artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
アーツ・チャレンジ2012

会期:2012/02/14~2012/02/26
愛知芸術文化センター[愛知県]
愛知芸術文化センターの通路やフォーラム、展望回廊など、美術館やギャラリーではない余剰空間を使った展示の公募展(私も審査を務めました)。場所が場所だけに絵画のようなあらかじめ完成された平面作品は少なく、空間全体を作品化するようなインスタレーションが大半を占めた。入選者は10人で、身近な人々の姿を描いて切り抜き、展望回廊のガラス窓に貼った黒木南々子、みずからニュースキャスターに扮して名古屋市民にインタビューし、「TNKニュース」としてフォーラムで流したタニシK、数十万本の安全ピンをつなげて富士山のように積み上げた土田泰子、狭い通路の壁に唯一絵画作品を展示した青木恵美子らの作品が印象に残った。なんだ女性ばかりだ。
2012/02/18(土)(村田真)
ベン・シャーン──クロスメディア・アーティスト

会期:2012/02/11~2012/03/25
名古屋市美術館[愛知県]
神奈川近美で立ち上がった巡回展だが、葉山は遠いからパスして、たまたま名古屋に来たついでに見た。まあその程度の関心しかなかったベン・シャーンだが、見てみてあらためて気づくことも多かった。まず、展示室が暗かったこと。そもそも描かれているモチーフも人権問題や冤罪事件などけっして明るい話題ではないのに、出品作品の大半が写真やポスターも含めて紙素材なので、作品保護のため照度を落とさなければならないのだ。そこで思うのは、なぜ彼はキャンヴァスに油絵で描かず、紙という脆弱な素材を用いたのかということ。ポスターや印刷用の絵ならまだしも、独立した絵でも紙にインクや水彩(テンペラやグワッシュ)で描いている理由がよくわからない。もともと石版画工から出発したからだろうか、それとも油絵はブルジョワ的と見る左翼思想によるものだろうか。いずれにせよ紙にインクや水彩という素材・技法が、結果的に彼特有の表現スタイルを確立させたことは間違いない。その一見つたないギザギザの線描や、写真を参考にしながらもわざと歪めたフォルム、あえて塗り跡を残してニュアンスを強調した彩色などには強い既視感を覚える。これは粟津潔、山藤章二をはじめ日本の数多くのイラストレーターや漫画家に見られる特徴ではないか。ベン・シャーンは思った以上に日本のグラフィック界やサブカルチャーに影響を与えていたのかもしれない。などと考えつつ最後の展示室に足を踏み入れてアッと思った。第5福竜丸の被爆事件を描いた「ラッキードラゴン」シリーズが展示されているのだ。その代表作《ラッキードラゴン》が福島県立美術館所蔵であることを知って、初めてこの展覧会の意義が解けた気分になった。同展は時期的にいえば東日本大震災以前に企画されたものだろうけど、いまや福島に巡回させることが目的となっているのではないか。ところが、その後の報道で知ったのだが、なんとアメリカの所蔵美術館7館が福島には作品を貸し出さないことを決めたというのだ(福島での展覧会自体は中止にならず、国内の所蔵品だけで開催)。これはどう考えたらいいのだろう。
2012/02/18(土)(村田真)
ヤノベケンジ講演会「サン・チャイルドができるまで──人とアートのふれあい、これからの街とアートのありかた」

会期:2012/02/17
茨木市福祉文化会館 5F文化ホール[大阪府]
3月11日、ヤノベケンジによる高さ6.2メートルの巨大なモニュメント《サン・チャイルド》が茨木市の阪急南茨木駅前に設置されるのを前に講演会が行なわれた。347人が定員とされていたのだが、当日はすでに予約でいっぱい、会場も満員だった。《サンチャイルド》は巨大な子どもの像なのだが、ここには「防護服を脱いでも生きてゆける世界を希求し、たとえ傷だらけになっても敢然と脚を踏ん張り、たくましく前を見据えて立ち向かう」という再生・復興してゆく人々へのメッセージと希望が込められている。この日は、哲学者であり総合地球環境学研究所特任准教授の鞍田崇氏が進行役となり、ヤノベ氏がアーティストとして活動するまでのプロセスや、《サン・チャイルド》の制作に至るまでの経緯などが盛りだくさんに語られた。独特の話術で会場に笑いを巻き起こしながら進むトーク。《サン・チャイルド》については、説明よりもなによりも「恥ずかしいくらい前向きなものをつくりたいと思った」という言葉が一番印象的で説得力を感じたのだが、この関連イベントなど、たくさんの催しを企画運営している「茨木芸術中心」の活動にも注目したい。茨木市(の人たち)はなかなかアツいと感じたのが収穫だった講演会。
2012/02/17(金)(酒井千穂)
第6回展覧会企画公募

会期:2012/01/14~2012/02/26
トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]
展覧会の企画の公募なのに、いわゆる展覧会らしい展覧会はひとつもなかった。そういう企画はむしろ拒否しているようにも感じられた。パンフレットによると、2011年度は「いま、本当に必要とされている『場』や『実験』とは何か?」「公共の場で行う『展覧会』とはどうあるべきなのか?」が問われたそうで、審査員の顔ぶれ(毛利嘉孝、神谷幸恵、黒瀬陽平ら)を見ても、まともな(つまりブツが整然と並ぶような)展覧会は期待できそうにない。じゃあどんな企画が選ばれたかといえば、展覧会の枠を踏み外したような、または展覧会とはなにかを問うような、いわばメタ展覧会ともいうべきものだった。たとえば1階(廣田大樹「HARU by Hija Bastarda」)は展覧会開催中というより設営中といった雰囲気で、2~3人の人たちがなにやらつくって展示に加えている。彼らが企画者なのか、アーティストなのか、それとも飛び入り参加の観客なのかわからないが、とにかく雑然として落ち着かない。そもそも企画者─出品者─観客といった役割分担もなさそうだ。パンフレットには「人と人との関係性を創造し、出会いと共同生活を可能にし、時間と場所の感覚を探求すること。これこそが、今回の展覧会での我々の意図する目標です」などと書いてあって、どうやら作品の発表の場というより、出会いのための場づくりをめざしているようだ。2階では音楽が流れ、3階では映像が映されていて、絵画や彫刻などの美術展を期待してきた人はあっけにとられるかもしれない。このように展覧会解体に向かう方向性は高く評価したいが、それが「展覧会」としておもしろいかというと残念ながらそうではない。それが問題だ。
2012/02/17(金)(村田真)
原芳市「光あるうちに」

会期:2012/02/15~2012/02/28
銀座ニコンサロン[東京都]
原芳市から送られてきた写真集『光あるうちに』(蒼穹舍)に添えられていた手紙に「写真は60過ぎた頃から面白くなるような気がします」とあった。これは実感としてよくわかる気がする。原のように生と写真とが不即不離のものとして一体化している写真家にとっては、人生経験の深まりが写真を熟成させていくのだろう。彼は1948年の生まれだから、今まさに写真家としての実りの時期を迎えているということだ。それが今回の展覧会にもよく表われていた。
「光あるうちに」というタイトルによる展示は、2010年のサードディストリクトギャラリーでの個展以来3回目になる。そのたびに、6×6判の写真に写し出された光景が、いきいきと精彩を放ち、輝きを増しているように感じる。展覧会場の最初のパートにヨハネ黙示録の「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい」という言葉が、最後に古今和歌集の「世の中は夢かうつヽか うつヽとも夢とも知らず ありてなければ」という歌が掲げられていた。この二つのメッセージは、原の写真の世界を言い尽くしている。つまり光と闇、生と死、夢と現の間を、できる限り大きく深く、幅をとって見つめ続けようという覚悟が、そこからくっきりと浮かび上がってくるのだ。
展示作品に、裸の女性の写真がかなり多く含まれていることに、大方の観客の方々は戸惑うのではないだろうか。原は若いころから、仕事としてストリッパー、ヌードモデル、SMモデルなどを撮影し続けてきた。『僕のジプシー・ローズ』、『ストリッパー図鑑』などの著書もある。彼にとって、体を張って仕事をしている女性たちを撮ることは特別な意味を持っているように思える。同情とも優越感とも違う、独特の角度から撮られた彼女たちの姿から、哀感と慈しみが混じりあった、なんとも言いようのないオーラが滲み出してきている。
2012/02/17(金)(飯沢耕太郎)


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