな困難な状況のなかでよく健闘したほうだと思うが。展示の最後に、これは最近の流行なんだろう、イーストハンプトンの納屋を改造したポロックのアトリエが再現されていた。足下には絵具だらけの床の写真が敷いてあってなかなかリアルだ。ところで、同展では「アクション・ペインティング」という用語は使われていない。誤解を招きやすいからだろうけど、もはや死語? そのかわり多用されているのが「ポード絵画」。

2012/03/02(金)(村田真)

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林加奈子

会期:2012/02/18~2012/03/24

Gallery αM[東京都]

ストリートのアートといえば、グラフィティやスケートボード、ブレイクダンス、ラップなど、広義のヒップホップカルチャーとして語られることが多い。むろん、スクワッティングや海賊放送なども含めれば、より広いカウンターカルチャーの文脈に接続できるだろうが、いずれにせよ「ストリート」には男性文化の色合いが濃かった。アイス・キューブにせよ、バスキアにせよ、バンクシーにせよ、ストリートとは何よりもまず男性にとっての舞台であり、女性はあくまでも従属的な立場に甘んじるほかなかった。だが、本来ストリートが誰にとっても表現が可能なオープンな場であり、あらゆる人びとにとっての公共財であるとすれば、こうしたジェンダー・バイアスはきわめて不当であると指摘しなければならない。社会が男性だけで成り立っていないように、ストリートは男性だけのものではない。いや、社会の中枢が男性に牛耳られているからこそ、逆にストリートは女性が闊歩しなければならない。
こうした点で、林加奈子のパフォーマンス作品は興味深い。路上を行き交う人びとの前でしゃがみこんだり、公園の樹木に着衣の毛糸を延々と巻きつけたり、林のパフォーマンスはストリートと少女性を両立させながら、ヒップホップカルチャーに偏っていた従来の男性中心主義的なストリート・アートを是正しているからだ。ややもするとすべての作品に通底する詩的雰囲気に流されてしまいがちだが、林の作品の醍醐味は詩的な陶酔感というより、ストリートの野蛮性に少女性を巧みに忍ばせる鮮やかな手並みにあるのであり、その一見無邪気に見える振る舞いこそ、従来のストリート・アートにはなかった林加奈子ならではの特質であるように思う。

2012/03/02(金)(福住廉)