artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

吉村芳生 展

会期:2011/07/08~2011/07/16

ギャラリー川船[東京都]

山口在住の美術家、吉村芳生の新作展。東日本大震災の後、未曾有の被害を報じる新聞紙の上にみずからの顔の図像を転写した版画作品などを発表した。壁一面に貼り出された国内外の新聞各紙を見ると、その文字と写真が当時の衝撃をありありと甦らせ、いたたまれない気持ちにさせられるが、それらの上に重ねられた吉村の顔を見ると、それが鑑賞する私たちの顔の表情とも重ねられていることに気づかされる。つまり、この作品における吉村の顔は、新聞が伝える悲惨な現実と、それを受け止める私たち自身の心情を媒介するメディアであり、同時に、その媒介の作用そのものを自覚させる、ある種の鏡なのだ。この2点は、複数性と間接性によって特徴づけられることの多い一般的な版画には見られない、吉村独自の「版画」である。さらに、吉村の「版画」には他に類例を見ない大きな特質がある。それを体現していたのが、会場の中央に置かれた紙の立体作品だ。これは、新聞紙の作品のひとつをオフセット印刷で23,000枚も印刷し、その一枚一枚に吉村が手書きでサインとナンバリングを書き入れたもの。積み上げられた紙片の物体としての迫力が凄まじい。来場者はその一枚を持ち帰るように促されるが、23,000という数字は東日本大震災で亡くなったり、行方不明になった人たちのおおむねの数だという。つまり、これは救済を必要とする魂を想像的に引き受けさせるということであり、吉村の「版画」は鎮魂のためのメディアとしても考えられているわけだ。かつて中原佑介は「版画へのカンフル剤は、過去に積重ねられた版画のエキスによってではなく、むしろ非芸術とみられる要素によってであろう」(「第三回国際版画ビエンナーレ展」『三彩』1962年11月号)と指摘したが、吉村の「版画」は非芸術というより、むしろ前芸術というべき要素によって構成されているのではないだろうか。それは、少なくとも近代的な意味における芸術の条件から外されてきた「メディア=媒介=霊媒」の機能を再び回復させようとしているからだ。

2011/07/08(金)(福住廉)

アートアワードトーキョー丸の内2011

会期:2011/07/03~2011/07/31

行幸地下ギャラリー[東京都]

全国の美大卒業・修了制作展から選抜した新人アーティスト30人の展示。ずいぶん大学に偏りがあるなあ、というのが第一印象。数えてみると、東京藝大10人、京都市立芸大と京都造形芸大が各5人。この3校で全体の3分の2を占め、あとの8校は1人か2人しか選ばれていない。選択する側にこれらの大学のセンセーもいるんだろうね。一番すばらしかったのは、小山真徳(東京藝大)の《わたしの荒野》と題するインスタレーション。作者らしきマネキンを中心に、全国の土産品を並べた棚や机を置き、数点の絵を飾っている。おそらく作者は各地を巡りながら絵の修行をしているという設定だろうが、注目したいのはそれらの絵が高橋由一に由来しているということだ。日本のヴァナキュラーな風土で絵を描き続ける自分を、近代以前の日本に西洋の油絵を接続するため悪戦苦闘した由一にダブらせようとしたのかもしれない。これはグランプリで文句なし。あとは、装飾的な室内風景を描いた大久保如彌(武蔵野美大)の具象画と、明彩色で筆跡を残しながら描いていった山本理恵子(京都市立芸大)の抽象画。大久保の作品には一見マティスやヴュイヤールにも通じるアンチームな空気が漂い、つい見過ごしてしまいがちだが、静かな狂気のようなものが感じられ、そこに共感がもてる。山本は完成されたイメージを持たずにどんどん描いていき、結果的に「室内風景」のイメージが立ち現われたのだそうだ。こちらは高橋明也賞を受賞。さきにふたりを具象画と抽象画に分けたが、図らずも両者とも「室内風景」に行きついたのが興味深い。

2011/07/07(木)(村田真)

バンコクサマー2デイズ──タムくんの似顔絵屋さん

会期:2011/07/05~2011/07/06

flowing KARASUMA[京都府]

アニメーション制作や音楽活動も行なっているバンコク在住の漫画家、ウィスット・ポンニミット(通称タムくん)が来日。参加者の似顔絵(全身)を対面で描く「似顔絵屋さん」と、アニメーション上映&ライブという2日間のイベントが京都で開催され、1日目の「似顔絵屋さん」に参加した。会場では、机の上でさらさらとペンを走らせ、あっという間に似顔絵を完成させるタムくんの手元がプロジェクターで映し出されていたのだが、完成したそれぞれの似顔絵の画像も随時twitterで公開されていた。ちなみにタムくんはその日63名の似顔絵を描いていたと、あとで知って吃驚。だけど、かわいらしく描かれている(サービスか?)顔の表情は特徴をよくとらえていて巧い似顔絵。一緒した友人と互いに見せ合う楽しさも、実際に対面で描いてもらった高揚感も幸福な気持ちになるひとときだった。

2011/07/05(火)(酒井千穂)

大英博物館──古代ギリシャ展

会期:2011/07/05~2011/09/25

国立西洋美術館[東京都]

古代ギリシャといえば美術史では最初にして最高のピーク、といっても過言ではない。そんな古代の至宝をごっそり極東の地に貸し出してもいいのか、といらぬ心配を抱かないでもないが、そもそもギリシャ時代のオリジナルはほとんど残っておらず、出品作品の陶器を除く大半はローマ時代の模刻(ローマン・コピー)にすぎない。だからわれわれが目にするのはローマ時代のシミュレーショニズムか、アプロプリエーションアートなのだ。そしてこのローマのコピーがルネサンス時代に復活し、新古典主義時代に再復活し……と何度も召還され、現代にまでつながってくるのだからおもしろい。同展の目玉の《円盤投げ(ディスコボロス)》も2世紀にコピーされたもの。《円盤投げ》といえばギリシャの彫刻家ミュロンの作とされるが、オリジナルは失われ、コピーがいくつか残されている。そのうちもっとも有名なのはローマ国立博物館のものだが、首の向きがローマのは横向きなのに、こちらは下向きになっている。こうしたコピー段階(または修復段階)での少しずつの違い(間違い)が、長い目で美術史になんらかの影響を与えているとしたら、それはどこか遺伝子の取捨選択による生物進化に似てないか。ま、ともあれいろいろと楽しめる展覧会ではある。ちなみに、同展は2008年の北京オリンピックを機に企画され、世界中を巡回した後、2012年のロンドン・オリンピック開催時に大英博物館に戻るという。ロンドン・オリンピックの前宣伝を世界的に煽ると同時に、古代オリンピック発祥の地ギリシャから返還要求の出ている大英博物館のコレクション問題への罪滅ぼしの意識もあるのかもしれない。

2011/07/04(月)(村田真)

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中岡真珠美 展

会期:2011/07/04~2011/07/16

Oギャラリーeyes[大阪府]

風景を独自の視点で換骨奪胎させ、オリジナリティのある画面をつくり出す中岡。今回はそうした作品と共に、紙に水彩で描かれた32点組の連作を出品した。今までとは異なる画材を使いこなし、過去作との連続性を保ちつつ新たな作風に仕上げたのはお見事。連作でありながら単体でも成立する組作品という形式は、今後の彼女の作風に少なからず影響を与えるかもしれない。

2011/07/04(月)(小吹隆文)