artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

驚くべき学びの世界展 in 京都

会期:2011/09/09~2011/09/19

元・立誠小学校[京都府]

第二次世界大戦直後の北イタリア、レッジョ・エミリアで、村の人々が戦車や軍用トラックを売り払い、手づくりで始めた「自分たちの学校」が、今展で紹介された「レッジョ・エミリア・アプローチ」のはじまりだそう。この日まで私はその名も知らなかったのだが、アートを通して子どもの可能性を引き出す教育実践として、世界中で注目を浴びている幼児教育だという。今展で紹介されたのは、2000年以降にここで実践されている最新のプロジェクトやテーマに関するもので、会場には、制作環境や素材にふれ、指導者と関わり合う子どもたちを映し出したドキュメンタリー映像や、解説パネル、素材のサンプル、制作物などが展示された。沢山の人たちが訪れていたこの会場、教育関係者が多いのだろうか、解説を読みながら熱心にメモを取っている人の姿もあった。「場所」や「モノ」との対話を重視して行なわれるこの教育方法、子どもたちの反応など、確かにどれも興味深い。しかし展示物のほとんどが二次資料で複製可能なものばかりだ。1,200円の入場料は高すぎる。

2011/09/17(土)(酒井千穂)

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石川直樹「8848」

会期:2011/09/09~2011/10/22

SCAI THE BATHHOUSE[東京都]

前回の同じ会場での個展「POLAR」(2007年)でも感じたのだが、石川直樹はSCAI THE BATHHOUSEと相性がいいのかもしれない。東京・谷中の元銭湯だった天井の高い建物の壁面にゆったりと並べられた作品の雰囲気が、彼の柔らかく伸び縮みする眼差しのあり方にぴったりしているのだ。
彼にとっては2度目になる、世界最高峰、エベレスト登頂の記録というテーマもよかったのではないか。人類学的な志向が強い「ARCHIPERAGO」(2009年)や「CORONA」(2010)年は、視点の拡散によって落着きがなく、締まりのない写真の羅列になってしまっていた。今回の「8848」では、めざすべきエベレスト山頂の三角形のイメージが、何度も繰り返し登場してくることで、写真にくっきりとした方向づけができている。何といっても、標高8,000メートルを超える場所の、極限に近い状況が写真に写り込んでくることで、ぴんと張りつめた空気感が展示全体を引き締めていた。石川直樹には、やはり「冒険家」のポジションがよく似合うということだろう。
それにしても、いつも感じることだが、旅の途上で出会った現地のシェルパ族の人々との交友や、準備段階での日常的な場面の写真は必要なのだろうか。これらの写真を入れ込むことが、どうもある種の決まり事のようになっているように見える。石川にいま必要なのは、何を見せて何を落とすのかをより厳密に判断していく、制作行為におけるストイシズムではないかと思う。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

蔵真墨「蔵のお伊勢参り 其の七! 京都・大阪」

会期:2011/09/09~2011/10/08

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

蔵真墨から送られてきた展覧会のDMに「悪意ではなく愛です♡」と添え書きがあった。どういうことかといえば、以前彼女の作品について書いた時に、「悪意に満ちた」というような言い方をしたことがあったからだ。「蔵のお伊勢参り」シリーズの番外編というべき、今回の「京都・大阪」の写真群を見て、たしかに彼女の作品には「悪意ではなく愛」がくっきりと刻みつけられていることがわかった。路上にたむろする人々の仕草や表情を、どちらかといえばネガティブに捉えているように見えるのだが、むしろそこにあふれているのは、そのようにふるまってしまう人間たちへの、慈しみや許しの感情なのかもしれないとも思った。
それに加えて、蔵には純粋な好奇心、この現実世界のあり方をとことん探求しようという強い意欲がある。路上スナップには、路上でしか育ってこないものの見方を鍛え上げていくという側面があるのだが、残念ながら、近年そのような志向がやや弱りつつあるのではないかと感じる。よく指摘されることではあるが、路上スナップの撮りにくさが、それに拍車をかけているともいえるだろう。そんな時代状況において、蔵のがんばりは特筆に値する。路上スナップの面白さは、数10年というスパンを経なければ見えてこないところがある。50年後、この「蔵のお伊勢参り」のシリーズを見直せば、たとえば2010年代の都市の住人たちが携帯電話をどのように使用していたのかを知るための、貴重なヴィジュアル資料としても活用できるのではないだろうか。
なお写真展にあわせて、原耕一の装丁で、同シリーズの87点を集成した写真集『蔵のお伊勢参り』(蒼穹舍)が刊行された。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

橋口譲二「Hof ベルリンの記憶」

会期:2011/09/14~2011/09/27

銀座ニコンサロン[東京都]

橋口譲二のひさしぶりの新作展である。もしかすると10年ぶりくらいかもしれない。1990年代の精力的な活動と比較して、その沈黙ぶりが際立っていたのだが、ようやく写真家として新たな領域へと向かう準備ができてきたようだ。とはいえ、今回展示された「Hof ベルリンの記憶」は、純粋な新作ともいいがたい。「ベルリンの壁」崩壊直後の1990年から93年にかけて、旧東ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区とミッテ地区の古びた集合住宅を、6×6判と4×5インチ判のカメラで中庭(Hof)を中心に撮影した一群の写真があり、それに2009~2010年に新たに撮り下ろした写真が付け加えられている。まだ本格的な始動の前の助走という感じなのかもしれない。
会場に入って、以前送ってもらっていた同名の写真集(岩波書店刊)の印象と、やや違っているように感じた。橋口本人に確認すると、やはりプリントを大幅に焼き直したのだという。写真集の時には、中判、あるいは大判カメラの視覚的な情報をどれだけきちんと伝えるかに腐心していたのだが、今回の展示のためのプリントの段階で「これではだめだ」と思ったのだという。もっと生々しく、実際に建物や中庭に向き合った時の感情を出すことをめざすようになった。結果として、プリントの陰翳はより濃くなり、陽が差さない中庭の湿り気を帯びた空気感が伝わってくるようになった。
このあたりには、両大戦と旧東ドイツ時代を生きのびた労働者階級の人々が多く暮らしていたのだが、その歴史の重みが壁に残る弾痕など、建物のさまざまな凹凸や歪みから浮かび上がってくる。写真を見ている時に、しきりに「皮膚」という言葉が浮かんでは消えていた。たしかに橋口がこのシリーズでめざしているのは、都市の表層を、ぬめりを帯びた「皮膚」の連なりとして捉え直すことではないだろうか。やや残念なことに、このシリーズには人間の気配は感じるものの、人間そのものは被写体として登場してこない。次はぜひ、橋口の本来の主題である、より直接的に人間の生に向き合い、寄り添った写真を見てみたいものだ。

2011/09/16(金)(飯沢耕太郎)

Art Court Frontier 2011 #9

会期:2011/08/19~2011/09/17

Art Court Gallery[大阪府]

アーティスト、キュレーター、コレクター、ジャーナリストなど美術関係者が推薦者となり、関西在住、ゆかりの若手作家を1名ずつ推薦する企画グループ展。9回目となる今年も、立体、インスタレーション、彫刻、染め、絵画など、表現も多様な11名の作家が紹介された。なかでも面白かったのが、森田るいの《パンの筋肉について》という作品。パンをフックにしたものにバールをかけたり、パンが重たい金属を持ち上げるというイメージのインスタレーション。既成概念とモノの物質感を変容させる作家の技量と同時に、言葉のセンスを感じさせるもので次々と想像が広がっていく。また、「盛る」という言葉もぴったりな、ぬいぐるみや貝などを派手に取り付けた西岡桂子のコスチューム、ミニチュアの鍬や鎌などの農耕具がぎっしりと壁面に並ぶあり様に凄い迫力が感じられる占部史人の作品など、その世界観がじっくりと楽しめる作品も良かった。これからの活動も気になる作家たちだった。

2011/09/16(金)(酒井千穂)