artscapeレビュー
石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行き
2012年04月01日号
会期:2011/12/10~2012/02/26
府中市美術館[東京都]
美術評論家の石子順造(1928-1977)の展覧会。石子の批評活動を「美術」と「マンガ」と「キッチュ」に分けたうえで、それぞれの空間に作品を展示した。静岡時代の石子が主導したとされる「グループ幻触」の作品を紹介したほか、中原佑介とともに石子が企画に携わった「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(東京画廊・村松画廊、1968年)を部分的に再現するなど、展覧会としてはたいへんな労作である。図録も充実しているし、何よりつげ義春の代表作《ねじ式》の原画を一挙に展示したところに最大の見所がある。にもかかわらず展覧会を見終えたあと、えもいわれぬ違和感を拭えないのは、いったいどういうわけか。その要因は、おそらく最後の「キッチュ」にあると思われる。石子が蒐集していたという大漁旗やステッカー、造花、銭湯のペンキ絵など、通俗的で無名性に貫かれた造形物の数々は、たしかに「まがいもの」のようには見える。けれども、美術館の中に整然と展示されたそれらには、「キッチュ」ならではの卑俗な魅力がことごとく失われており、むしろ寒々しい印象すら覚えたほどだ。これが「墓場としての美術館」という空間の質に由来しているのか、あるいは石子が見ていた「キッチュ」を現代社会が軽く追い越してしまったという時間の質に起因しているのか、正確なところはわからない。とはいえ、少なくとも言えるのは、私たちが注いでいる「キッチュ」に対する偏愛の情がまったく感じられなかったということだ。美術館が「キッチュ」や「限界芸術」を取り上げるとき、おうおうにして、このような白々しさを感じることが多いが、それは企画者の趣向というより、もしかしたら石子順造に内蔵された限界だったのかもしれない。オタク前夜の時代を切り開いた美術評論家としては注目に値するが、オタクが黄昏を迎え、代わって「限界芸術」という地平が見え始めているいま、石子だけを手がかりとするのは、いかにも物足りない。大衆文化を盛んに論じた鶴見俊輔、林達夫、福田定良、あるいは今和次郎らによる思想を総合的に再検証する仕事が必要である。
2012/02/22(水)(福住廉)