artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

藤原彩人 展

会期:2011/06/16~2011/07/10

gallery21yo-j[東京都]

高さ110~120センチほどの陶による人物像が5体、床に置かれている。いちおう分類してみると男2、女3で、それぞれワンピースやジャンパー、ジャケットなどを羽織り、髪は黒、茶、黄色と多彩だ。共通しているのは、どれも脚が短くて腕が長く、胸まわりより腰まわりのほうが大きく、重心が下のほうにあること。ギリシャ彫刻のような鍛え上げられた肉体美とはほど遠い、はっきりいってみっともないプロポーションだ。おまけに顔はやや上を向いて口をぽかんと開けているので、しまりがない。これはひょっとして弛緩しきった現代の日本人のカリカチュアかとも思ったが、作者の説明を聞いて納得。すなわち、陶土で自立させるには安定性を保つために重心を低くしなければならず、また、焼成するには上部に通気口を開けなくてはならないので、おのずとこういうかたちになるのだ。なるほど、食いものや生活スタイルの違いによって西洋人と日本人の身体プロポーションに差がついたように、素材や制作過程がかたちを決定する場合もあるわけだ。

2011/07/03(日)(村田真)

たかはしようこ「イノセント」

会期:2011/06/30~2011/07/05

現代HEIGHTS Gallery DEN[東京都]

東京綜合写真専門学校の校長をつとめる谷口雅から、世田谷区北沢の現代HEIGHTSで、連続展をやるという通知がきた。「春、桜を撮っていた」(6月30日~7月5日)を皮切りに、「街の闇の心地良さに」「移動あるいは想起する日常性」「水面を眺めてばかりいる」と7月26日まで4部構成で「春から夏へ、切断し旋回する四つの写真の試み」が展開される。その最初の展示を見に行ったら、奥のGallery DENでは、東京綜合写真専門学校を3年前に卒業した、たかはしようこの「イノセント」展が開催されていた。どうやら谷口のもくろみというのは、自分の展示を露払い役にして、4人の若手女性写真家たち(ほかにシンカイイズミ、森花野子、大沼洋美)の個展を同時期に開催し、そちらに観客を集客しようということだったようだ。
まんまとその企みに乗せられてしまったのだが、たかはしの作品はなかなか面白かった。淡い色彩や弾むようなカメラワークは、この世代の女性写真家たちのトレードマークのようなものだが、それに加えて森の中の粘菌(変性菌)のように分裂し、増殖していくドット状の形象に対するこだわりに、彼女の独特の視点がある。以前は自分で手を加えたオブジェを撮影する作品が中心だったのだが、近作にはスナップやポートレートも加わってきている。ただ、そろそろセンスのいい「イノセント」な世界を構築することだけでは、物足りなくなる時期にさしかかっているのではないかと思う。哲学や思想というのはやや大げさかもしれないが、自分の世界観をもっときちんと集中して打ち出していくべきだろう。一皮むければ、いい作家になっていくのではないかという予感がする。
谷口雅の作品は、タイトルのつけ方ひとつ見ても、彼の世界観にしっかりと裏打ちされている。たかはしにとっては、身近にいい手本があるということだ。

2011/07/03(日)(飯沢耕太郎)

榮榮&映里「三生万物」

会期:2011/07/02~2011/08/14

資生堂ギャラリー[東京都]

榮榮と映里の展覧会が東京・銀座の資生堂ギャラリーで始まった。彼らについては、以前artscapeの記事でも紹介したことがあるが、榮榮(ロンロン)が福建省生まれの中国人、映里(インリ、本名鈴木映里)が横浜生まれの日本人という異色のカップルで、2000年以来北京を中心に作品を制作・発表している。2007年には、中国では最初の総合的な写真芸術センター、三影堂撮影芸術中心をほとんど自己資金のみで設立し、中国現代写真の未来を見据えた活動を開始した。今回の展示は、その彼らの作品の日本における最初の本格的な紹介ということになる。タイトルの「三生万物」は「道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」という老子の言葉を引いてつけたのだという。彼らの作品世界をよく表わすタイトルといえるだろう。
今回は彼らが最初に暮らした北京の住居の取り壊しを、日記のようなスタイルで撮影した「六里屯」、三影堂撮影芸術中心の建物の工事現場を背景に、家族や仲間たちとの関係を細やかに綴った「三影堂」、男の子が続けて3人生まれ、家族が増えていく過程を記念写真のように定着した「草場地」など、主に2000年代後半以降の近作を中心に展示している。周囲の現実に対する違和、怒り、哀しみなどを二人の裸体を介在させて激しく問いつめていく初期の作品に比べると、眼差しはより柔らかくなり、穏やかな充足感が全体を支配しているように感じる。だがそれでも、私的な生のあり方を、身体的な表現に託して中国社会の強制的なメカニズムに対置させていこうとする彼らの姿勢は揺るぎないものがあると思う。おそらくこれから先も、彼らに降りかかってくるさまざまな困難に真っ向から対峙しながら、共同制作を続けていくのではないだろうか。
7月2日にワード資生堂(銀座資生堂ビル9F)で開催されたギャラリートークで、彼らが話してくれたことが感慨深かった。忙しい展覧会の準備作業の合間を縫って、気仙沼や石巻など東北地方の震災の被災地を訪れたのだという。もちろん、まだその経験がどんなふうに彼らの作品に反映されていくのかは、彼ら自身にもわかっていないようだ。だがまずは生と死とが交錯する被災地の状況を、目に刻みつけ、身体感覚として受けとめようとするその態度は、とても真摯で誠実なものであると感じた。

2011/07/02(土)(飯沢耕太郎)

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柳澤顕 展「Painting as a System」

会期:2011/07/02~2011/07/30

ARTCOURT Gallery[大阪府]

コンピューターを用いてイメージを構築しながら、同時に自身の思考や身体性の介在が感じられる独自の平面表現を模索している柳澤顕。具体的には、コンピューターでつくり上げたイメージをカッティングシートで出力し、パネルに貼ったり着彩することで出来上がる作品だ。本展では、昨年の「VOCA展」出品作以外はすべて新作の14点を出品。作品を超えて会場壁面まで浸食する大作もあり、現在の充実ぶりが伝わる展覧会となった。また、制作過程の記録映像を上映していたのも、作品を理解するうえで大いに役立った。

2011/07/02(土)(小吹隆文)

ワーグマンが見た海──洋の東西を結んだ画家

会期:2011/06/11~2011/07/31

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

横浜開港まもない時期に来日し、激動の幕末・維新期を報道画家として見つめ、日本の画家にも多大な影響を与えたチャールズ・ワーグマン。その来日150周年を記念した特別展。ワーグマンは『イラストレイテッド・ロンドンニュース』の特派員として日本のニュースをイギリスに送り、横浜では風刺絵の雑誌『ジャパン・パンチ』を発行して日本漫画(ポンチ絵)の原点のひとつにもなったが、美術史で最大の功績はやはり油絵の技法を高橋由一や五姓田義松に伝えたことだ。とはいえ、ワーグマン自身の画力は「素人画家」の域を出ないとされ、しかも世代的に印象派以前の前近代的な絵であり、それが日本の近代洋画の出発点になったことは冷静に見つめる必要がある。しかしそうはいっても、彼の遠近法や明暗表現が当時の日本の絵画に比べてあきらかに抜きん出ていることは事実。同展には由一によるワーグマンの模写や構図の似た作品、義松かワーグマンか判断しがたい作例も出ていてじつに興味深い。ちなみに、やせ衰えた母を冷徹に描いた義松の《老母図》は、ルシアン・フロイドのごとく対象に文字どおり肉薄して感動的だ。おっと、こんなところで小沢剛に遭遇。なにかのリサーチだろうか。

2011/06/30(木)(村田真)

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