artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2011

会期:2011/09/17~2011/11/23

六甲ガーデンテラス、六甲山カンツリーハウス、六甲高山植物園、オルゴールミュージアム ホール・オブ・ホールズ六甲、六甲ケーブル、六甲ヒルトップギャラリー、六甲山ホテル、オテル・ド・摩耶(サテライト会場)[兵庫県]

阪神間の身近なレジャースポットであり、都市に隣接する貴重な自然空間でもある六甲山。その山上に点在するレジャー施設などを会場に、昨年に引き続きアートイベントが開催された。山上を散歩しながらアートを体験し、同時に六甲山の豊かな自然に気付いてもらうというコンセプトは秀逸で、今年も植物園内を移動している最中に、「やっぱり、ここはいい所だなー」とつぶやいてしまった。ただ、昨年に比べると作家・作品数が絞られており、六甲ガーデンテラスと六甲カンツリーハウスの展示がやや寂しかったのも事実。そこを観客がどう判断するかが、今回の評価の分かれ目となるだろう。

2011/09/16(金)(小吹隆文)

高木こずえ「SUZU」

会期:2011/09/03~2011/10/01

TARO NASU[東京都]

高木こずえの潜在能力の高さは、誰もが認めざるをえないだろう。コンスタントに水準以上の作品を生み出していく安定感は、2006年に写真新世紀グランプリを受賞してのデビューからまったく変わりはない。
今回展示された「SUZU」は、2010年に『MID』と『GROUND』のシリーズで第35回木村伊兵衛写真賞を受賞した直後、生まれ故郷の長野県諏訪に100日あまり滞在して撮影・制作したものだ(信濃毎日新聞社から同名の写真集も刊行)。若い写真家が写真撮影を通じて自らの“ルーツ”を確認するというのは、とかくありがちなことだが、高木にかかると一筋縄ではいかない作品ができ上がってくる。諏訪大社の御柱祭、近親者のスナップのようなそれらしいテーマを扱っても、彼女のなかにセットされているイメージ変換の回路が作動して、何とも不可思議な、宇宙的としかいいようのない時空が姿をあらわしてくるのだ。画面に浮かび上がる円や矩形の幾何学的なパターンも、普通ならとってつけたような印象を与えるところだが、それほど違和感なく共存している。タイトルの「SUZU」というのは、撮影の間「はるか遠くで鳴る小さな鈴の音」に耳を澄ましていたということから来ている。たしかに、その幻の鈴の音がこちらにも聞こえてくるように感じる。そういえば、高木が「SUZU」のように日本語を作品のタイトルにしたのは、もしかするとはじめてかもしれない。これまでは「insider」「MID」「GROUND」など、英語のタイトルが多かったのだ。作品制作の動機と同様に、写真家としての原点を問い直すという志向が彼女のなかに芽生えつつあるのだろうか。
なお、写真集の刊行にあわせて、長野県長野市のホクト文化ホール ギャラリー(長野県民文化会館)でも同名の展覧会(9月14日~19日)が開催された。

2011/09/15(木)(飯沢耕太郎)

千代田芸術祭2011

会期:2011/09/03~2011/09/19

アーツ千代田3331[東京都]

展示部門のアンデパンダン展に、ステージ部門とマーケット部門が加わったアートフェスティバル。でも見たのは展示部門だけ。出品は約300人(組)ほどで、大半は素通りだが、いくつか目に止まった作品もあった。都市風景を描いた菅野裕子の絵画は、とくに目立つわけではないけど、凡百の作品の海のなかでは輝いて見える。また、スカートのなかをのぞいてオナニーする少年少女像を彫った柳瀬はるかの《ままごと》は、木彫の存在感と夢幻的な内容の落差が衝撃的。ほかに、マンガをモチーフにした作品がけっこうあったが、なかでも、アーティスト志望の女子が画廊で個展を開くまでをコマ割りマンガにしてキャンバスに描いた増田ぴろよ、岡崎京子の『ヘルタースケルター』の主人公を自分の顔写真に貼り替えて製本した山田はるかがおもしろい。どちらもつい読んでしまった。こういう作品て最近よくあるのかしら。

2011/09/15(木)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00014838.json s 10012618

磯江毅=グスタボ・イソエ──マドリード・リアリズムの異才

会期:2011/07/12~2011/10/02

練馬区立美術館[東京都]

磯江の名前も作品も知らなかったし、彼が浸かったスペイン・リアリズム絵画にも興味はなかったが、ただひとつ、彼がぼくと同じ1954年生まれ(2007年に死去)というだけの理由で見に行く。磯江は予備校でデッサンや油絵を学ぶが、日本の美大に進むことなく渡西し、スペイン特有の細密なリアリズム絵画を習得。モダンアートが袋小路に陥っていた当時、なぜ彼が極端なリアリズムを追い求めたのか、なんとなくわかるような気がする。ミニマリズムやコンセプチュアリズムにおおわれた70年代、美術を続けるなら思考を研ぎ澄ませて素材や技法を極限まで切りつめるか、もしくは正反対に髪の毛1本1本まで描き出す徹底したリアリズムに走るか、およそ両極の選択肢しかなかったように感じられたからだ(もっとも両者は自己表現の抑圧という点では表裏の関係にあったが)。しかし、ミニマルやコンセプチュアルとは違ってリアリズム絵画はある意味わかりやすく、商品化しやすいため、怪しげな画商や美術評論家がはびこりやすい世界でもあった。昨今のリアリズム絵画になにか胡散臭さを感じてしまうのは、そんな面もあるからだ。もちろん磯江本人は純粋にリアリズム絵画を追求したかっただけだろう。そのひとつの頂点ともいうべき作品が、タイトルがすべてを語っている《鮭“高橋由一へのオマージュ”》だ。しかしこの絵に描かれた荒縄の一部に本物のワラが使われているのを見て、リアリズムの限界を感じたのも事実。これはすでにリアリズム絵画を超えて、トリックアートの領域に入っているではないか。また、背景に新聞紙を描いた作品も何点かあったが、リアリズムを徹底させるのであれば1文字1文字まで描かなければ(書くのではなく)ならないはずだ。そこまでいくともはや狂気と裏腹の世界だが、磯江の場合そこまでは描いていない。それゆえに「絵画」には踏みとどまっているともいえるだろう。リアリズム絵画の矛盾と限界を教えてくれる展覧会でもあった。

2011/09/15(木)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00013760.json s 10012617

プレビュー:KYOTO EXPERIMENT 2011:京都国際舞台芸術祭

会期:2011/09/23~2011/10/16

京都市内の6会場[京都府]

昨年初めて開催された京都国際舞台芸術祭。今年も京都市内全体を“劇場”として約1カ月間にわたって開催される。紹介されるのは京都を含む国内からのアーティストによる8演目、アメリカ・ブラジル・ドイツからそれぞれ1演目、合計11演目のプログラム。ほかにも、美術家・中居真理の個展やワークショップ、若手演出家によるフリンジ企画、レクチャー・フォーラムなど、さまざまな関連イベントが行なわれる予定。去年に増してイベントも京都の街も賑やかになりそう。

2011/09/15(木)(酒井千穂)