artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:榎忠 展 美術館を野生化する

会期:2011/10/12~2011/11/27
兵庫県立美術館[兵庫県]
1960年代後半から神戸を拠点に活動を続けてきた榎忠。その活動は既存の美術館や画廊とは一線を画しており、展示場所をつくる段階からすべて独力で行なう特異なものだった。作品も独特で、ギロチンで裁断した鉄の塊、大量の薬莢を用いたインスタレーション、砂型で鋳造した自動小銃、果ては自作の大砲といったハードなものが多い。その一方で、自ら女装して“ローズ・チュウ”となり、バーを開店したこともある不思議な魅力をたたえた作家である。そんな榎の業績を展観する初めての回顧展が、遂に地元神戸の美術館で行なわれる。彼の作品には現存しないものも多いので、どのようなかたちになるのかはわからないが、いずれにせよ、近年の関西で最もエキサイティングな展覧会となる可能性が高い。
2011/09/20(火)(小吹隆文)
プレビュー:世界制作の方法

会期:2011/10/04~2011/12/11
国立国際美術館[大阪府]
現代アートが従来のジャンルや枠組みを解体しつつ進展してきた歴史的事実を前提としつつ、先行世代がなしえなかった課題を独自の方法論で乗り越えていく30代を中心とした9組の作家(エキソニモ、パラモデル、伊藤存+青木陵子、クワクボリョウタ、木藤純子、鬼頭健吾、金氏徹平、大西康明、半田真規)を紹介する。印象的な展覧会タイトルは、20世紀アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンの著書に由来する。世界の複数性を論じたグッドマンの言葉が具現化したかのような空間が、果たして実現するのか。粒揃いのメンバーが揃ったので、十分期待が持てる。
2011/09/20(火)(小吹隆文)
岡本信治郎 空襲25時

会期:2011/08/09~2011/09/19
渋谷区立松濤美術館[東京都]
松濤美術館の岡本信治郎「空襲25時」展を訪れる。彼は磯崎新と同世代だが、ゼロ年代に入り、東京空襲の記憶を銀ヤンマなどになぞらえ、巨大な連作として展開している。9.11を受けた作品群も制作されている。表面的にはドロドロせず、ポップでさえあるのだが、それがかえってクールに怖さをかきたてる。おそらく展示には使いにくいであろう白井晟一の湾曲した空間が、今回はむしろ効果的に活用され、宗教的な場になっていた。
2011/09/19(月)(五十嵐太郎)
アルテシカ展:有手鹿──alte-shika

会期:2011/09/17~2011/09/25
旧中島邸白い家[京都府]
京都市内から車で1時間強、奈良に隣接する木津川市。この市の鹿背山(かせやま)という地区に住んでいる若者の創作グループ「アルテシカ」は、彫刻家の水島太郎、版画家の岡田裕樹、富永深智、鉄作家の中島和俊、陶芸家の福田藍というメンバーで、年齢はそれぞれ違うが全員が同じ地域で育った幼なじみだという。ほぼ1年に一度、合同の展覧会を開催してきた。今回の会場はメンバーのひとり、中島が自作した家(現在は空家)。壁に青いガラス瓶が埋め込まれていたり、ドアや窓の構造、金具などの造りも凝っていて、空間自体が個性的。展示作品は小さなものが多く、展覧会というよりもどちらかというとショップの雰囲気なのだが、それにしてもUターンでふるさとに帰ってきたほぼ同世代の若者たち、それも昔から近所の仲間であった作家たちが、毎年グループ展を開催しているというのは面白い。今年で5回目だという「アルテシカ」展、回を追うごとにその輪も広がるだろうか。
2011/09/19(月)(酒井千穂)
高松次郎「言葉ともの─純化とトートロジー」

会期:2011/09/16~2011/10/30
NADiff Gallery[東京都]
以前、高松次郎の1972年のサンパウロビエンナーレの出品作「写真の写真」を集成した写真集『PHOTOGRAPH』(赤々舎、2004)を見て、そのかっこよさに痺れた。写真を使うコンセプチュアル・アートの作家は榎倉康二、野村仁などかなりたくさんいるが、高松の写真作品には単純な概念のイラストレーションという役割を超えた、写真そのものとしての魅力があるように感じる。その魅力がどこから来るのかと問われると、なかなか答えるのがむずかしい。だが、そこには写真のクリアーで明晰な描写と、物体の配置のどこか謎めいた魔術性とが、強い説得力を持つかたちで共存している。今回のNADiff Galleryでの個展出品作のほとんどは、ドローイングやコラージュ作品なのだが、そのなかに1点だけ含まれていた写真作品「椅子とレンガ(複合体)」を見て、やはり写真家としての高松次郎は再評価されるべきであると思った。
この写真作品は1972年に発表(1980年に一部再制作)された「複合体〈椅子とレンガ〉改題」を撮影したものだ。会場には同作品も展示されていたので、写真と実物とを比較して眺めることができた。何の変哲もないパイプ椅子の、ひとつの脚の下にレンガが置かれ、その奥のもうひとつの脚が空中に浮いている。それだけのシンプルな状況を、何の操作も加えず撮影しただけの作品なのだが、何度も言うようにそれが奇妙な魅力を発している。撮り方が平静なだけに、逆に狂気めいた微妙なズレがより強く浮かび上がってくるのかもしれない。高松の写真の仕事を、もう一度きちんとまとめて見直すと、日本の写真表現の見過ごされがちな水脈のひとつが姿をあらわすような気もする。
2011/09/18(日)(飯沢耕太郎)


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