artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
浜田涼「PLATFORM 2011 距離をはかる」

会期:2011/04/16~2011/05/29
練馬区立美術館[東京都]
「現代美術で考え、現代美術を実感する場」として昨年から東京・中村橋の練馬区立美術館で企画・開催されている「PLATFORM」のシリーズ。今年は浜田涼、小林耕平、鮫島大輔の3人がそれぞれ個展を開催した。昨年の寺田真由美に続いて、今年も写真を使う浜田涼が選ばれているのが嬉しい。
浜田は1990年代から、基本的にピンぼけの写真の作品を発表してきた。ボケたり、ブレたりする写真を作品に取り入れる写真家はかなりたくさんいる。だがその多くは、光量が不足していたり、被写体が動いたりすることでたまたまできあがった写真であり、浜田のように「意図的に」その効果を用いている作家はあまりいないのではないだろうか。つまり、彼女はむしろ「日常生活はいろんなものの端っこが混じり合いぼんやりとして曖昧なものだらけで出来ている」という認識を作品化して証明するために、ピンぼけの効果を徹底して利用しているわけで、その作品は一貫したコンセプトに基づいている。「写真家」の仕事としてみるとやや物足りなさを感じてしまうのはそのためかもしれない。写り込んでいる被写体のあり方に鋭敏に反応するよりは、「図柄」としての視覚的効果を重視しているように見えてしまうのだ。浜田の作品は写真をメディウムとして使用してはいるが、やはり「画家」の仕事といえるだろう。
ただ、身近な人物の顔が写ったスナップ写真を素材にした「大切な人の写真を持っていますか? その写真の表情以外に、その人の顔を思い出せますか?」(2001年)という長いタイトルのインスタレーションには、ほかの作品とは違った可能性を感じる。素材になっている写真群と浜田自身との間の「距離」を、より生々しく実感できるからだ。この方向に展開していく仕事を、もう少し見てみたい気がする。
2011/05/14(土)(飯沢耕太郎)
ジョセフ・クーデルカ「プラハ 1968」

会期:2011/05/14~2011/07/18
東京都写真美術館 2F展示室[東京都]
1968年8月21日、ソビエト連邦を中心としたワルシャワ条約機構軍が、民主化を推し進めようとしていたチェコスロヴァキアの首都、プラハに侵攻した。プロの写真家としての経歴をスタートしたばかりだった30歳のジョセフ・クーデルカは、それから一週間にわたって戦車部隊に対する民衆の抵抗の様子を記録し続けた。もともと圧倒的な戦力の差があることで、チェコスロヴァキア政府は「武力による防御はもはや不可能」と判断していた。抵抗はもっぱら「言葉と振る舞い」によって行なわれ、多くの市民がソ連軍兵士に近づいて話しかけ、ビラやポスターや落書きで意思表示を続けた。
だが、時には激しい衝突が起こり、車両に火が放たれたり、銃撃によって死者が出たりもする。その次第にエスカレートしていく状況に対して、クーデルカは冷静かつ的確にカメラを向けている。今回東京都写真美術館に展示された100枚ほどの写真を見ると、彼の写真家としての状況判断力と身体的な反応のよさにあらためて驚かされる。かといって、混沌とした現場から離れて安全地帯に身を置いているわけでなく、あくまでも民衆に寄り添いながらシャッターを切り続けているのがすごい。この「プラハ 1968」のシリーズは、1969年、ソ連軍撤退後にひそかにアメリカに持ち出され、「匿名、プラハの写真家」撮影ということでマグナム・フォトスを通じて世界中に配信された。それが「匿名」のままでその年のロバート・キャパ賞を受賞したということにも、このシリーズのクオリティの高さがあらわれているといえるだろう。
クーデルカ本人は1970年にイギリスに亡命し、その後マグナム・フォトスの正会員となって、世界有数のドキュメンタリー写真家としての名声を確立した。この実質的なデビュー作は、彼にとっても特別な意味を持つ作品であるとともに、大きな出来事が身近な場所で起こったときの写真家の立ち位置がどうあるべきかをさし示す、素晴らしい作例となっている。あらためてじっくり見直すべき価値のある展示といえるのではないだろうか。なお、本展のカタログを兼ねて平凡社からジョセフ・クーデルカ『プラハ侵攻 1968』が刊行された。資料的な価値の高い、丁寧な造りの写真集である。
2011/05/14(土)(飯沢耕太郎)
トーキョー・ストーリー2010

会期:2011/04/28~2011/05/28
トーキョーワンダーサイト青山[東京都]
スペイン、オーストラリア、メキシコ、スイスからのアーティストによる映像とインスタレーションの展示。ひとりを除き、3月の震災や原発事故を作品に反映させており、外国人の受けた衝撃の大きさを物語っている。アレックス・カーショウの映像作品《プレリュード》は、数十本のチューリップを花瓶に入れて数日間にわたり撮影したもの。徐々に頭を垂れたと思ったら、逆回しになって首をもたげていく。絵のように美しいとはいえ、これだけなら小瀬村真美をはじめよくある手法だが、つい見入ってしまったのは、そこに一瞬、3.11の前震が記録されているとパンフレットに書いてあったからだ。でもしばらく凝視していたけれど見つからず……。そうか、退屈な映像作品を見続けさせるにはキャプションに一言「オバケが映ってる」と書いとけばいいんだ。
2011/05/13(金)(村田真)
わざゼミ2010報告展

会期:2011/05/03~2011/05/13
京都芸術センター大広間[京都府]
取材見学や実習を通し、創作活動を行なう人々に京都の伝統工芸の技術や精神性を学ぶ機会を提供する芸術センターの事業「わざゼミ」。染織、木工、金工をテーマにした2010年度の参加者である天野萌、一柳綾乃、今村遼佑がその活動の成果を発表した。天野はおもに、生き物をモチーフにした立体インスタレーション、一柳は光の透過による色彩や表情の変化が美しい染色作品、今村は繊細な金工技術を用いた小さな作品。京都ならではのユニークな事業なのだが、それぞれの創作活動と京都の伝統工芸、センターとのつながりや、「わざゼミ」活動記録としての内容的な要素が希薄でいまひとつ伝わりにくいと毎回感じる。もう少し詳細に紹介されたら、もっと伝統に携わることへの関心も高まるのではないだろうか。
2011/05/13(金)(酒井千穂)
今井智己「遠近」

会期:2011/05/10~2011/05/21
Broiler Space[東京都]
東京・下高井戸で榎本千賀子、小松浩子によって運営されてきたギャラリーBroiler Space。最寄り駅が京王線の桜上水という微妙な立地条件もあって、なかなか足を運べずにいたら、いつのまにか一年間という当初から予告されていた期限が迫ってきていた。次回の金村修展で活動終了というぎりぎりの時期に、なんとか間に合ったのはよかった。どこか養鶏場を思わせる細長い2階建ての建物は、たしかに写真展の会場としてユニークな造りだった。
今井智己の展示は1Fに新作7点、2Fには昨年刊行された写真集『A TREE OF NIGHT』(MATCH and Company)のシリーズから抜粋された作品が並んでいる。大判カメラによる新作は風景、室内の場面が混在しているが、全体にどこか張りつめた緊張感が感じられる。入口近くの作品の遠景に福島第一原子力発電所が写っていると聞いて納得するものがあった。水面とも地面ともつかない薄緑の苔(海藻?)に覆われた場所に、木片やペットボトルが散乱している写真も、見方によっては津波の後の光景に見えなくもない。今井のような、一般的な「報道写真」から距離を置いている写真家が、「震災後の写真」にきちんと目を向けているのはとてもいいことだと思う。
2Fの展示もよかった。白い紙に刻印された点字のクローズアップ(トルーマン・カポーティの短編集『夜の樹』だそうだ)と、街のスナップの組み合わせである。盲人以外には「読めない」点字が付されると、「読めそうな」風景やオブジェも謎めいたものに見えてしまうのが面白い、こちらは今井には珍しく小型カメラによる撮影なので、偶発的な出会いのひらめきがより強調されている。新境地といえるのではないだろうか。
2011/05/13(金)(飯沢耕太郎)


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