artscapeレビュー
高松次郎「言葉ともの─純化とトートロジー」
2011年10月15日号
会期:2011/09/16~2011/10/30
NADiff Gallery[東京都]
以前、高松次郎の1972年のサンパウロビエンナーレの出品作「写真の写真」を集成した写真集『PHOTOGRAPH』(赤々舎、2004)を見て、そのかっこよさに痺れた。写真を使うコンセプチュアル・アートの作家は榎倉康二、野村仁などかなりたくさんいるが、高松の写真作品には単純な概念のイラストレーションという役割を超えた、写真そのものとしての魅力があるように感じる。その魅力がどこから来るのかと問われると、なかなか答えるのがむずかしい。だが、そこには写真のクリアーで明晰な描写と、物体の配置のどこか謎めいた魔術性とが、強い説得力を持つかたちで共存している。今回のNADiff Galleryでの個展出品作のほとんどは、ドローイングやコラージュ作品なのだが、そのなかに1点だけ含まれていた写真作品「椅子とレンガ(複合体)」を見て、やはり写真家としての高松次郎は再評価されるべきであると思った。
この写真作品は1972年に発表(1980年に一部再制作)された「複合体〈椅子とレンガ〉改題」を撮影したものだ。会場には同作品も展示されていたので、写真と実物とを比較して眺めることができた。何の変哲もないパイプ椅子の、ひとつの脚の下にレンガが置かれ、その奥のもうひとつの脚が空中に浮いている。それだけのシンプルな状況を、何の操作も加えず撮影しただけの作品なのだが、何度も言うようにそれが奇妙な魅力を発している。撮り方が平静なだけに、逆に狂気めいた微妙なズレがより強く浮かび上がってくるのかもしれない。高松の写真の仕事を、もう一度きちんとまとめて見直すと、日本の写真表現の見過ごされがちな水脈のひとつが姿をあらわすような気もする。
2011/09/18(日)(飯沢耕太郎)